40 旦那さまにきちんとお伝えします!
オズヴァルトの表情は、ひとつも変わらない。
真摯さを感じる無表情のまま、黙ってシャーロットを見据えていた。けれどもそれは、肯定の証だろう。
「オズヴァルトさまは、私を魔法で監視していると仰っていました。事実、私が無自覚に神力を発動させてしまったあと、すぐに気付いて私のお部屋にいらっしゃいましたよね?」
あのときは、冷え切ったまなざしで警告されたのだ。
「ですが、ごめんなさい。……私はそれ以降も、何度か神力を使ってしまっているのです」
「……」
オズヴァルトに叱られたのは、日記帳の一ページ目を開いたときだ。
そのあともシャーロットは、その次のページを開き、過去の映像を目にしている。それだけでなく先日は、ハイデマリーの温室で、怪我を負った令嬢イレーネを治癒した。
けれどもオズヴァルトは、そのことでシャーロットを叱らなかった。
「オズヴァルトさまが、私の神力使用に言及なさらなかった理由は。――私の監視魔法を、解除なさっているのですよね?」
「……」
両手の指を、胸の前できゅっと絡めながら、シャーロットは思い出す。
「オズヴァルトさまが発動なさった魔術は、どれも繊細で素晴らしいものでした。最低限の消費魔力で、最大の効果を発揮する……」
シャーロットがハイデマリーに教わったことに対し、オズヴァルトも同意していた。
あれは、決して社交術の話ではなく、自身の魔術について思うところがあったからではないだろうか。
「フェンリルさんとの一件で、オズヴァルトさまが睡眠魔法にこだわったのは、フェンリルさんの身を案じてが第一だとは分かっています。……ですが次点の理由に、強大なフェンリルを倒すほどの魔力を、あの場で使いたくなかったこともおありなのでは……?」
攻撃魔法に比べれば、睡眠魔法は使用魔力が少ないのだ。
オズヴァルトが目を閉じて、小さく息をつく。
「……それが、君の悩んでいたことか?」
「!」
尋ねられて、ふるふると頭を横に振った。
「正直に、申し上げなければなりません」
指先が少し震えていることが、どうかオズヴァルトに気付かれなければ良い。そう祈りつつ、こう言い切る。
「――私の神力は、回復しつつあります」
「…………」
フェンリルのことがあった一件で、それとなく自覚は生まれていた。
あのときのオズヴァルトは、シャーロットが神力を使うことで、生命維持のために残された分を消費すると案じてくれたのだ。けれども実際のところ、シャーロットは至って元気である。
そのあとも、イレーネのために治癒魔法を使った。
それでも何も異変が起きていないのは、シャーロットの中にある神力が、どんどん回復しているからに違いない。
「オズヴァルトさまが監視なさっていない間に、治癒魔法を問題なく使えるほどになりました。これは……これは、いけないことです」
「……」
シャーロットの神力は、国王の命令によって封じられた。
そしてシャーロットは悪人だ。国王には、封印を判断するだけの理由がある。そして、それを行ったのはオズヴァルトだ。
「神力が戻ってしまっているのなら、再度封じ直していただかなくてはなりません。下手をすれば、オズヴァルトさまが封印に失敗したと思われてしまいます! なのに、私は……」
胸の前で組んだ両手を、シャーロットはぎゅっと握り込んだ。
(正直に話すことを、怖いと思ってしまったのです)
それは、神力を封じられることそのものへの恐怖ではない。
(私が記憶を失ったきっかけは、神力の封印以外に考えられません。――神力と記憶が結びついているのです。神力が封じられてしまえば、きっと私の記憶も消えるのでしょう)
閉じた瞼の裏に浮かぶのは、目覚めてからこれまでの、ほんの短い日々のことだ。
(この記憶が。オズヴァルトさまが私に下さったお言葉、表情、思い出の全部が。……消えてしまうのが、とても怖かった……)
けれど、と思う。
(それでも。――こんな葛藤は、ここで何もかも捨てましょう)
シャーロットは目を開き、オズヴァルトを真っ直ぐに見上げる。
(この恋心は、確かにとても大事なもの。ですが、私にとって何よりも大切なのは、愛するオズヴァルトさまのお役に立つことです……!)
まなざしに強い意志を込めて、オズヴァルトに告げた。
「もう一度、私の神力を封じてください。オズヴァルトさま」
「…………」
「封印魔法の魔力消費は、封印の陣を刻むときに発生するもの。封印の解除や、再封印には、魔力を使用しないはずですよね?」
だからきっと、大丈夫だ。
回復を申告した以上、オズヴァルトはこれで滞りなく、シャーロットの神力を封じ直してくれるだろう。記憶は再び無くなるだろうが、それで終わりな訳ではない。
シャーロットはもしかしたらまた、オズヴァルトのことを好きになれるかもしれないのだ。
(もう一度、最初からこの方に恋をできるなら、それはとっても素敵なことです。……だから、大丈夫。泣かない、怖くない、怖くない……)
そんなことを、必死に自分へと言い聞かせた。
けれどもどうしても、体が小さく震えてしまう。視界が滲みそうになっていることを悟られないよう、くちびるをぎゅむっと噤んだままオズヴァルトを見つめる。
「…………」
オズヴァルトは、静かなまなざしをシャーロットに注いだまま、ゆっくりと口を開いた。
「――こちらへ来い。シャーロット」
「……っ」
こくりと頷いて、はい、と返事をする。
シャーロットが一歩を踏み出すと、金色の髪がふわりと靡いた。
同じ色をした月の光が、長い髪を透かしてほんのりと輝く。それをどこか他人事のように感じながら、オズヴァルトのすぐ目の前に立った。
彼の手が伸ばされる。
オズヴァルトに伝わらないよう、心の中で別れを告げた。
(……さようなら。大好きなオズヴァルトさま……)
覚悟をし、ぎゅっと目を瞑ったそのときだ。
「――――……」
オズヴァルトの手が、シャーロットの頰をむぎゅっと挟んだ。
「…………ふぁれ?」
「…………」
驚いて、思わず目を見開いてしまう。
するとオズヴァルトは、なんだか真顔に近い顔で、今度はシャーロットの髪をわしわしと撫で回し始めた。
「ふわわわわ、お、オズヴァルトさま……!!」
編み込みの部分が乱れないよう、ちょっとだけ気を使われているのを感じるが、それ以外は無遠慮に頭を撫でられる。
シャーロットも、ハイデマリー邸にいるフェンリルの頭を、こんな風に撫で回したことがあるのを思い出した。
オズヴァルトは最後に、シャーロットの頰を両手でむにっと引っ張る。
「つまり」
「はひ」
彼が目を伏せると、長い睫毛が強調されてとても色っぽい。
オズヴァルトは、赤い瞳でシャーロットを眺め、どこか掠れた声でこう言った。
「――君は俺に、またキスをして欲しいということか?」
「キ………………っ!?」
ぼんっ、と顔が赤くなるのを感じる。




