38 昔の旦那さまもきっと可愛いです!
オズヴァルトの言葉で聞き取れないものがあるなんて、一生の不覚だ。
そしてイグナーツは、シャーロットの悪評は知っているはずなのに、嫌な顔ひとつせず笑ってくれる。
「これはこれは。シャーロット殿に認めていただけるとは、嬉しい限りですよ。オズヴァルトが戻るまで、万全にお供いたしましょう」
(わあ、よかったです。オズヴァルトさま! ご安心くださいませ。私、ちゃんとお留守番しています!)
心の中でぶんぶんと手を振った。けれどもオズヴァルトは、なんだか微妙に面白くなさそうな顔をしているのだ。
「………………」
(あらら? オズヴァルトさまが物凄くしかめっ面を……私、何か選択を誤ったでしょうか!? ああっでも、そのお顔も本当に素敵です……!!)
渋面のオズヴァルトに対して、イグナーツはへらりと軽薄に笑いながら言う。
「オズヴァルト。行ってこいよ」
「……ふん」
(やりました! これで私の存在が、オズヴァルトさまのお邪魔にならずに済みそうです。それにそれに、イグナーツさまはオズヴァルトさまのお友達! なにか貴重なお話を聞けるかもしれません!)
オズヴァルトは溜め息をついたあと、こう言った。
「すぐに戻る」
「ほいよ。行ってらっしゃーい」
(行ってらっしゃいませ、オズヴァルトさま!!)
胸中では全力で見送りつつ、表面上は澄まし顔をしておく。そしてオズヴァルトは、少女たちの方へと歩き始めた。
可憐な彼女たちの表情が、一気に明るくなって華やぐ。
それに合わせ、オズヴァルトが傍にいなくなったシャーロットの周囲からは、参加者がさあっと離れていった。
(まあ……)
シャーロットは、自分を中心にぽっかりと空いた空間を見渡す。
(なんだか皆さま、あっという間に私から距離を置かれましたね)
「ははは、どいつもこいつも逃げ足だけは速い。お気を悪くなさってはいませんか? シャーロット殿」
「いいえ? ちっとも」
だってシャーロットは悪人だ。記憶がないとはいえ、その事実から逃げるわけにはいかない。
他の人たちが、シャーロットのことを恐れて遠ざかるのは、当然のことなのだ。
(もちろん、悲しい気持ちにはなりますが……)
内心でしゅんとしつつも、そんな資格は無いのである。
気を取り直し、離れた場所で女性たちと話しているオズヴァルトの方を見遣った。オズヴァルトたちは、彼女たちに礼儀正しい無表情を向け、何かを説明しているようだ。
三人の少女は美しく、可憐に着飾っている。
彼女たちは一様に拗ねた表情をしているものの、それでも輝くまなざしを見れば、オズヴァルトに恋しているのは一目瞭然だった。
じっと眺めていると、イグナーツが口を開く。
「オズヴァルトを悪く思わないでやってください。おふたりの結婚を伏せているとはいえ、さすがにあなたと一緒に謝罪へ行く訳には行かないでしょうから」
「謝罪?」
「おわ。しまった、あの件をご存じない?」
イグナーツは自身の口を塞ぐが、手遅れだったと言わんばかりにその手を外した。
「まったくあいつめ、こういうのは伏せる方が問題になりやすいんだぞ……? ええとあちらの三姉妹はですね。オズヴァルトの婚約者候補だった女性たちです」
「……まあ。そうですの」
「あいつはあなたとの婚姻に伴い、来ていた縁談をすべてお断りしたんですが、断った理由は伏せているでしょう? その結果、先方にとっては『明確な理由もなく縁談を断られた』ということになっているんで、改めての謝罪が必要なんですよ」
「…………」
「とはいっても、候補者はあの女性たちだけではないんですけどね。なんせあいつモテるから。ははは……はは、は……」
「…………」
「…………」
表面上は澄ましているシャーロットを見て、イグナーツは気まずそうに乾いた笑いをこぼす。
「………………申し訳ございませんシャーロット殿!! 我が発言の浅慮、謹んでお詫びいたします……!!」
(いえっ、むしろもっとお聞かせいただきたいのですが…………!?)
内心で興奮に打ち震えつつ、シャーロットは必死に無表情を取り繕った。
(だって、私の知らないオズヴァルトさま……!! 大好きなお方が、どんなお方にどのようにどんなポイントで好かれているのか知りたいです、知りたいです!! あわよくば私も語らいたい、同じ熱量で……!! うううっ、あちらの女性たち、話し掛けたら怖がられますよね!? せめて私に聞こえる場所で、オズヴァルトさまのお話をして下さらないでしょうか……)
そんな感情を噛み締めているうちに、イグナーツはどんどん恐縮してゆく。
「本っ当にやらかしました。すみません。しばし黙ってお供致しますので、何卒お許しを……」
(ああっ、大ピンチです! このままではイグナーツさまから、お話を聞けなくなってしまいます!)
そこでシャーロットは、ハイデマリーに教わった社交術のひとつを発揮することにした。
(その名も、『いま得ただけの情報を、さもよく知っている風に組み立てて話す』技術!)
なかなか難しい方法だとは聞いていたが、シャーロットはオズヴァルトのためならなんでもする。必死に思考を回転させ、つんとした表情で言い放った。
「イグナーツさま、でよろしくて? 結構ですわ。オズヴァルトさまから直接お聞きした訳ではありませんが、グミュール家がオズヴァルトさまを欲しがるであろうことは想像がつきます。……あの女性たちが、オズヴァルトさまにご執心であることも」
「シャーロット殿……」
イグナーツは目を丸くしたあと、ふうっと息を吐き出した。
「はーよかった……そう言っていただけて安心しました。さすがはシャーロット殿! 神殿暮らしが長くとも、世情をよくご存知でいらっしゃる」
(やっ、やりました!! なんとかこのまま、オズヴァルトさまのお話を聞くことが出来そうです!)
両手を上げ、わあっと飛び跳ねたい心境だ。シャーロットはそのまま誘導を試みる。
「オズヴァルトさまとは、長いお付き合いでいらっしゃるのかしら」
「そうですね。俺たちが十歳で魔術院に入学してからなんで、十年でしょうか。男爵家で育ったあいつは、膨大な魔力を見出され、ラングハイム公爵家の養子として引き取られました。その直後はいまの何倍も刺々しくてやんちゃで、ちょっとした問題児でしてね。想像がつかないでしょ?」
「…………そう」
扇子を口元に当てつつ、シャーロットはそっと目を伏せた。外から見れば優美な仕草だが、内心はもちろん別だ。
(十歳の……っ、オズヴァルトさま…………っ!!)
その言葉だけで、舞い降りた天使のような姿が目に浮かぶようだ。
「上級生にガンは飛ばしまくるわ、教師には逆らうわ。まあ上級生も下級生に当たりがきつかったし、教師は人道的に間違った指導をしてたんですが。オズヴァルトが喧嘩にも強くて成績優秀だったもんで、最終的には誰も文句が言えなくなってましたね」
(お小さいのに、そんなにつんつんしていらっしゃったのですか……!? なんと一生懸命生きてらっしゃるのでしょう……!! やんちゃでもいいです。元気に育って下されば。――そしてそれから十年経った結果が、いまの素晴らしいオズヴァルトさまなのですね!?)
「女子にもそりゃもう人気で。といってもあいつは、あまり嬉しくなさそうでしたけどね」
「…………」
胸の中で大騒ぎし、実際は口を噤んでいるシャーロットに、イグナーツがこう尋ねてくる。
「しかし、シャーロット殿。先ほどから、まるで嫉妬なさっていませんね」
「嫉妬?」
「ええ。……先ほどまでのご様子を見るに、あなたは神力を封じられて仕方なく従ったのではなく、本当にオズヴァルトのことがお好きでしょう」
「!」
その瞬間、シャーロットは少し迷ってしまった。
『以前のシャーロット』らしき振る舞いとして、どのようにするのが正解なのか分からなかったからだ。
ひょっとしたら、「違うわ」と言い放つべきだったのかもしれない。イグナーツを嘲笑い、「思い違いね」と告げる方が良かったのだろう。
けれど、これだけは否定することが出来なかった。
「…………それ、は……」
「……」
すると、イグナーツが微笑みを浮かべる。
イグナーツの顔立ちは、とても整っていた。遠巻きにこちらを見ていた僅かな女性たちが、思わず目を奪われた様子を見せるほどに。
「なんだ。シャーロット殿にも、普通の十八歳の女性らしいところがあるんですね」
多くの女性を魅了するであろう笑顔は、まっすぐシャーロットに向けられている。
けれどもシャーロットの抱いた感想は、その発言に対してだ。
(……私、十八歳だったのですね……!)
またひとつ学びを得た。自分が何歳でも興味はないのだが、オズヴァルトのこと以外も知っておいた方が良さそうだ。
でないと、先ほどの旧姓のように、オズヴァルトに迷惑をかけてしまうこともあるかもしれない。
「とはいえ、夫であるオズヴァルトが他の女性と話していても、お許しになる寛容さをお持ちのようだ」
そう言われて、シャーロットはふっと笑った。
「いいえ? ――許すも何も」
そしてシャーロットは、イグナーツにあることを告げる。
「――――……」
その『とある言葉』は、シャーロットの本心だった。
けれどもイグナーツは目を見開き、心底驚いたという表情で、シャーロットを見据えるのだ。




