46 旦那さまに隠し事いたします!
きっぱりと言い切ったオズヴァルトに、イグナーツがぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる。
「オズヴァルト、いくら色男でもそういうのは良くないぞ!? あんな猫っぽい性格の美女、気に入らなければふらっとどっか行っちまうんだからな!?」
「……猫っぽい性格の美女……???」
そんなもの居たか? と胡乱な顔をした。
イグナーツの発言は、オズヴァルトの認識するシャーロットからあまりにも遠い。地面から見上げる天ほど距離があり、頭の中に広大な星空が広がってしまう。
イグナーツはそんなオズヴァルトを見て、これ見よがしに溜め息をついた。
「はー……この唐変木め。お前がそんな調子だから、シャーロット殿も、夜会であんなことを言ってたんだな」
「あんなこと?」
「オズヴァルト。友人として有り難い忠告をしてやる、よく聞け」
「おい、何をする!」
イグナーツの人差し指が、オズヴァルトの肋骨辺りをどすっと指す。痛みに顔を顰めると、目の前の腐れ縁はもっと苦い顔をしていた。
「シャーロット殿は、俺にこう話したぞ。『私はオズヴァルトさまに――……』
「…………」
その後、イグナーツから告げられた思わぬ言葉に、オズヴァルトは目を丸くしたのだった。
***
夕方から降り始めた雪が止み、雲間から月が見え始めたころ。
シャーロットは、自室でせっせとある物の準備をするべく張り切っていた。
そのとき、廊下の向こうから、ほんの微かな物音が聞こえてくる。
「――!」
それこそは、シャーロットが一日中ずっと、朝から待ち侘びていた気配なのだ。
シャーロットはぱっと顔を上げると、長椅子から立ち上がって扉へと駆けた。
「――――っ、オズヴァルトさま!!」
「だから、扉を開ける前に人の帰宅を察知するんじゃない!!」
そこには、仕事帰りゆえに青い外套を纏ったオズヴァルトが、引き気味の表情で立っていた。
思いっきり顔を顰めていても、大好きな人は美しい。シャーロットは、半日ぶりのオズヴァルトに感極まりながら、両手で口元を押さえて震えた。
「おかえりなさいませ、オズヴァルトさま……!! 無事のご帰宅なによりです、いつもよりお早いお帰りで嬉しいです、ああああっお耳の先とお鼻が赤く……!! 赤いと言うことは血潮の流れがあるからで、つ、つまり――……ここにあるのは、紛れもない生命――――……っ」
「生きてるに決まっているだろうが」
「あう」
きゅむ、と鼻を摘ままれた。オズヴァルトには叱咤のつもりだったのかもしれないが、シャーロットにとっては一大事の接触だ。
(あわわわわ、いっ今、オズヴァルトさまに触れられてしまいました……!? いえ、気のせいですね。それは夢、非現実。このように都合の良いことが、実際に起こるはずなどないのです……)
「本当に、なぜ廊下を歩いている段階で俺だと分かるんだ……? 足音も立てていなかったんだぞ。今度、極限まで気配を消して近付いてみるか……」
シャーロットが混乱しているあいだに、オズヴァルトも何やら呟いていた。そのあとで、はあっと溜め息をつく。
「まあいい。ところでシャーロット……ん?」
何か言いかけたオズヴァルトは、窓際の机に目を遣った。
「なんだ。何かしている最中だったのか?」
「? はい! 日中も常に、オズヴァルトさまのことを考えています!」
「いや、そういう話をしているんじゃない。あの机に……」
「……!!」
そしてシャーロットは思い出す。とある作業を机で行い、それをそのままにしていたことを。
「あ……っ、あわあーーーーーーっ!!」
「!?」
悲鳴を上げ、机に飛びつくようにして『それ』を隠した。
「何もしていません! ここには何もありません、置いていません……!」
「いや、あるだろう明らかに。俺の帰宅まで、何かしていたんじゃないのか?」
「こっ、これは……! あの、オズヴァルトさまに、サプライズの……あああっ!!」
「……っ!?」
シャーロットは、そこではっとして口元を押さえた。
だらだらと汗を掻いてしまうが、オズヴァルトもこちらを見て硬直している。
どことなく、『聞いてはいけないことを聞いてしまった』とでも言いたげな表情に見えるのは、気のせいだろうか。
(い、いけません……!! このままでは、オズヴァルトさまに贈り物をし、驚いていただく作戦が露呈してしまいます!!)
「…………」
シャーロットがごくりと喉を鳴らすと、オズヴァルトも同様に固唾を呑む。
だが、まだ誤魔化せるかもしれない。
それに縋り、シャーロットは必死に説明した。
「こ……これはなんでもないのです、オズヴァルトさま!! 贈り物を……とある方への、秘密の贈り物を用意しているだけなので……!!」
「と……『とある方への』」
「そう、とある方への! あの、訳あってそのお相手は、オズヴァルトさまにお伝え出来ないのですが……!!」
「そ……っ」
オズヴァルトは、何事かを言いかけたそのあとに、やっぱりぎこちない様子で頷いた。
「そうか、分かった」
「はい! ですのでいまは、これを見ないで頂きたく……!!」
「…………」
するとオズヴァルトは、すっと右手で自らの目元を覆い、視界を塞いで隠してくれる。
「――安心しろ。俺は別に、何も見ていない」
「ほ、本当ですか!? 良かったあ……!」
「……」
シャーロットがほうっと息をつくと、オズヴァルトが焦ったような声で言った。
「見ていないから、いまのうちに俺の視界からそれを隠せ」
「はい! ご覧になられていなくてほっとしました、安心です……!! それとオズヴァルトさま、この折に確認したいのですが、暖色と寒色はどちらがお好きですか?」
「………………寒色」
「寒色ですね、ありがとうございます! ふむふむ。ではやはり、ここは外套にも合わせた青色にして……」
「シャーロット……!!」
「あわあ、そうでした!!」
この機会に急がなくてはと、慌てて寝台からシーツを剥がす。机の上にそっと掛け、証拠隠滅に成功した。
「もういいか? もういいな? 俺からきちんと隠したか?」
「はい! もう大丈夫です、オズヴァルトさま!」
「…………」
オズヴァルトは目元から手を離す。大きな溜め息をつくその様子は、シャーロット以上に安堵しているようだった。
そして彼は、赤い瞳でシャーロットを見遣る。
「……君に話があり、今日は急いで帰ってきた」
「お話、ですか……?」
オズヴァルトのどこか苦い顔を見て、シャーロットは息を呑んだ。
(オズヴァルトさまのこの雰囲気。どうやら只事ではない内容のようですが、ひょっとして……)
「先日の夜会で、ランドルフ殿下が君にあのような振る舞いをした点だが」
(やはり、あの王子さまのことですね!)
真剣な顔をして、オズヴァルトのことを見上げてみる。
(何か、大変なことになってしまったのでしょうか……?)
「あの状況で、君は俺の前に出たな」
(うう、きっとそうです……! 私の余計な振る舞いの所為で、オズヴァルトさまにご迷惑を掛けてしまったのですね……)
肩を落としたシャーロットに、オズヴァルトは不思議なことを言った。
「あれは、俺のことを庇うためだっただろう」
「本当にごめんなさいオズヴァルトさま。私の所為で……んん、あれっ?」
どうやら、王城で問題が起きたという訳ではないようだ。しかし、オズヴァルトの眉間には皺が寄っていた。
「前提として、君が俺をそのように気遣う必要はない。……必要はないが、それとは別で、君に約束をしているな」
「…………」
「『君が俺の役に立てば、そのときは』と」
「…………?」
そう告げられて、シャーロットは首を傾げる。
『約束』には確かに覚えがあった。シャーロットが、オズヴァルトと交わした言葉を忘れるはずはないのである。
それでも理解が出来なくて、きょとんとした瞬きを繰り返してしまうのだ。
「ええと、あのう。つまり、それはどういった……?」
「……っ、だから……!」
ぐっと顔を顰めたオズヴァルトは、それでもシャーロットを真っ直ぐに見て、はっきりとこう言った。
「――――デートをしてやる。今夜、これから、手を繋いで」
「………………」
その瞬間から、たっぷり十秒以上の沈黙を開けた、そのあとのこと。
「ひっ…………ひあああああーーーーーーーーーーーーーーっ!?」
「っ、そんなに叫ぶな……!!」
シャーロットが上げた渾身の悲鳴に、オズヴァルトは額を押さえ、不本意そうに下を向くのだった。
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