28 治癒する力がありますか!?
シャーロットの背中に向けて、オズヴァルトが叫ぶ。
「言葉の中身をはき違えるな!! 君に残している神力は、生命維持に必要な最低限の量なんだぞ!?」
「大丈夫です! オズヴァルトさまの格好良いお姿を拝見した瞬間の方が、命の危機を感じますので!!」
「なんら大丈夫ではないだろう!!」
フェンリルと対峙するオズヴァルトが、いまは下手に動けないであろうことは、立ててみた予想の通りだった。
そしてそれは、フェンリルの方も同様だ。
檻の中に入り込んだシャーロットに、フェンリルが驚いて飛び掛かろうとした。再び舌打ちをしたオズヴァルトが、新たな睡眠魔法を放つ。
フェンリルがそちらに気を取られ、頭を正面に向けた瞬間、シャーロットはその首に抱き着いた。
「っ!!」
傷口はもちろん避けるものの、しがみつくのは大変だ。フェンリルは全力で体を揺すり、シャーロットを振り落とそうとする。
「大丈夫……っ、大丈夫ですから……!!」
「シャーロット!!」
後ろから、オズヴァルトの駆ける足音が聞こえて来た。
彼が助けに来てしまう。そうなれば、オズヴァルトにも危険が及ぶ。
シャーロットはぎゅうっと目を瞑り、必死に思考を回そうとした。
(思い出すのです、神力の使い方!! あの日記帳、一ページ目を開いたときの、対象に力を注ぐ感覚を……!!)
額をフェンリルに押し付け、振り落とされないよう震えるほどに腕の力を強める。
日記帳を開こうとしたとき、とにかく強く念じたのだ。そのときの記憶を引き寄せながら、シャーロットは祈った。
(私の神力を捧げます。生命維持に必要な分も、持って行って下さって構いません!! だからどうかこの怪我を治して下さい。癒して下さい)
左胸に、温かな感覚が生まれてくる。
(魔法があっても眠れないくらいの強い痛みを、このフェンリルさんから消し去って……!!)
願いと共に、力が溢れ出てくるのが分かった。
心臓の辺りで生まれた光が、すぐさま辺りに広がってゆく。光は柔らかな毛布のように、フェンリルの傷口を包み込んだ。
「傷口が、塞がりました……! オズヴァルトさま!!」
「――っ」
すぐ傍で足を止めたオズヴァルトが、瞬時に魔法陣を展開する。
短い光が走り、稲妻のようなそれがフェンリルに絡み付いて、フェンリルがとすんと尻餅をついた。
「っ、大丈夫ですか……!?」
フェンリルに駆け寄ったシャーロットは、もう一度その首筋を確かめる。
痛々しかった大きな傷は、跡形もなく消えていた。ほうっと息をついたシャーロットに、フェンリルがそっと顔を寄せる。
そして、甘えたようにクゥ……と鳴いた。
「よしよし、良い子。……痛くて、怖くて、我を忘れてしまったのですね?」
シャーロットがそっと手を伸ばすと、フェンリルは鼻先を擦り付けてくる。
「怪我をしているのに、檻に入れられて運ばれて、泣きそうな思いでいたのですか? ……大丈夫。もう、大丈夫ですから……」
フェンリルをあやすシャーロットに、氷柱の間を抜けて来たオズヴァルトが尋ねてきた。
「……君こそ大丈夫なんだな? シャーロット」
「はい。私に怪我はありません!」
大きく頷くと、オズヴァルトは溜め息をついてから教えてくれる。
「集団で生きるフェンリルは、有事の際に群れで一番弱いものを守ろうとする。負傷によって恐怖心を感じていたフェンリルは、自分が感じている恐怖から、人間の子供を守ろうとしていたのかもしれない」
「……そういえば。フェンリルさんは、小さな子のところに向かおうとしていましたが、子供たちに唸ったり牙を剥いたりする様子はありませんでした」
考えてみれば、フェンリルの様子がおかしくなったのは、母親である女性が娘を連れて檻から離れようとしたときからだ。
「小さな子を守ろうとして、傍に行きたかっただけなのですか? それを邪魔する人たちを、あなたや子供たちの敵だと感じて、攻撃しようとした……」
「……人々がフェンリルを止めようと行動するのは、当然の動きだ。君だって、一歩間違えれば殺されていてもおかしくなかったし、神力が枯渇すれば命に関わるんだぞ。何故あんな無茶をした?」
「それは、もちろん!」
フェンリルの鼻先を撫でながら、シャーロットはにこっと笑う。
「少しでも、大好きなオズヴァルトさまのお役に立ちたかったからです!」
「……」
オズヴァルトは眉根を寄せたまま俯いて、前髪を掻き上げるように額を押さえた。
「頼むから、そんな理由で命を懸けるんじゃない」
「そうは仰いますがオズヴァルトさま……」
オズヴァルトだって、フェンリルを傷つけたくなかったはずだ。
氷柱は、フェンリルに一本も刺さっていない。民衆が声を荒げても、オズヴァルトは極限まで、攻撃せずに済む道を探っていたのだ。
そのとき、フェンリルが大きなあくびをする。
緩やかな瞬きを二度重ね、前足を投げ出すように座り直した。そのあとで、もう一度シャーロットに鼻先を擦り付けたあと、前足の上に頭を乗せる。
それを見て、人々が安堵の息をついた。
「見ろ、ようやくだ……」
「っ、ああ……!」
フェンリルがゆっくりと、幸せそうに目を閉じる。
その瞬間、周囲からわあっと歓声が上がった。




