27 やるべきことをしたいです!
外套の裾をはためかせたオズヴァルトが、宙を掻き切るように人差し指を動かした。
光を帯びた魔法陣が、フェンリルの真下に展開される。その陣が水色に発光すると同時に、上空には十数本の氷柱が生まれた。
「嘘だろ……!? あの兄ちゃん、あんな巨大な氷柱を大量に!!」
「しかもあの数、ほんの一瞬で生み出したぞ!?」
「――……」
周囲の人々が声を上げる中、オズヴァルトが地面に向けて指を動かす。
それに呼応した氷柱が、一気にフェンリルの周りへと降り注いだ。
がががっと煉瓦が砕ける音、氷柱のぶつかる音と共に、身を竦めたフェンリルが咆哮を上げる。びりびりと空気が震えるも、オズヴァルトは表情ひとつ変えない。
彼の作り出した氷柱の檻は、魔法陣の外周をなぞる形で煉瓦道に突き立てられていた。
その中に閉じ込められたフェンリルは、魔法の直撃こそ無かった様子であるものの、完全に行く手を封じられている。
「っ、ふわああああ……!!」
一連の出来事に見惚れながら、シャーロットは歓喜の叫びを漏らす。
「せ、世界一格好良いですオズヴァルトさまあ……っ!!」
「……とりあえず、君に怪我が無さそうなのはよく分かった」
言われた通りに元気だった。なにせ、オズヴァルトの姿を目にした瞬間から、シャーロットに力が満ちてゆくのだ。
(体の震えが、一瞬で止まりました……!!)
きりっと顔を引き締めて、腕の中の子供たちに声を掛けた。
「おちびさんたち、立てますか!? あっちで呼んでる女の人、あなたたちのママですよね? 大丈夫、今ならフェンリルさんは動けませんから、急いであちらに戻って下さい!」
「う、うん……!! ありがとうお姉ちゃん、お兄ちゃん……!」
涙目で震える兄が、幼い弟の手を握って駆け出す。シャーロットは息を吐き、オズヴァルトを振り返った。
「オズヴァルトさま……っ」
それと同時に、オズヴァルトが魔法をひとつ発動させる。
宙に展開される魔法陣と、それが放つ紫色の光。稲妻のような形を取ったそれが、フェンリル目掛けて走った。
魔法陣の展開から発動まで、平均的には十数秒が掛かるものだ。だというのにオズヴァルトの魔法には、瞬きをするほどの隙もなかった。
けれど、と思う。
「その魔法は……!」
「……」
フェンリルが再び鳴き声を上げる。
それを見て、シャーロットは疑問に確信を持った。オズヴァルトが放ったのは、シャーロットを助けてくれたときも今も、同じ魔法だ。
(攻撃魔法ではありません! 受けた対象を眠らせる、睡眠魔法!!)
オズヴァルトは、フェンリルを傷付けて止めようとしているのではない。魔法によって眠らせて、それで動きを封じようとしているのだ。
魔法を食らったフェンリルが、数歩ほど後ろによろめいた。
「やったぞ! あの兄ちゃんの魔法なら、フェンリルに通用する!!」
「さっきの氷柱といい、なんて威力の魔法なんだ……」
遠巻きの人々が歓声を上げる。
しかしフェンリルは、ぶんっと大きく頭を振ると、再び身を低くして唸り始めた。
「ち……っ」
(オズヴァルトさまの舌打ち……!! ……は後できちんと噛み締めるとして、何故でしょう!? あんな威力の睡眠魔法、いかに魔力耐性持ちのフェンリルさんといえど、通用しないはずは……)
シャーロットは、そこでふたつの違和感を覚えた。
(……いいえ、通用しなかったのではありません! フェンリルさんは、一瞬眠気を感じたあと、すぐに覚醒したように見えました!)
魔法がまったく効かなかったのと、効いたけれどもすぐに切れてしまったのでは、結果は同じでも大きく異なる。
「オズヴァルトさま、睡眠魔法は……」
「分かっている」
オズヴァルトは、フェンリルから目を逸らさないまま淡々と答えた。
フェンリルは怒り狂った様子で、氷の柱に噛みついている。唸りながら頭を揺すり、氷柱を噛み砕くか、抜いてしまおうとしているのだ。
そうしている間も、フェンリルの目はオズヴァルトを睨んでいた。互いに視線を逸らさないまま、緊張感だけがぴりぴりと高まってゆく。
(睡眠魔法にこだわらなくとも、オズヴァルトさまは強力な攻撃魔法がお使いになれるはず。なのに……)
周囲で見ていた人々が、焦れたように大きな声を上げた。
「おい兄ちゃん、他の魔法も使えるんだろう!? もたもたしてると、フェンリルは氷柱の檻も壊しちまうぞ!」
「睡眠魔法なんか使うな! 雷でも炎でもなんでもいい、攻撃魔法をぶちこんで倒してしまえ!」
「――……」
無表情だったオズヴァルトが、その罵声に眉根を寄せる。
「……シャーロット、君は今のうちに逃げろ」
こちらを見ずに告げられた言葉に、ぎゅっとくちびるを結ぶ。
一抹の不安が漂って、ここから離れてはいけない気がしたのだ。
(何故でしょう、この胸騒ぎ……お強いはずのオズヴァルトさまを、おひとりに出来ないような気がしてしまいます)
かといって、駄々を捏ねてもいられない。下手にこの場所に留まって、役に立ちもしないのに迷惑を掛けることはしたくなかった。
(私に何かお手伝い出来ることは!? オズヴァルトさまが使いたいのは、攻撃魔法ではなく睡眠魔法。それが通用しない理由だけでも、探ることが出来たら……!)
祈るような気持ちで、フェンリルの方に視線を向ける。
その瞬間、シャーロットははっとした。
「オズヴァルトさま! あのフェンリルさん、首の付け根に傷があります!!」
「なに……?」
黒い毛並みで分かりにくいが、陽光にきらりと反射するものがあった。あれはきっと、まだ塞がっていない傷口の血だ。
「あの傷が痛いから、魔法の眠気も覚めてしまうのでは!? 怪我さえ治れば、睡眠魔法で眠らせることが出来るかもしれません! そして私、オズヴァルトさまのことであれば、なんとなく分かる気がするのです!」
シャーロットは、彼にだけ聞こえるような小声で尋ねる。
「オズヴァルトさまは、あのフェンリルさんに攻撃魔法を使いたくないのですよね……?」
「……!」
シャーロットを見たオズヴァルトが、一瞬だけ目を瞠った。
けれどもすぐに眉をひそめ、再びフェンリルへと視線を戻す。
「……助言は感謝する。だが原因が分かっても、対処が出来なければどうにもならない。治癒魔法を使うことが出来るのは、ごく一部の女性だけだ」
「……」
「多くの人間が避難したこの往来に、偶然そんな力を持った人間が残っているはずもない。飼育用に申請された魔物であろうとも、人を襲おうとした場合は第三者が処分できる決まりになっている」
オズヴァルトはひとつ息をつき、シャーロットに告げる。
「他に手段は無い。……あのフェンリルを、攻撃魔法で殺す」
「いいえ、オズヴァルトさま」
シャーロットは、決意を込めてフェンリルを見た。
「あの朝、仰っていましたよね。私の神力は、死なない程度には残して下さっていると」
「シャーロット?」
体から、一切の恐怖心は消えている。
オズヴァルトのために、シャーロットが出来る唯一のことかもしれない。そんな勇気が満ち溢れて、体が軽いくらいだ。
「お忘れですか?」
シャーロットは、オズヴァルトを見上げてにっこりと微笑む。
「治癒魔法を使うことの出来る人間が、望んでここに。――あなたのお傍に、いるということを!」
「……っ!?」
息を呑んだオズヴァルトが、シャーロットに手を伸ばそうとした。
シャーロットはそれをすり抜けて、フェンリルの元に飛び出し、氷の檻の隙間を目指す。
「待て、シャーロット!」




