51 王子さまに確認いたします!
「う……」
凄まじい目眩の濁流の中で、シャーロットはなんとか目を開けた。
体は確かに静止しているはずだ。それなのに、ゆっくりと回りながら落下し続けているかのような感覚に、不快感が込み上げてくる。
(ここは……)
「なぜだ! なぜ国王陛下が、このタイミングで、僕たち全員の召集をお命じになっているんだ!?」
「!」
焦った男の声が聞こえて、シャーロットは状況を認識した。
豪奢な一室の片隅で、これまた豪奢な寝台に寝かされている。シャーロットは、その寝台から抜け出そうとして、べしゃりと床に落っこちた。
その音で、男がこちらを振り返る。
ぼんやりとした視界が像を結び、そこにいるのがランドルフであることを、しっかり認識することが出来た。
「目覚めたようだな。シャーロット」
「ランドルフ殿下」
腕をつくことで上半身を起こし、ランドルフを見上げる。
「いいざまだ。お前のような美しい女が、床にひれ伏して僕を見上げているというのは!」
「……」
「改めて、オズヴァルトなどには勿体無いな。もちろん生意気な人間同士、釣り合いが取れているとは思うが。お前が、他国からの汚らしい奴隷でさえなければ、僕の妻にしてやってもよかったものを」
「…………」
「ははは、どうだ? そうなれば嬉しいだろう! 正当な王族の妻になれるだなんて、女なら誰しも泣いて喜ぶことだな?」
「………………」
シャーロットは、これまで我慢していた衝動を抑えるため、とうとう口元を押さえてしまった。
「…………おえっぷ…………!」
「なっ、何を吐きそうになっている!?」
シャーロットの見せた反応に、ランドルフが盛大なショックを受けている。
けれども正直なところ、途中からまったく話を聞いていなかった。
(これは、紛うことなき『転移酔い』……! 分かります、分かりますよ私の体! どうやらこの感覚も、体がしっかりと覚えているようです。目を覚ましてからというもの、オズヴァルトさまや部下の方の高精度な転移しか経験していなかった所為で、忘れていましたが)
シャーロットは口元を押さえたまま、ランドルフに請う。
「申し訳ございません、ランドルフ殿下。大変厚かましいのですが、転移酔いを起こしているようで、お水を一杯いただきたく」
「て、転移酔いだと? 良いだろう、まったく」
ランドルフはそう言うと、シャーロットの方に一歩踏み出して、ぱちんとその指を鳴らしてみせた。
「!」
直後、頭上に現れた魔法陣から、ばしゃん! と水が落ちてくる。
バケツに一杯分ほどの水を、シャーロットは当然避けられない。頭から被ることになり、髪もドレスもずぶ濡れになって、雫がぽたぽたと落ち始めた。
「どうだ? 一杯分の水だ。足りなければ遠慮なく言え、くれてやるぞ」
「…………」
シャーロットは瞬きを繰り返したあと、自身の両手を開閉してみた。
そのあとでランドルフを再び見上げ、にっこりと微笑んでみせる。
「ありがとうございます、ランドルフさま。お陰ですっきりと、目が覚めましたわ」
「……!!」
堂々とした微笑みを見て、ランドルフが僅かに怯んだ顔をする。
(いまの衝撃で、ぐちゃぐちゃになっていた神力の流れが整いました! 他人の魔力をぶつけられたからでしょうか? 目眩もぴたっと止まり、気持ち悪さが激減しています。こんな転移酔い対策があるなんて、大発見なのでは!)
内心でそう思いつつ、シャーロットは改めて悠然とした笑みを浮かべた。
「それに、私などを私的な空間へお招きいただいたようで光栄です。こちらは一体どこになりますの?」
「ふん。探りを入れようとしても無駄だぞ」
ランドルフは嘲笑を浮かべ、その場にしゃがんでシャーロットを覗き込んだ。
「王族に伝わる結界の中だ。特殊な魔法陣で構築されていて、外とは強固に遮断されている。居場所が分かるような魔術が付与されていたとしても、少々の魔力では結界を抜けられず、外からの探知は出来ない」
(それでは、迷子札も無効ということですね)
自身の胸元に、オズヴァルトから貰った迷子札が下がったままなのは確認済みだ。
しかし、この場所の結界が抜けられないなら、シャーロットの居場所は届かないのだろう。
そのことに、シャーロットは安堵していた。
(オズヴァルトさまに、この場所が知られずに済むのであれば、本当によかったです!)
オズヴァルトの魔力は、尽きかけの状態から回復していないのだ。ランドルフには間違いなく敵意があるのだし、オズヴァルトに迷惑を掛けたくはない。
だが、シャーロットのその思惑は、すぐに揺らぐことになった。
「いまのオズヴァルトにとって、聖女シャーロットの管理は最優先事項。それが行方知れずになり、ましてや無事に戻ってこなかったとあれば」
「!」
ランドルフは、ひどく暗い笑みに口元を歪める。
「国王陛下は、オズヴァルトにどのような処罰を下されるだろうな?」
「……っ」
その言葉によって、シャーロットは初めて危機感をいだいた。
自身の身に危険が及ぶこと、それ自体はどうでもいい。
けれど、その所為でオズヴァルトにお咎めが下るとなれば、話は別だ。
「なぜ、なのですか?」
考える時間を稼ぐため、シャーロットはランドルフに尋ねた。
「どうしてそれほどまでに、オズヴァルトさまを敵視なさるのです? いかにオズヴァルトさまが実力者であろうとも、ランドルフ殿下は尊き王族のお方。強い魔力を持った臣下を無碍になさっても、利点など」
「王族……」
ランドルフの目に、強い怒りの色が滲む。
「お前。何も知らないような顔をして、本当はすべて知っているのか?」
「『知っている?』」
「そうなんだろう。敢えて無知なる顔をすることで、僕を馬鹿にするつもりなんだな」
一体なんのことだろうか。
掛けられた水の冷たい雫が、金色の髪から滴り落ちる。それはどんどん冷えてきて、シャーロットの体温を奪いつつあった。
「これだから反対だったんだ! こんな性悪がオズヴァルトにつけば、ますます手に負えなくなるに決まっているだろう。それを父上だけでなく、兄上たちまで賛同し、婚姻まで結ばせて!」
(ひょっとして)
シャーロットはそこで、思い当たる。
(王さまが、オズヴァルトさまと私の婚姻を命じた目的は、私を封じること以外にもあったのですか?)
本当は、少しだけ不思議に感じていたのだ。
(エルヴィーラさまや、イグナーツさまも仰っていました。『オズヴァルトさまには、さまざまな名家から婚姻のお話が挙がっていた』と)
実際に、シャーロットも夜会で目にしている。あとで聞いたところによると、オズヴァルトとの縁談が挙がっていた三姉妹は、国の財務に関わる家の令嬢たちなのだそうだ。
(王さまにとって、ご自身の優秀な臣下同士が縁深くなるなんて、とても素晴らしいことのはずです。逆に言えば、オズヴァルトさまの妻の座に、私のような罪人を置く必要性は低く……)
たとえ、オズヴァルトが唯一シャーロットを封じ、殺せる存在だったとしても。
(私には、契約魔術による制限が課せられていました。であれば、オズヴァルトさまがお傍にいなくとも、無理やりに私を従わせることは容易だったはず)
確かに以前のシャーロットは、オズヴァルトに力を封じられる際、かなり抵抗したのだと聞かされた。
それでも、言ってみればそれだけのことだ。
シャーロットが逆らおうとしたときに、初めてオズヴァルトを呼べばいい。婚姻まで結ばせて、シャーロットをオズヴァルトの隣に縛り付けておく意図が分からないと、薄々考えていたのである。
(この矛盾、『私を王族の管理下に置く』という考え方では、ちっとも晴らせないままでした。けれど、王さまたちにもうひとつの目的があったのだとすれば)
それは、他ならぬオズヴァルトだ。
(王さまたちはオズヴァルトさまに、有力家の令嬢と結婚させたくなかったのかもしれません。そんな理由があるとすれば? オズヴァルトさまにこれ以上の後ろ盾を、増やしたくなかったから)
ランドルフはつい先ほど、シャーロットが彼に告げたことに対して、強い怒りを抱いてみせた。
(逆鱗に触れたのは、きっと『王族』という言葉)
オズヴァルトの持つ地位は、この国の『公爵』という爵位だ。
そしてシャーロットは、先日の夜会にて、イグナーツにこう聞かされていた。
『男爵家で育ったあいつは、膨大な魔力を見出され、ラングハイム公爵家の養子として引き取られました』
(あれが、世間に向けた嘘であるとしたらどうでしょうか? だって『公爵』は、王族の分家に与えられる称号で)
オズヴァルトは、ラングハイム公爵家の跡を継ぐために引き取られたのではないのかもしれない。
そしてシャーロットは、ひとつの結論に辿り着いた。
「あのお方は」
オズヴァルトの赤い瞳を思い出し、シャーロットは顔を上げる。
目の前にいるランドルフは、オズヴァルトと同じ赤色の瞳で、シャーロットを睨み付けていた。
「オズヴァルトさまは。この国の、王族のおひとりなのですね」
それこそが、ランドルフにとってオズヴァルトが邪魔である、最も大きな理由なのだろう。
「とうに知っていた分際で、今更なにを」
ランドルフは、不機嫌そうに言い捨てる。
「まったくもって忌々しいことだ。貴族ですらない、見た目が美しいだけの女が産んだオズヴァルトが、僕たちの異母弟にあたるとは……!!」
(ただ王族の血を引いている、というだけではなく)
ランドルフの異母弟ということならば、オズヴァルトの地位は明白だ。
(……オズヴァルトさまは、存在を隠された、王子さま……!!)




