43 王子さまに教えていただきます!
「ははっ、母国!? この国が貴様の母国だって!?」
「ランドルフ殿下。聖女は恐らく、この国にそれほどまでの愛着を持っているという比喩で……」
「前言撤回だ。随分と厚かましいな? 聖女シャーロットよ! 少しちやほやされたからといって、この国に居場所が出来たと思っているのか」
ランドルフが、歪んだ笑みを顔に貼り付けて言う。
「貴様など所詮、もとは他国の人間だ。国王陛下が戦勝なさった際、他国から差し出されたみすぼらしい子供。人間でなく戦利品だということを自覚しろ」
「聖女自身、それは重々承知しているはずです。どうか、それ以上のお言葉はおやめください」
「父上は冷たいお方だが、奴隷に身分を与えてやったという点ではおやさしいな! 本来ならば使い捨てられるはずだった存在が、『聖女、聖女』とちやほやされて育つことが出来たのだから」
「殿下!」
これまでずっと冷静な表情をしていたオズヴァルトが、眉根を寄せる。
「……それでも、シャーロットはこの国に尽くしてきました。それは事実のはずです」
けれどもランドルフは、ますます笑みを深くするのだ。
「はは、当たり前だ! 聖女は嫌でも従わざるを得ない」
ランドルフの指が、まっすぐにシャーロットを指し示す。
「なにせ聖女は、父上との契約魔術によって、縛られているのだからな」
「…………!」
その言葉に、シャーロットはとても驚いた。
けれどもそれを、表情には出さない。その代わりに目をみはったのは、オズヴァルトだ。
「契約魔術……?」
「おおっと! オズヴァルト、お前がそのことを知らないとは。……しかし当然か! これは『聖女シャーロットと王族のみが知っている』事実なのだから」
契約魔術というものは、いまのシャーロットでも覚えている。
(奴隷などとの契約に使う、強制の魔術です。対象者の魂に紐付けられるもので、命じられる内容はひとつだけ)
シャーロットは、自身の左胸に手を当てた。
(ですが、その命令には絶対に背けないようにされるもの。そうですよね? 以前の私)
問い掛けたって、答えが返ってくるはずもない。
そしてランドルフは、オズヴァルトが契約魔術の件を知らなかったことが、どうやら心底嬉しいようだ。
「特別にもっと教えてやろうか? オズヴァルト。聖女の魂に刻まれているのは、『死ぬまでこの国の王族の益になるよう尽くせ』というものだ」
「……契約魔術で下せる命令は、本来ひとつきりのはずですが」
「その通り。だが、そのひとつで服従を命じておけば、ある程度は便利に言うことを聞かせ続けられるという寸法だ」
オズヴァルトが、ぐっと眉間の皺を深くした。
「それでは、聖女が神力の封印に応じ、私の妻になることに合意したのは……」
「もちろん、それが父上の命令だったからさ! ……とはいえ、聖女は嫌がって随分と抵抗したよなあ。オズヴァルト、花婿であるお前が迎えに行って魔術で拘束するまで、魔術兵が随分とやられたんだぞ」
「…………」
「父上いわく、『命令を抽象的にすると、応用が利く代わりに、従わせるまでの時間と手間が掛かる』らしいんだ。聞き分けのない聖女で困ったものだが、契約魔術から逃げられるはずもない」
(――――!)
そう聞かされて、はっとする。あることに思い至ったが、それを顔には出しはしない。
「試しに僕が、聖女に何か面白いことを命じてやろうか? そうだなあ……」
ランドルフが笑ってみせた、その瞬間。
「…………ランドルフ殿下」
「!!」
オズヴァルトの放った声に、その場の空気が一気に冷えた。
(これは……!)
城内は魔法で温度調整されており、中庭でも寒くはなかったはずだ。
それなのに今は、シャーロットの肌すらぴりぴりとするほどに、この場は緊張感に満ちていた。
「僭越ながら、もう一度だけ進言いたします」
この中庭を支配するのは、オズヴァルトだ。
「何卒、これ以上のお戯れは、おやめください」
「オズヴァルト……!!」
忌々しそうにひび割れた声が、ランドルフから漏れ出る。
「自分の立場を分かっていないようだな!? 僕に逆らえばどうなるか分からないのは、聖女以上にお前の方だぞ!?」
「仕える方々の愚行をお諌めするのも、臣下たる者の役割と心得ております。――時には、自身が何もかも失う覚悟すら厭わないほどに」
「な……っ!!」
オズヴァルトの本気を感じ取ってか、ランドルフが青褪めた。
いまのオズヴァルトが纏う空気は、それほどまでに冷ややかなのだ。
薄暗い月明かりの中庭で、炎のような色をした赤い瞳が煌々と輝く。
「さ、下がれと言って……」
だが、このままではよくない。
「オズヴァルトさま」
シャーロットが彼の名前を呼ぶと、オズヴァルトが視線だけでこちらを見た。
「どうかおやめになって? 私、ランドルフ殿下にお伝えしたいことがございますの」
「……」
オズヴァルトはきっと、シャーロットのために怒ってくれている。
けれど、このままではオズヴァルトの立場が悪化してしまうのだ。彼がそれを覚悟してくれていたとしても、甘んじたくはなかった。
(オズヴァルトさまに、庇っていただく必要はございません。……もちろん、この『私』には、何らかの事情があったのかもしれませんが)
けれど、と思う。
(それでも、私のしたことは悪事)
思い出すのは、日記帳に見せられた光景だった。
(――そして私は悪人です。どのような事情があろうとも覆らない、許されない、不変のこと)
たとえ、誰かに強制されていたとしても。
そのころの記憶が消えていてもだ。
そう思うからこそシャーロットは、記憶喪失を秘密にして過ごしてきた。
(『私』がしたことの責任を負うべきは、オズヴァルトさまではなく、ここにいる私自身なのです)
だから、にこりと笑うのだ。
「ランドルフ殿下」
ハイデマリーに習った通り、自分に出来る最も美しい微笑みを。
なんでもないことのように、平然として。
「……私は、悪虐の限りを尽くしてきた聖女なのですよ?」
「――――……」
その笑顔を見たランドルフが、驚いて目を丸くした。




