49 『妻』を迎えに行くのなら
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「……………………シャーロットが家出した」
「ぎゃはははははは!!」
街角で響くイグナーツの笑い声に、オズヴァルトはあからさまな舌打ちをした。
「ほら見たことか、この色男!! さすがはシャーロット殿だ、痛快だなあ」
「おい、休憩中とはいえ勤務服だぞ。静かにしろ」
王都の往来は賑やかだ。当然ながら、衆目はイグナーツに集まっている。
けれどもこの腐れ縁は、周りの目など一切気にすることなく、オズヴァルトの背中をばんばんと叩くのだった。
「オズヴァルト、お前ついに初めての失恋経験じゃないか? はーっおもしれえ! 分かったすぐに謝罪の手紙を書け、駄目でも骨は拾ってやるからさ」
「なにが失恋だ、別にそういうのじゃない。大体シャーロットは」
「笑い過ぎて涙出て来た……エミール殿下にお会いしたら、即行でご報告しておかねーと」
「人の話を聞け」
イグナーツは、本当に人差し指で涙を拭っている。オズヴァルトが顔を顰めていると、大通りの向こうから来る女性数名が、こちらを見てきゃあっと声を上げた。
「見て、オズヴァルトさまよ! 相変わらず、見目麗しくて素敵」
「イグナーツさまもいらっしゃるわ……! タイプの違った美形のおふたりが並んでいると、本当に眼福!」
「……」
そう声を上げながら、女性たちがこちらに手を振ってくる。イグナーツはにこやかに手を振り返したが、オズヴァルトは溜め息をつき、非礼のない会釈だけに留めておいた。
それだけで、女性は歓喜の声を上げる。彼女たちばかりでなく、往来にいる他の女性もこちらを見ているのが、注がれる視線でよく分かった。
「相変わらず愛想が無いな、オズヴァルト」
「お前こそ、毎回そう丁寧に笑顔を振り撒いて疲れないか?」
「ぜーんぜん。ま、お前はその感じでいいんじゃないか? 秘密裏とはいえ妻帯者なわけだし」
「……」
「まあ、新婚一か月に満たない奥方に家出されているわけだが。出て行かれた記録としては、師団のどの家庭持ちにも勝てる最短記録だよなあ?」
「うるさい。分かっている」
にやにやしながらそう言われて、オズヴァルトは店の前から歩き始める。女性たちは、こちらが立ち去る気配に残念そうな顔をしていたが、オズヴァルトが再び目を遣ることは無かった。
「それにしても、ようやく得心がいったぜオズヴァルト」
イグナーツは、オズヴァルトの分ももう一度手を振ったあと、再び隣に並んで言う。
「お前、朝から機嫌が悪い上に、あんまり集中出来てなかったもんな? その所為か」
「……俺が機嫌悪そうにしてるのは、いつもだろ」
「いつもはもうちょっとマシだって言ってんの。お前の副官が死にそうな顔してたぞ。お偉い年寄り連中を相手に、ガンガン刃向かっていきやがって」
それについては反論出来なかったため、オズヴァルトはむすっとして押し黙った。
「どうせ、俺が昨日教えた、シャーロット殿の発言の件だろ?」
彼の読み通りだ。イグナーツは軽薄そうに見えて、いつも冷静に周りを見ている。
「単純な喧嘩じゃないよな。悠長にせず、早く迎えに行って謝った方がいいぜ」
「……行き先が、ハイデマリー殿の邸宅なんだ」
「おわ。男子禁制の結界内か」
シャーロットが、そのことを知っていて家出先に選んだのかは分からない。
だが、あの屋敷に居る以上、オズヴァルトは直接シャーロットに会いに行くことが出来ないのだった。転移陣でシャーロットを送り届けた際も、オズヴァルトは同行していない。
「とはいえ、逆に安心は出来るか。あそこなら少なくとも、ランドルフ殿下だって入ることは出来ないもんなあ」
「……」
「とはいえそれを考えれば、夜会から今までのあいだ、お前の留守中によく無事だったとも言えるが。確かランドルフ殿下って、少々の結界なら抜けられるだろ?」
「少々ならな」
「ん?」
「夜会以降、俺の屋敷には結界を五重に施している。俺以外の誰も転移陣が作れないよう設定をして、厳重に仕掛けた」
「五……っ!?」
イグナーツが、目を丸くしてこちらを見る。
「五重ってお前……。それ、戦争中に敵国との国境を保護するようなレベルの結界じゃん」
彼の言う通りだった。
当然、通いのメイドたちも出入りが出来なくなるため、全員解雇するという方法を取ったのだ。
食事を共にするようシャーロットに言ったのも、一番の理由は結界の所為である。
だが、そのことはシャーロットに伏せてあった。
「守りが強固なのに越したことはない」
「まあそうだけど。お前の魔力回復、順調だったはずなのにまた枯渇に近くなってそうだなーと思ったら、自宅の結界のために消費してたんか……」
若干呆れたような声で言われるが、オズヴァルトはしれっと無視をした。
魔力は、扱う魔術によって消費量が異なるものだ。
たとえば転移などに使うものは、オズヴァルトにとってはたかが知れている。一方で、攻撃魔術や強い結界を必要とするなら、消費量も大きくなる。
転移などの日常的な魔術は、むしろ積極的に使っていた。その方が、周囲に『魔力の消費を抑えている』という印象を与えにくいからだ。もっとも、シャーロットに見抜かれたのは驚いたが。
イグナーツは、足元の雪をわざと蹴るようにしてから口を開く。
「……なあオズヴァルト。やっぱり、すぐにでもシャーロット殿を迎えに行くべきじゃねえ?」
「話を聞いていたか? ハイデマリー殿の屋敷に男子禁制の結界がある以上、俺は転移が出来ない」
「それでもさあ」
いつも以上に真摯な表情で、イグナーツが言った。
「お前、『残り少ない魔力を、自分の身を守る攻撃魔術用じゃなくて、シャーロット殿を守る結界に投じた』っていう自覚ある?」
「…………!」
オズヴァルトは、思わず目をみはってしまう。
するとイグナーツはにやりと笑い、面白そうに肩を竦めるのだ。
「ガキの頃、何歳も上の上級生相手にやりあったときは、結界なんか頑なに使わなかったくせになあ。方針転換のきっかけが、随分と分かりやすいことで」
「うるさい黙れ、口を閉ざせ。……それに、準備ならしている」
オズヴァルトは額を押さえ、こう呟くのだ。
「やるのなら、万全にだ」
「お?」
オズヴァルトは顔を上げ、視線の先にある城を睨み付ける。
「シャーロットは、理由があって俺から離れた。だったら、その理由を潰せるようにした上で迎えに行かなければ、意味がないだろう」
「…………」
呆気に取られていたイグナーツは、やがて、嬉しそうに笑った。
「なんだ、やる気かオズヴァルト。これはいい、面白くなってきたな!」
「やめろ、はしゃぐな」
腐れ縁をいなしながらも、オズヴァルトは今後の算段をつけるのだった。
***
「拝啓、愛しのオズヴァルトさま――――……」
火の粉が爆ぜる暖炉の前で、シャーロットは便箋に向き合いながら、せっせとペンを走らせていた。
「私がおうちを出てから、早くも二十時間ほどが経ちました。……こんなにも長い時間、一度もオズヴァルトさまのお顔を見ていないのだと思うと、胸が締め付けられるように苦しいです」
記憶の中にオズヴァルトを思い描き、恋しさに目を潤ませたシャーロットは、ぐすっと鼻を鳴らす。
「本物のオズヴァルトさまが至高なのは当然として、お会い出来ないあいだに思い出すオズヴァルトさまも、すごくすごく格好良いのです! それをお伝えしたく、こうして本日七通目のお手紙をしたためております。今回はまず、一昨日の朝、朝食時のオズヴァルトさまが――」
「……シャーロット」
「ハイデマリー先生!」




