30 こう言えば信じていただけますか!?
少し身を屈めていたオズヴァルトは、シャーロットの耳元からくちびるを離したあとに背筋を正す。
それでもシャーロットを抱き寄せたまま、顔を隠してくれている彼に、ひとりの男性が話し掛けたようだ。
「お、おい兄ちゃん。そんなにすぐに行かなくてもいいじゃないか」
「そうだよ。どうだい? そこの店で話しでも。あんたの魔法も、そこのお嬢ちゃんの治癒魔法も、それはそれは素晴らしかった」
「折角のお申し出ですが」
オズヴァルトは、シャーロットの髪を撫でながら言った。
「私の妻が、疲れてしまっているようなので」
「――――!?」
こうなると、何かを思考するどころではない。
固まってしまったシャーロットをあやすようにしながら、オズヴァルトが人々に一礼した。
「それでは、皆さまも帰路にお気を付けて」
「待っ……」
魔力の発動を感じると共に、周囲の景色が切り替わる。
そこはシャーロットの寝室で、オズヴァルトはふうっと息をついた。そのあとで、シャーロットに回していた腕の力を緩める。
「さて。シャーロッ……」
「……………………」
シャーロットは、無言ですすすっとオズヴァルトから後ずさった。
「……おい? どうした」
「………………」
「いつもなら、暴れて大騒ぎする頃合いだろうが。なぜ無表情で、遠くを見る目をしながら黙っている」
オズヴァルトの指摘通り、虚ろな瞳で『無』の表情を浮かべたシャーロットは、ぽつりと小さな声を漏らす。
「……りです……」
「は?」
「むりです。私はいま、五感のすべてを停止させようと努めています」
「何を訳の分からないことを言っている」
「…………オズヴァルトさまが、あんなひどいことをなさるから…………」
両手がわなわなと震えている。
シャーロットは、恐ろしいものを見るときのまなざしで手のひらを見下ろしたあと、わっと声を上げながら両手を覆った。
「ふぐううううっ、いっ、一体どうしてこんな目にい……!! ひどいですあんまりです残酷です!! 私の視覚も聴覚も嗅覚も触覚も、すべてオズヴァルトさまに破壊されてしまいました!! あっあっ駄目です五感、いま動作してはいけません、再起不能になってしまいます!! ここに追加で目の前にいるオズヴァルトさまの存在を認識しては、いよいよ正気を失ってしまいますううううう!!」
「人聞きの悪いことを言うな!! あと、いまの時点でそもそも正気を失っているからな!?」
一瞬で無表情を保てなくなったシャーロットは、顔をくしゃくしゃにしながら床にくずおれた。ここ数日、オズヴァルトにときめくたび床に突っ伏している所為で、いっそ寝台より落ち着く場所だという疑惑もある。
「ひぐっ、ひぐっ、うう……。睡眠魔法を使うオズヴァルトさまもっ、氷魔法を発動なさるオズヴァルトさまも……!! 世界で一番格好良かったです…………」
「……とりあえず、体調面が本当に問題なさそうなのはよく分かった」
「私を心配して下さったのですか!?」
「その涙でぐしゃぐしゃの状態で抱きついてこようとするんじゃない!」
あまりにも嬉しくて、思わず体が動いてしまったのを反省した。オズヴァルトがやさしい人だということはもう知っているが、自分にも向けられていると思うと幸せだ。
(えへへ。嫌っている妻にまで、こんなにも気を配って下さるなんて……)
蕩けそうになった頰を両手で押さえ、にへにへと喜びを噛み締める。
するとオズヴァルトが、苦い表情でこちらを見下ろした。
「……君は今回、するべきではない無茶をした」
「!」
その声音に、シャーロットは背筋を正して座り直す。とはいっても、床の上だ。
「君に残した神力は乏しい。治癒魔法が発動できる確証は、無かったのではないか?」
「……はい……」
オズヴァルトの言う通りだ。
神力の問題は元より、シャーロットには治癒魔法の使い方がいまひとつ思い出せていなかった。あの状況下で、フェンリルに振り落とされたり、攻撃されたりする前に発動させられたのは奇跡である。
「本当に死ぬかもしれなかったんだぞ。そのことを、君は理解して……」
そう言われた瞬間に、シャーロットははっとした。
「オズヴァルトさま……!!」
慌てて立ち上がり、深々と頭を下げる。
「申し訳ありませんでした!」
「!!」
突然謝罪したシャーロットに、オズヴァルトが息を呑んだのは感じた。
(なんという浅慮でしょう。あのとき私に何かあれば、責任を負わされるのはあのフェンリルさんと、オズヴァルトさまだったはずです)
泣きたい気持ちで顔を上げ、目の前の大好きな人を見上げる。
オズヴァルトは国王の命令で、シャーロットの監視のために結婚したのだ。
悪虐な聖女だったシャーロットを殺さず、こんな方法で監視しているのなら、シャーロットが死んでは都合が悪いということになる。
(……私が死ねば、オズヴァルトさまの監督不行届ということになって、オズヴァルトさまが叱られてしまいます。それに、あのフェンリルさんも罰を受けていたかもしれません。そんなことにも気付かず、勝手な行動をして)
シャーロットひとりが傷ついて死ねば済むという、そんな問題ではなかったのだ。
そのことを、心から反省する。
「今後はもう、このように向こう見ずなことは致しません!」
「……どうだかな。フェンリルの元に飛び出した君は、迷いが無かった」
「あ……あの瞬間は、何も考えていなかったのです! これからは大丈夫です、本当に! 命の危険がない方法で、オズヴァルトさまのお役に立ちたいと思います!」
だが、オズヴァルトからは疑わしげな目を向けられたままだった。
(ううう駄目です、信用されていません! もっとこう、私が言って説得力のあることを……)
シャーロットは困り果てつつ、必死に考える。そして、ひらめいた。
「ええと、その……っそうです!! 無茶をしすぎない方法で、安全に――オズヴァルトさまのお役に立てたら、私とデートして下さいますか!?」
「は……?」
この、『オズヴァルトとデートをしたいので』という理由付けならば、彼に信じてもらえるのではないだろうか。
至って真剣な提案だったのだが、オズヴァルトは思い切り眉根を寄せた。
絶対零度の空気が漂って、雪景色の外よりも寒くなった気がする。
「う。……だ、だめですよね、こんなのでは……」
シャーロットが萎れて悲しい顔をすると、オズヴァルトはますます眉間の皺を深くした。
「ふん」
きっと、ものすごく怒られるに違いないと覚悟する。
だが、次に紡がれた彼の声音は、ぶっきらぼうだが想像よりも優しいものだった。
「……本当に出来るものならば、手を繋いでデートでもなんでもしてやる」
「………………!!」
両目に映る視界いっぱいに、ぱあああっと明るい光が差す。
「お……オズヴァルトさまあーーーーっ!!」
「分かったから離れろ、抱きつくな!!」
こうしてシャーロットは、街での買い物をした一日の中で、大きな反省と学びを得たのだった。
けれどもオズヴァルトには言わないでおく。
心の中に、ふたつほどの気掛かりが生まれていることを、今はまだ言い出すことが出来なかった。
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ここまでで3章は一区切りとなります!
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