48 旦那さまに望みはしないのです!
「『俺が、お前のことを好きにならなくとも、構わない』と」
「…………」
シャーロットはぱちりと瞬きをする。
それは、心当たりが無かったからではない。
むしろ、はっきり言った覚えがあるからこそ、オズヴァルトに問われた理由が分からなかったのだ。
「はい。確かにそうお伝えしました」
けろりとして答えると、オズヴァルトの眉根が寄せられる。
「何故だ? 君は、俺のことが好きなんだろう。それなのに、どうして俺に同じ感情を求めない」
「……? だって、オズヴァルトさま」
シャーロットは、するりとオズヴァルトから手を離した。
そして、両手を自身の胸に重ねると、純然たる事実をはっきりと告げる。
「私は、罪人なのですよ?」
「……!」
オズヴァルトは、何故そこで目を見開いたのだろうか。
そんなことを考えながらも、シャーロットは微笑んだまま彼に答えた。
「そのことは、オズヴァルトさまだってご存知のはずです。私は悪虐の聖女であり、忌み嫌われる存在であると」
「それは……」
「だから、私がオズヴァルトさまに好きになっていただくなんて、有り得ません。だって」
シャーロットは、当たり前のことを口にする。
「――……悪いことをした人間は、幸せになってはいけないのですから」
「……シャーロット……」
笑って告げると、オズヴァルトがどこか苦しそうに顔を歪めた。
「……思えば、常にそうだったな。君は、自分からの愛情表現は欠かさないのに、俺が君に何かしようとすれば『受け取れない』という反応をする」
「オズヴァルトさまが、存在して下さっているだけで、私はとっても幸せですし……」
シャーロットは、白く染まった息を吐き出しながら、オズヴァルトの瞳を見詰めてみる。
「ですので、どうかご安心くださいね! オズヴァルトさまに好きになっていただかなくとも、オズヴァルトさまに大切な女性が出来たとしても、私はいい子にしていられますから……!」
「…………は?」
思い出すのは、先日の夜会で、オズヴァルトと話していた美しい女性たちのことだ。
友人である令嬢たちも、オズヴァルトはとても女性に好かれると言っていた。それは当然で、彼はこんなに素敵な人なのだ。
「私は、大好きなオズヴァルトさまの妻になれました。……その事実があれば、なんだって怖くありません!」
本当は、オズヴァルトが誰かほかの女性を好きになると、想像しただけで胸が痛むのだ。
けれど、悲しくなる資格なんてない。だから無理矢理に笑顔を作り、明るい声で言う。
「私のことなど、好きになって下さらなくて良いのです。ただただオズヴァルトさまが健やかで、毎日幸せに長生きして下されば……」
「……馬鹿を言うな」
「?」
オズヴァルトは、静かな憤りを滲ませた声音で言い放った。
「先ほどから聞いていれば、なんだそれは。俺がどうすれば幸せなのかを、君はまだ知らないはずだろう」
「……オズヴァルトさま?」
「何よりも君自身だ、シャーロット。一体どこに、君が幸せになってはいけない道理がある」
「それは当然です! 私はこれまでに、悪虐の限りを尽くしてきました」
だが、オズヴァルトは言い放つのだ。
「――そのときのことを、何も覚えていないのにか?」
「……!!」
シャーロットは、驚いて目をまん丸くしてしまう。
「……気付いて、いらっしゃったのですか?」
「…………」
オズヴァルト自身、そのことを明かすつもりはなかったのかもしれない。彼はいささか眉元を歪めた上で、その視線をこちらに真っ直ぐ注ぐ。
「記憶がない君に、やってきたことの責任はないはずだ」
シャーロットは、初めてオズヴァルトに背く発言をした。
「そんなはずは、ありません」
正しい背筋で、迷わずに、愛しい人へと告げる。
「たとえ記憶を失おうと、私は私。――自分がしたことの償いも報いも、すべて私が負うべきものです」
「君には国王陛下によって、契約魔術が刻まれている。逆らえなかったのだとしたら、どうしようもなかっただろう」
そしてオズヴァルトは、シャーロットに告げるのだ。
「少なくとも、いまの俺は。……君にも、『聖女』シャーロットにも、事情があったのではないかと考えている」
「……っ」
その言葉があんまりにやさしくて、思わず泣きそうになってしまった。
(……ですが、あの光や夢に見せられた過去の私は、笑っていました……)
心の中で呟いて、シャーロットはふるふるっと首を振った。
「いけません、オズヴァルトさま。これ以上は、私の身に余るというもの」
「なにを……」
(オズヴァルトさまは、こんなにも情に篤くていらっしゃるのですから)
オズヴァルトに、幸せになってほしいのだ。
だからシャーロットは、自分が彼の傍に居続ける未来を夢見ない。そんな夢は、見てはいけないはずだ。
それなのに、オズヴァルトの言うことを耳にして、仄かな期待を抱きそうになる。
(オズヴァルトさまのお言葉ひとつひとつに、可能性のかけらを見出してしまいます。オズヴァルトさまは、一緒にいることをお許し下さるのではないかと……そんな浅ましいことは、望んですらならないというのに、許されないのに!)
シャーロットは、ぎゅっとくちびるを結んだあと、意を決して口にした。
「……オズヴァルトさまが、どのようにお考えであろうとも! 私は、私の咎を贖わねばなりません……!」
「……シャーロット……」
「っ、失礼します……!!」
シャーロットはぎゅっと目を瞑り、オズヴァルトに背を向けて駆け出した。
「私! しばらくハイデマリー先生のお屋敷に、お世話になろうと思いますので!!」
「待て、シャーロット……!」
呼び止める声が聞こえても、戻ってはいけない。甘えてしまうその前に、オズヴァルトから離れなくては。
(形だけでも妻になれました。そして、その記憶はいまも残っています。それで十分なはずなのに、浅ましくもこれ以上望んでしまう、その前に……!!)
そうして雪道を駆けて、数メートルほど進んだころ。
「………………」
シャーロットはぴたりと足を止めると、踵を返し、もっそもっそと雪の中を引き返した。
「……シャーロット」
「…………」
オズヴァルトの顔は見ないようにしつつ、彼の元でしょんぼりと項垂れる。
「こ……」
「……」
その姿はきっと、脱走したあとで我に返り、すごすごと首輪を嵌めてもらいに戻る子犬のようだっただろう。
「……ここが何処だか分かりません……」
「……そうだろうな……」
こうしてシャーロットはしょぼしょぼしながら、オズヴァルトに転移陣で送ってもらい、ハイデマリー邸での家出生活を始めたのだった。
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