34 旦那さまの言い付けを守れます!
オズヴァルトは少し難しい顔をして、シャーロットに念押しをした。
「いいか。夜会では奇行を慎み、俺の言うことをよく聞くように」
「はい、オズヴァルトさま!」
本当に分かっているのか、疑わしそうな視線を向けられた。そんなオズヴァルトも格好良くて、胸がきゅんきゅんと締め付けられる。
「夜会では主に俺が話す。君はなるべく他の人間に対し、『勝気で近寄り難い、冷たい態度』を取ってくれ。その方が面倒が少なくて助かる」
(むむ! つまりそれは、以前の私のような振る舞いということですね?)
シャーロットはそこで、気が付いた。
(確かにこれからお会いするのは、『悪虐聖女』の噂をご存知である方ばかりです。以前の私の知り合いだっているかもしれません!)
令嬢エルヴィーラたちが言っていたように、以前のシャーロットといまのシャーロットは、印象からしてまったく違う存在のようだ。あまりにも様子が違っていれば、記憶喪失が気付かれてしまうかもしれない。
(……オズヴァルトさまは、『いま』の私と以前の私が違うことに、何か感じていらっしゃるでしょうか?)
赤い瞳は、懸念に満ちたまなざしを向けてくる。
「……出来るか? 勝ち気で近寄りがたく、冷たい態度の女性として振る舞うんだぞ」
「はい、頑張ります!! ……うああっ!! 『大丈夫なのかこいつは?』というお顔をしていらっしゃるオズヴァルトさま、本当に本当に本当に格好良いですう……!!」
「――――とりあえず無理そうなのはよく分かった。なるべく口を閉じていてくれ」
すべてを諦めた顔をして、オズヴァルトは言った。
「それと、シャーロット。……君と俺が婚姻関係にあることは……」
「はい、オズヴァルトさま。ちゃんと覚えております」
はっきりとした返事のあと、シャーロットはにこりと笑った。
「夫婦であることは内密に。――ですよね?」
「……!」
本当は、もちろん記憶なんて無い。
けれどもきっと、記憶を失う以前のシャーロットは、オズヴァルトにそう命じられていたはずだ。
「……分かっているならいい」
(よかった。……世間には知られたくないことなのだと、想像していた通りです)
それが理解できていれば、オズヴァルトに迷惑を掛けずに済む。
シャーロットはそっと目を瞑り、こくんと頷いた。
何か言いたげな表情をしたオズヴァルトは、口を閉ざしたあと、切り替えるようにこう尋ねてきた。
「ところで、その髪型は?」
「これはですね! ハイデマリー先生のところでお友達になったエルヴィーラさまが、可愛くして下さったのです!」
「そうか。……ドレスの着心地に問題はないな」
「はい!」
いまはまだ、ドレスの上に外套を着ている。けれども自信満々に頷くと、オズヴァルトが手を伸ばした。
「では行こう。手を」
「ひええええええええ…………!? まっ、まっままま待って下さい!! ちょっともう一度手を洗ってきます、三十分ほどお時間をいただけますか!?」
「夜会が始まるだろうが。――貸せ」
「びああああーーーーっ!!」
「こら、吠えるな!!」
渾身の悲鳴を上げたのに、オズヴァルトはぐっとシャーロットの手を取った。
足元に転移陣が広がって、特有の浮遊感に包まれる。
瞬きをする間もなく、そこは豪奢なホールの入り口だった。
「着いたぞ」
そう声を掛けられるが、まずは頭の中で処理したい事実がある。
(お、オズヴァルトさまの手、オズヴァルトさまの手が私の手に!! 手袋越しでも伝わります、確かな指の感触……!! うっ、ううう、オズヴァルトさまの実体がここに……っ!!)
「シャーロット」
「!!」
はっと現実に帰ってくれば、目の前には確かな存在のオズヴァルトが居る。
そして周囲には、他にも転移してきたらしい人々が、一斉にシャーロットへ視線を注いでいた。
(これは……)
最初に突き刺さったのは、侮蔑のまなざしだ。
その次に、警戒心らしきものが注がれる。猜疑も、好奇心も、それから侮蔑も。
上質な衣服に身を包んだ男性や、ごく少数の女性が、シャーロットを取り巻くように観察していた。
「あれが、聖女シャーロット……。外見だけは美しいが、ようやく人前に姿を見せるとは」
「今や神力も封じられて、ただの小娘も同然なのだろう。そのような身分で陛下の御前に現れるなど、恥を知らんらしい」
「そんなことよりも、本当に安全なのかね? 聖女の傍には、ラングハイム閣下が監視役として、身を呈してついていて下さるそうだが……」
彼らから注がれているものは、総括すれば『敵意』と呼べるものだろう。
(――やはり私は嫌われて、憎まれているようですね)
ささめき声の渦中にあって、オズヴァルトはいつも通りの表情で言った。
「上着を脱いで、係の方に」
(……不思議です。オズヴァルトさまは、淡々とお話しになっているだけですのに)
たったそれだけの振る舞いで、オズヴァルトが庇ってくれているように感じてしまう。
(何はともあれ、いまの私はオズヴァルトさまのお傍を歩く身。であれば、オズヴァルトさまに恥じぬよう……)
シャーロットは顔を上げた。
そして、平然とした様子で微笑んでみせる。
「はい、オズヴァルトさま」
「――……」
そうしてひとつずつ丁寧に、それでいて手早くボタンを外した。
右手を後ろに持っていき、左手で袖口を摘む。右手の肩から滑らせるようにして右腕を抜き、今度は左手を抜く。
そういった所作を、最大限に優美な所作で行った。
そうして黒色の外套を脱ぐと、ふわりとドレスの裾が翻る。
「なんと……」
貴族たちから向けられていた視線に、僅かな感嘆の気配が混じった。
シャーロットの着ているドレスは、瞳と同じ水色だ。
肌の露出は控えめだが、鎖骨近くのデコルテが見えるデザインで、夜会の場における垢抜けた雰囲気をしっかりと醸し出していた。
幾重にもドレープが重ねられた一番上には、透き通ったシフォンの生地が使われている。
シフォンに施された刺繍も美しいが、このドレスで最も目を引くのは、シフォン生地がオーロラ色の光沢を帯びている点だろう。
見ようによっては紫にもピンク色にも見えるオーロラの光沢は、裾が揺れる度に雰囲気を変え、水色のドレスに繊細な変化をもたらした。
このドレスは、街でオズヴァルトが選んでくれたものだ。
そして今日のシャーロットは、令嬢たちによって、波打つ金色の髪を華やかに編み込まれている。
「う……噂には聞いていたが。『聖女シャーロット』が、これほど目を惹く女性だとは」
「一体誰だ? 『聖女の社交界嫌いは、ふさわしい所作も身に付いていないことが知られたくないからだ』などと言っていたのは!」
シャーロットは外套を預けると、淡い紅を施したくちびるで告げた。
「参りましょう、オズヴァルトさま」
「……ああ」
どこか驚いた様子のオズヴァルトが、すぐさま普段の表情に戻る。
この国では、他の招待客と正式な挨拶を交わすのは、夜会のホールに入ってからだとハイデマリーに教えられた。
オズヴァルトもそれに準じ、ここで他の貴族たちと言葉は交わさないのだろう。彼は視線だけで周囲に挨拶をすると、あとはシャーロットのエスコートに徹した。
オズヴァルトの腕に掴まったシャーロットが、ホールに向かって歩き始めると、ざわめきはますます大きくなる。
「本当にあれが、『悪虐聖女』シャーロットなのか?」
「じ、実は……聞いたことがある。聖女シャーロットは戦場において、たとえ敵味方の血を浴びようと、いつも優美に振る舞っていたと」
「道理で。それほど気位の高い女であれば、分不相応なこの夜会においても、堂々としているはずだ……!!」
貴族たちは、ごくりと喉を鳴らした。
「聖女シャーロット……あれはやはり只者ではない」
「陛下、そして殿下方が、どのような判断をなさるのか……」
(…………)
一方、シャーロットの心情も穏やかではなかった。
とはいっても、これから先に待ち受けていることへの恐怖心などではない。
(……うううう……っ!)
奥のホールを目指しながら噛み締めているのは、もちろんこんな感情だ。
(――嗚呼っ、これが……っ!! 素晴らしき、オズヴァルトさまのエスコート……っ!!)
思わず泣き出しそうになる感情を、なんとか澄まし顔で抑え込む。




