33 お出掛け準備は万全です!
そうして迎えた、夜会の日のこと。
「――さて。これから、転移陣で王城に向かうわけだが……」
「………………」
出発前のシャーロットは、夜会姿のオズヴァルトを目にし、胃の辺りを押さえたままきゅっと停止していた。
「集まっているのは、王族や上位貴族の面々だ。その大半が、神力を封じられた君を見物に来ていると思っていい」
「……」
「加えて君の『評判』もある。懸念は多いが、ハイデマリー殿から昨日渡された手紙には『なんとかなる』と書かれていた。信じていいんだな? シャーロット」
「…………」
「俺は君の監視役として傍にいるが、場合によっては離れることもあるだろう。そのときは魔術師の誰かが君の傍にいるはずだ。あとは……」
「………………」
「…………おい?」
言葉を止めたオズヴァルトが、異変に気が付いて眉根を寄せる。
「待て。どうして呼吸を止めている?」
「む……。……無理。です……」
「は?」
お腹を押さえたシャーロットは、生命の危機を訴えた。
「……夜会姿のオズヴァルトさま……っ!! 正装ですか、それは正装ですか、白い手袋はどうしてですか……!? あのっ、それに……!!」
ここに立っているオズヴァルトは、その前髪をいつもと違った雰囲気に固め、額が大きく露わになっていた。
清潔感があって上品なのに、それ以上の色気が溢れ出ている。彼が纏っているのは、華やかな軍服仕立ての衣装だった。
言及した通り、白い手袋を嵌め、胸元にはいくつもの勲章が着けられている。普通の夜会ではなく、錚々たる顔ぶれが集まる場なのだということは、それだけでよく分かった。
だがシャーロットは、夜会の格式を気にするどころではない。
音にならない掠れ声で、息も絶え絶えに紡ぐ。
「香水……!! 香水の香りがしています……!!」
オズヴァルトは、あからさまに二歩ほど後ろに下がった。
「……ごく僅かにな。それほど香らないはずなのに、何故数メートル先に居て気付く?」
「オズヴァルトさま……!! その、香水は一体、どこにおつけに!?」
「……………………首筋だが」
「ひああああああっ!!」
悲鳴を上げてしゃがみこんだシャーロットに、オズヴァルトがびくっと肩を跳ねさせた。
「首筋……!! それはつまりこの香り、オズヴァルトさまのお肌から香り立ったものということですよね!? それを私が感じられているということは、つまり私はオズヴァルトさまの肌に触れた空気を体内に吸い込めてしまっているということになって無理です無理無理無理息をしたら死んでしまいますう……!!」
「いや、馬鹿か君は!? 息をしろ、というかよくそれだけ一気に喋る余裕が残っていたな!?」
シャーロットはぶんぶんと首を横に振ったものの、本当に限界まで至ったところで、なんとか口で呼吸をすることに成功した。
「はあっ、はあ……! こ、これが夜会……! オズヴァルトさまの仰る通りです。なんという恐ろしい場所でしょうか……!!」
「いや、まだ会場にすら向かっていない。そもそも怖いのは君だ、香水ひとつで発想が飛躍しすぎだろう!!」
床に手を付き、懸命に呼吸を整える。
オズヴァルトはじっとシャーロットを見下ろしたあと、やがておもむろに口を開いた。
「……シャーロット。昨晩、俺と『練習』したことは覚えているな?」
「……!」
オズヴァルトの言う通り、シャーロットたちは昨日の夜、とあることを部屋で練習したのだ。
それを思い出し、シャーロットはぽっと頬を染める。
「お、覚えております……」
「よし。ならばもう一度復習するぞ」
「こっ、ここでですか!? ですが、ですが……!」
シャーロットがもじもじしてみせても、オズヴァルトに気にする様子はない。
そして彼は、シャーロットに向けておもむろに告げるのだ。
「シャーロット」
「は、はい……」
ごくり、と緊張に喉を鳴らす。
そうして彼は、あの言葉をシャーロットに向けて口にした。
「――『立て』」
「はい! 立ちます!!」
床にくずおれていた姿勢から、立ち上がってびしっと背筋を正す。
「『待て』」
「はい! 今度は良い子に待ちます!」
姿勢を正した姿勢のまま、オズヴァルトを一心に見つめる。どれほどオズヴァルトが格好良くても、ここは我慢だ。
オズヴァルトは、そこからたっぷり三秒数えたあと、静かに言った。
「……『来い』」
「!!」
この上ない喜びに満ち溢れる。
オズヴァルトまではほんの数メートルほどだが、シャーロットはその時点から全力で、オズヴァルトに向かって駆け出した。
「オズヴァル……っ」
「待て!! 『ステイ』だ『ステイ』!!」
「はっ、はいいい!!」
慌てて足を止めようとすると、勢い余って前につんのめった。
転ばずに踏ん張り、きらきらした目で彼を見上げる。
「でっ、出来ました! この状況でもちゃんと『ステイ』です!」
「違う、それ以前におかしいだろう!? この距離であの速度、君は俺に体当たりでもするつもりか!?」
「私、オズヴァルトさまにはいつでも、当たって砕けろの精神ですから!」
「砕ける勢いで当たられる方の損傷も考えろ!」
とはいえオズヴァルトは、心底苦々しい顔をしつつも、シャーロットを見ずにこう言った。
「………………『いい子だ』」
「……〜〜〜〜っ!」
小声で紡がれたご褒美に、シャーロットは自らの口元を覆う。感動で泣きそうになったものの、夜会用の薄化粧が落ちてはいけない。
「〜〜〜〜!! ……っ、…………っ!」
「一言も喋っていないはずのに、やたらうるさく感じるのは何故なんだ……?」
オズヴァルトは、額を押さえて溜め息をつく。
「まったく……。俺は夜会に子犬ではなく、人間を連れて行くんだが」
「ええっ!! ですが号令についてはオズヴァルトさまも昨晩、案外ノリノリで練習して下さったではないですか!」
「ノッていない! 必要に駆られて渋々だ」




