31 世間の認識を知りました!
それからのシャーロットは、街で暴れたフェンリルについてのその後を聞いた。
フェンリルの保護について、オズヴァルトが話をつけてくれたのは、なんとハイデマリーだという。
オズヴァルト曰く、「あの方は魔物の保護活動をしていて、とりわけフェンリルには手慣れている」とのことなのだ。ハイデマリーの元にいた狼は、普通の狼ではなく、フェンリルの幼体だったのである。
そのため、翌日のハイデマリーは街に出掛けることとなり、シャーロットの授業は午前だけになった。
授業が終わるとお茶会を始めるのは、ここ数日の日課となりつつある。
「――それではフリーダさま! 頼れる義理のお兄さまと、同じ街へ留学なさることにしたのですか!?」
ハイデマリー邸の温室に、シャーロットの明るい声が響き渡った。
円卓を囲んでお茶をしているのは、先日から恋の話を聞かせてもらっている令嬢たちだ。そして今日、最初に話をしてくれたのは、義理の兄に恋をしている令嬢フリーダだった。
茶色い髪を編み込み、いつも大人っぽく纏めている彼女は、こほんと咳払いをして言う。
「好きな人をシャーロットさんに無理やり暴露させられたあと……父に、話してみましたの。私は三女ですし、いずれは家を出されると覚悟していたのですけれど、勉強は出来るつもりですわ。ですから留学先で好成績を収めて、家に残した方が得だと父に判断されれば、その……」
「後継ぎとして養子にいらしたお兄さまの、結婚相手になれるかもしれませんね!?」
「ま、まだ分かりませんわよそんなの!! ですが、留学はひとまずお許しいただけそうで、そうなればお兄さまとは同じ下宿先に……」
もじもじと言ったフリーダに、シャーロットは全力で拍手をする。
「わ、私のことよりもモニカさまこそ! シャーロットさんとのお喋りのあと、思い切って幼馴染の方にお手紙を書いたら、『春休みに帰る、そのときに真剣な話がしたい』と昨日お返事が来たのでしょう!?」
「ええっ!? それはひょっとして、ひょっとするのでは……!?」
シャーロットの話に、喧嘩ばかりの幼馴染のことがずっと好きだったと打ち明けてくれた令嬢モニカは顔を赤らめた。
「じ、実は……。その、昨夜お手紙の返事を書いて、魔法で送ったのです。そうすると、『春休みを待てない、やっぱり明日帰る』とお手紙が。なので今夜彼と一緒に、な、何故か私のお父さまと会うことに……」
「えええっ!?」
「どっ、どうか皆さま、今夜こそ私が彼と喧嘩しないように祈っていて下さいまし……!!」
顔を覆ったモニカに対し、みんなで「きっと大丈夫」と声を掛ける。
モニカは、今夜のことで頭がいっぱいであるはずなのに、それでも友人に言葉を掛けた。
「ですが、エルヴィーラさま。シャーロットさまが、好きな人と街に買い物に行かれるお話を聞いたあと、エルヴィーラさまも護衛の方をお誘いになったのですよね?」
「え! そうなのですか?」
「べっ、別に、あれは……!!」
令嬢たちの中心人物であるエルヴィーラは、ティーカップを手につんとそっぽを向きながら、赤い顔で答えた。
「シャーロットが羨ましくなったとかじゃないのよ! ただ……先日あの子が私を庇ったとき、カフスボタンを落としたと言うから……! 護衛の忠義に報いるのは、主として当然の務めでしょう?」
「ふふ。仰る通りです、エルヴィーラさま」
「へらへら笑っているけど、シャーロットあなたこそ……!」
落ち着かない様子でお茶を飲みながら、エルヴィーラは尋ねてくる。
「どうだったのよ! 例の、政略結婚した片想いのご夫君とのお買い物は!」
「!!」
指摘された言葉に、シャーロットはびゃっと背筋を伸ばした。
四人の令嬢たちの視線が、どこか緊迫した様子で注がれる。シャーロットは数秒置いたあと、耐えきれずにふにゃりと表情を緩める。
それを見て、エルヴィーラを筆頭にした令嬢たちが声を上げた。
「なによ、シャーロットこそ上手くいったんじゃないの!!」
「いえっ、違うのです恐れ多い……! ただただオズ……旦那さまが、お買い物中もとっても格好良かったので……!!」
頰がとろけて落ちないよう、両手で押さえてにへにへと笑った。
その一方で、気付かれないように、ちらりとある人物を見遣る。
シャーロットの隣に座っているのは、魔術学院の同級生に恋をしている赤髪の令嬢、イレーネだった。
(大丈夫でしょうか、イレーネさま。今日のお茶会で、一度もお話をなさっていませんが……)
ほかの令嬢たちも、そのことには気が付いているはずだ。しかし、お互いに敢えて触れないようにしているらしい。
(これも、社交会のひとつの礼儀ということなのですね。私もそれに合わせませんと……)
エルヴィーラは、イレーネをさり気なく一瞥したあとに、再びシャーロットに話し掛けた。
「南の街ということは、コレントの都まで行ったのでしょう? あなたの旦那さま、センスが良いわね」
「はい! 旦那さまは何処を取っても完膚なきまでに、隅から隅まで素敵なお方なのです! ……コレントの都というのは、どのような街なのですか?」
シャーロットが問うと、みんなは目を丸くする。
「あなた知らないの!?」
「田舎の出だとは聞いていたけれど、本当に田舎から来たのね。コレントは第二王子殿下が商いの御公務を担当なさっていて、あちこちの国からの流行が最初に辿り着く街と言われているのよ」
「むむ……! で、では北は? 北の領地はいかがでしょう?」
北というのはラングハイム領、つまりはオズヴァルトの領地だ。
ハイデマリーの屋敷が何処にあるのか、シャーロットはよく知らない。いつもは転移陣で飛んでくるが、少なくともオズヴァルトの領地ではないと感じていた。
令嬢たちは、お互いに顔を見合わせると、「北ねえ……」と意味ありげに呟く。
「北はちょっと怖いのよね。北の国境は、ふたつもの大国と接地しているでしょう?」
(そうなのですね……)
「この国も大きいけれど、北の二カ国も同じくらい大きいわ。あの二カ国と戦争になった場合、真っ先に危険が及ぶのは北の領地だと言われているもの」
話しながら頷く彼女たちに合わせて、シャーロットもふんふんと相槌を打った。
「北の国境が守られているのは、ひとえにラングハイム公爵閣下がいるからだわ」
(オズヴァルトさま!)
大好きな人の名が挙がり、シャーロットは目を輝かせた。
「北の国々は、『大陸随一の天才魔術師』と称されるラングハイム閣下を恐れて、この国には容易に攻め込んで来ないのでしょう?」
「お父さまも仰っていたわ。ラングハイム閣下は、戦場でそれはお強かったって。お父さまは遠目にだけど、直接ご覧になったらしいの。羨ましいわ」
「その功績が讃えられて、貴族の中ではいま、一目置かれていらっしゃるのですよねえ……あの、シャーロットさん?」
食い入るように聞いているシャーロットに、少女たちが不審そうな目を向ける。
(い、いけませんいけません! オズヴァルトさまのお話に聞き入っていることは、気付かれないように……と)
シャーロットは慌てて座り直し、にこっと笑った。
「ごめんなさい! 皆さま博識でいらっしゃるので、とても感動してしまいました! 是非そのお話、もっと続けて下さい!」
「そ、そう? でも、ラングハイム閣下といえば今、さまざまなお家が狙っていらっしゃるのよね」
「狙う、とは?」
「それはもちろん」
シャーロットが顔を顰めると、彼女たちは少しはしゃぎながら言う。
「オズヴァルト・ラルフ・ラングハイム閣下の、妻の座よ!」
「…………」
ぱちり、と瞬きをした。
「妻の座……」
「娘がいる家は、どこもラングハイム閣下の気を引こうと必死よ。私の所にも叔父さまから、閣下が出席なさる夜会へ出るようにとのお話があったもの。……こ、断ったのは別に、他意があるわけじゃないけれど……!」
シャーロットは、ややあって納得する。
(――オズヴァルトさまと私の結婚は、世間では、公になっていないのですね)




