32 どうか元気になれますように!
思えばハイデマリーは、このお茶会においても、シャーロットが誰の妻であるかを伏せるようにと話していた。
(ですが、それも当然です)
シャーロットは俯いて、自分にそっと言い聞かせる。
(全部仕方がありません。だって私は、悪虐非道の行いをしてきたのですから!)
当たり前の事実なのだから、それに物思う資格は無いのだ。
そう思っていると、モニカが言う。
「実は父から聞いたのです。王城では、ラングハイム閣下と『聖女シャーロット』が婚姻すれば産まれてくるお子さまに期待出来ると、下世話な噂が立ったそうで」
「!!」
シャーロットを含め、全員が目を見開いた。
「まさか、あの残虐な聖女とですか?」
「有り得ない、不釣り合いだわ! いくら歴代最高峰と噂される聖女でも、我が国の英雄とも呼ばれるべきラングハイム閣下が、あんな恐ろしい女性と結婚だなんて!」
「…………」
シャーロットはきゅっと口を噤む。
だが、エルヴィーラが訝るような視線を向けたのは、シャーロットではなかった。
「どうしたのイレーネ。顔色が悪いわよ?」
「え? ……あ……私、その……」
ずっと黙っていたイレーネが、慌てて顔を上げようとする。
けれど、やはり様子がおかしいのだ。その証拠にイレーネは、手に持ったティーカップを取り落とす。
「きゃあっ!」
カップは地面の敷石にぶつかって、見るも無惨に割れてしまった。
「私ったら、なんということを……!!」
「だっ、駄目ですイレーネさま! 破片にそんな触れ方をしては……!!」
シャーロットが止める隙もなく、イレーネは破片を拾おうと手を伸ばす。そして、案の定ぎゅっと顔を顰めた。
「痛……っ!!」
「わああ、大丈夫ですか!?」
小さな手に傷がつき、ぱたたっと赤い雫が溢れる。
「た、大変! どなたかハイデマリー先生を!」
「駄目ですエルヴィーラさま! 先生は確か、夕方まで連絡がつかないと……」
「そうだったわ、どうしましょう。治癒魔法が使える方なんて、私のお知り合いではハイデマリー先生くらいで……イレーネ、痛いわよね? すぐに応急処置を……」
「み、皆さま!」
真っ青になって慌てる令嬢たちの前で、シャーロットは挙手をした。
「少しだけ、私に診せていただいてもいいでしょうか?」
「シャーロット? あなたまさか……」
シャーロットはイレーネの様子を確かめつつ、その手を取ってみる。
イレーネの肩が、怯えるようにびくりと跳ねた。指先から、その側面に続く傷口は、破片で切ったにしては深いようだ。
「大丈夫です、イレーネさま。ちょっとだけ、力を抜いていて下さいね!」
「あ……」
シャーロットはイレーネの両手を包み込むと、そっと想いを流し込んでみた。
(フェンリルさんの時のように。やさしく、そうっと、祈るみたいに……)
この痛ましい傷が、治ってほしい。
塞がってほしい。そんな感情と共に、念じてゆく。
すると、シャーロットの左胸に、ほわりと温かいものが生まれた。
「ご覧になって! 光が、イレーネさまの怪我を……」
シャーロット自身は目を瞑っていて、その光景は見えていない。けれど、自分から生まれたその力が、大切な友人に届いたことを確かに感じる。
「……っぷは!」
光が消えたような感覚で、無意識に止めていた息を吐いた。
目を開けてみると、シャーロットが包み込んだイレーネの手からは、先ほどの傷が消えている。
「な……治ったわ!!」
「シャーロット! あなた、治癒魔法が使えたの!? すごいじゃない!」
エルヴィーラたちが興奮したように声を上げ、シャーロットを取り囲む。
治癒を受けたイレーネは、呆然とした様子で自分の手を見ていた。
「あ……ありがとうございます、シャーロットさん……」
「いえ! いかがですか? 他にどこか、痛いところはありませんか?」
無事に治せてほっとしつつも、シャーロットは自分の手のひらを見る。
(やはり、私の神力は……)
心の中によぎったのは、昨日のフェンリルの件から抱えている、ひとつの悩みごとだった。
けれどもいまはそれを掻き消し、にこりと笑ってイレーネに尋ねる。
「今日のイレーネさま、ぼんやりなさっていてずっと心配でした。――何かあったのなら、いつでもお話ししてくださいね!」
「……!!」
イレーネは、目を丸くしてシャーロットを見つめた。
(社交会の流儀では、お相手の悩みに踏み込まないことが、原則なのかもしれませんが……)
けれどもやっぱり心配だ。
そしてシャーロットは、大好きなオズヴァルトから学んだように、そんな相手を素通りしたくないのだった。
「そうよ、イレーネ。本当は、見ないふりをした方がいいのかもしれないと思ったけれど……」
「ええ。力になれるなら言って欲しいです」
「皆さん……」
イレーネは瞳を潤ませたあと、そっと首を横に振った。
「ありがとうございます。ですが、大したことではありませんの。私ではなく、片想いのお相手が、ずっと元気が無いもので……」
「――それは一大事ではありませんか!?」
「!!」
四人で声を揃えてそう言うと、イレーネは再び目を丸くしたあとで、今度はおかしそうにくすっと笑ったのだった。
「ふふ……皆さま、ありがとう」
(よかったです。イレーネさま、少し元気になられたようで……)
胸を撫で下ろすと同時に、エルヴィーラが隣からシャーロットを覗き込んでくる。
「それにしても、ようやく納得したわ。あなた、治癒魔法が使えるから、元聖女であるハイデマリー先生の所に来ることが出来たのね」
(ハイデマリー先生、以前は聖女だったのですか!?)
びっくりしたものの、それを顔に出すことはせず、曖昧な笑顔を浮かべておく。
「治癒魔法を使えて名前が『シャーロット』なのでは、聖女シャーロットと混同されそうで迷惑ね」
「え、えへへ……」
「本当ですわ。それにしたって私、いままで『シャーロット』というお名前を聞くと、あの恐ろしい聖女の印象がとても強かったんですの。どうしても、冷酷な女性を思い浮かべてしまうというか」
「私もでした。ですが今は……圧倒的な存在感によって、イメージが書き換えられてしまいましたね。」
「そうね。『シャーロット』と言われると、ひたすら明るくてちょっと間の抜けた、そんな人を思い浮かべてしまうように……」
そう言ってみんながこちらを見たので、シャーロットはぱちぱち瞬きをする。
「ひょっとして。皆さまの中で、『シャーロット』といえば私、という認識に変わったということでしょうか?」
「…………」
みんなが沈黙で肯定した。
温室はしいんと静まり返るが、シャーロットだけは違う。
「ちょ、ちょっと、シャーロット! 何を笑っているのかしら!」
「えへ。……えへへ、えへ、ありがとうございます! もっと皆さまのお友達になれた気がして、幸せで!」
「別に、お礼を言われるようなことではないと思うのだけれど!?」
けれどもシャーロットは嬉しかった。
それと同時に、自分が『聖女』シャーロットであることを知られるのが、少しだけ怖いとも感じるのだ。
「………………」
いまこのとき、シャーロットに含みのある視線を向けている人物がいることには、気付かない。
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