29 ある意味最大の危機でした!
「おい、凄いぞあんたら!! 息もぴったりだったじゃねえか!」
「本当に良かった。あれだけでかい魔物が暴れて、どこにも被害が出ないとは!」
興奮した様子で駆け寄ってきた人々に対し、オズヴァルトは涼しい顔で答える。
「いえ。このような状況下で助け合い、勇敢に振る舞って下さった方々あってこそです。ところで、このフェンリルの所有者は……」
どうやら、このまま周囲の人たちに聞き取りを始めるようだ。シャーロットはほうっと息をつき、くうくうと眠っているフェンリルを見遣る。
(おやすみなさい、フェンリルさん)
大きな耳の付け根を撫でたあと、これ以上の眠りを邪魔しないように、シャーロットは氷柱のあいだから外へ出た。
こんな騒ぎを起こしてしまったフェンリルは、このあと大変な目に遭わないだろうか。
それが心配になるものの、オズヴァルトは、フェンリルを運んでいた馬車の人と話している。
(はあ……。真剣な顔をなさっているオズヴァルトさま、格好良いです……)
その凛とした横顔を見ていれば、きっと大丈夫だと思えてきた。シャーロットはにこにこしたあとで、自分の左胸に手を当ててみる。
(それにしても……)
左胸には、ほわほわと温かな熱が残っていた。恐らくは、先ほど治癒魔法を使った名残なのだろう。
(神力はどのような状況なのでしょうか? 生命維持に必要な最低限しか残っていないのなら、先ほどの治癒で枯渇していそうな気もします。なのに……)
心臓の辺りに手を当ててみても、苦しさや痛みは感じない。
(ひょっとして)
思い当たったのは、ひとつの可能性だ。
(――封じられていた神力が、回復してきているのですか?)
その瞬間、シャーロットに声が掛けられた。
「凄かったなお嬢ちゃん! あんた、治癒魔法が使えるのかい?」
「あ……」
男性の言葉に、シャーロットは肩を跳ねさせる。
「この辺りには、治癒魔法を使える女性はひとりしか居ないんだ。その人は赤髪のはずだから、あんたは遠くから来た人だろ?」
「ひょっとして、他ではそれなりに名の知れた人なんじゃないかい? よかったら名前を聞かせておくれよ」
「あ、あの! 私はその、ええっと……」
騒ぎが収束したのを察してか、大通りにはあっという間に人が増えつつあった。
眠ったフェンリルを遠巻きに観察したり、事後処理に動いているオズヴァルトを見に行ったりと、彼らの目は好奇心に満ちている。
(ど、どうしましょう)
その視線は、もちろんシャーロットにも向けられ始めた。
(これだけ沢山の方がいらっしゃったら、『私』の知り合いがいる可能性も……! 鉢合わせたら記憶喪失がバレてしまいますし、私が『聖女シャーロット』だと皆さんに知られれば、大騒ぎになるかもしれません!)
こうなったら、急いで注目から逃れたい。
(とっ、とにかく顔! 私の顔を隠しませんと! ですがローブなども着ていません。両手で顔を覆って隠すのは、あからさますぎて不自然ですし……!!)
「おい。どうした?」
「オズヴァルトさま……っ」
オズヴァルトは、シャーロットを見下ろして目を細めた。
(か、『顔を隠したい』と伝える方法がありません……!! オズヴァルトさまに耳打ちなんて、そんなに近付くことは出来ませんし……!)
シャーロットが狼狽えている間に、オズヴァルトは何かを察したようだ。
「……ああ。なるほど」
そうして彼は、シャーロットに手を伸ばす。
そしてそのまま、包み込むように抱き締められた。
「…………!?」
シャーロットは思わず目を見開く。
いったい何が起きたのか、状況を飲み込めるはずもない。だというのに、オズヴァルトは追い打ちをかけるように、大きな手でシャーロットの頭を撫でる。
「――怖いのに、慣れない治癒魔法を頑張ったな」
「ひわあ……っ」
ぽんぽんと触れるその仕草は、小さな子供をあやすかのようだ。
抱き締める力はやさしいのに、まったく身動きが取れなかった。呼吸が出来なくなりそうで、シャーロットは彼の外套を握り締める。
「あっ、あの、オズヴァルトさま……!」
「すっかり震えている。……可哀想に」
(ひええ……! どうしてそんな、おやさしい声で……!!)
震えているのは、フェンリルが怖かったからではない。
そんなことは分かっているはずなのに、オズヴァルトは離してくれなかった。周囲の人々もこちらを見て、ざわざわと声を上げている。
オズヴァルトは、身じろぎするシャーロットの耳元にくちびるを寄せると、少し掠れた小声で紡いだ。
「……こら。大人しくしていろ」
「ひん! だっ、だって、あの」
「自然にここから離れる流れに持っていくから、話を合わせてくれ。民衆に怪しまれない程度に、君を隠す」
(隠し方が、あまりにも心臓に悪すぎますーーーー……っ!!)
顔を隠すためだとは思うのだけれど、なにも抱き締めなくてもいいのではないだろうか。シャーロットはぎゅうっと目を瞑り、声にならない悲鳴を上げた。
「フェンリルの処遇については、持ち主と話をつけておいた。これ以上、俺たちに出来ることはない」
「ふぁっ、ふぁい、あう」
言葉にならない返事を継ごうとしていると、オズヴァルトは言うのだ。
「帰ろう」
その声音に、どこか甘やかすような雰囲気が混ざる。
「……な?」
「~~~~っ!!」
囁きを聞いて、気を失わなかったのが奇跡だった。




