19 まさかの事態が起きたのです!
「――……そんなことをしなくても、大丈夫だから」
「……っ!?」
呆れたような、それでいてあやすようなオズヴァルトの声が、すぐ耳元でこぼされる。
妙にくすぐったい感覚に、シャーロットの背筋はぞくりとした。
後ろから、オズヴァルトの腕の中に閉じ込められたまま聞く彼の声に、不思議な色気を感じてしまうのだ。
「脱がなくていいし、着替えもしなくていい。君が、とにかく何も考えていなかったことは分かった」
「えっ、えええっ、うえ……!?」
はくはくと口を開閉させるが、意味のある言葉が出てきそうにはなかった。
「息を吸え」
「はふ!!」
このままでは、呼吸困難で死んでしまう。
本当は余裕もなかったけれど、オズヴァルトの言うことを聞いた。オズヴァルトはそれを確かめ、こう続けるのだ。
「良い子だ」
「はへっ!!」
「そのまま、ゆっくり吐け。……落ち着いたか?」
絶対に落ち着けるわけがない。
けれど、そう言うとまた大変さが増してしまう気がする。シャーロットは嘘をつき、ぶんぶんと首を縦に振った。
「ならいい。しかし、どうしたものか」
(だ……っ)
オズヴァルトは、シャーロットを後ろから抱き込んだ体勢のまま、何かを思案し始める。
(駄目です、本当にこのドレス薄いです……!! オズヴァルトさまの、腕の感触や、抱き締められる強さが伝わってきて……!!)
離してもらいたいのだが、身動きひとつ出来そうにない。
「この様子だと、他も似たようなものだろう。かといって、夜会までに仕立て屋を間に合わせるには無理がある」
(それと、息が……っ!! オズヴァルトさまがお話しなさるたび、柔らかい吐息が耳に……!!)
上手く呼吸が出来なくて、心臓がますますどきどきと跳ねる。
(ど、どうしましょう……)
目覚めた最初の日、シャーロットはオズヴァルトに抱き着いて名前を請うた。
けれど、自分から抱き着きにいくのは平気でも、オズヴァルトからこんな風にされるのは耐えられそうもない。
泣くどころの騒ぎではなかった。どうにか正気を保とうとするシャーロットに、次なる試練が襲ってくる。
「シャーロット?」
「ひゃあ!」
すぐ傍で、オズヴァルトに名前を呼ばれたのだ。
本当に、倒れなかった自分を褒めてあげたい。
これこそまさに、『偉かったな』だ。床に蹲りたいのだが、抱き止められていて許されなかった。
(このままでは、本当に命に関わります!!)
心臓が苦しくて、壊れるかと思ったその瞬間。
「――――っ!!」
きん、と耳鳴りのような音がした。
(これは……)
視界いっぱいに、知らない光景が重なる。
目の前に広がるのは、ここではない荒野の景色だった。
光景の中のシャーロットは、崖の上に立って、眼下に広がる無数の軍勢を見下ろしている。
『さあ、さあ、進みなさいな!』
シャーロットが、その兵たちに声を投げた。
大勢の兵が、敵軍らしき兵たちとぶつかりあっている。
ほとんど魔力を持たない兵同士の交戦なのか、彼らは互いに武器を手にしており、自らの血を流しながら戦っていた。
そんな兵たちを見下ろして、シャーロットは楽しそうに笑うのだ。
『手足がなくなろうと、お腹に穴が開けられようと、決して怯まずに戦うのよ。そう、恐れることはないわ! 心臓が抉られても、たとえその首が落ちようとも……』
描かれたシャーロットは、淡い金色の髪を風になびかせながら、どこか妖艶な表情で言った。
『――私が、治してあげるから』
その言葉に、自軍らしき兵たちが鬨の声を上げる。
『突き進め、敵をなぎ倒せ!!』
『魔術師たちが来るまで持ち堪えろ。いいや、奴らの出番も奪ってやれ!!』
『どんな傷を負おうと構うものか!! 俺たちには、「聖女」シャーロットさまが…………!!』
そのとき、目の中に映り込んでいた光景が切り替わった。
『…………』
シャーロットの前には、ひとりの男性が立っている。
それは愛しいオズヴァルトで、とても冷たい表情をしていた。
オズヴァルトの顔は赤く汚れており、珍しく、黒の外套を纏っている。
(違います。あれは、元から黒い外套なのではなくて……)
いつもの青い外套が、染まった結果の色なのだと気が付いた。
オズヴァルトは、それほどまでに夥しい血にまみれているのだ。
赤い瞳に憎悪を燻らせて、静かにシャーロットを見据えている。
(……オズヴァルトさま……)
「シャーロット」
「!!」
すぐ傍で自分の名前を呼ばれて、我に返る。
(いまのは)
無意識に、机の上に置いた日記帳へと視線をやっていた。
(写実的なのに、とても現実感のない光景です。まるで、あの景色を目にして生まれるべき私の感情が、何もかも封じられているかのよう……)
だが、そんなシャーロットの意識は、すぐさま背後の存在へと引き戻される。
「シャーロット? どうした」
(わああああああああっ!! そうでした、オズヴァルトさまが私のことを何故かぎゅうっと!!)
あまりに緊急事態が過ぎて、意識が遠くに飛んでいた。シャーロットは声をひっくり返らせつつ、なんとか人間の言葉を発する。
「なっ、ななな、なんでございましょう……!?」
「夜会準備のために、君のクローゼットを見せてもらうぞ」
「ひゃいっ、お見せします!! 何もかも、全部お好きなだけお見せいたしますのでどうか!! お助けを、何卒ご勘弁くださいーーーーっ!!」
「……?」
するとオズヴァルトは、少しだけ不本意そうな声で言うのだ。
「……別に、君にひどいことは何もしていないだろう」
(まさか、ご自身の所業に無自覚でいらっしゃいますか!?)
そこでようやく体を離されて、へにゃりと座り込んだ。
だが、オズヴァルトに渋面を向けられたので、なんとかよぼよぼと衣装部屋に向かう。
「こ、こちらです……。お気の済むまで、ご覧くださいませ……!!」
「ああ」
オズヴァルトがクローゼットを開ける横で、何度も深呼吸を繰り返す。
先ほどの出来事は、喜んだり余韻を噛み締めたりといったレベルではなく、あまりにも心臓に悪すぎた。
(ひとつ新しく記憶しました。自分からぶつかりに行くときの衝撃よりも、人にぶつかられる衝撃の方が大きいのだと! 旦那さまとの接触もそれと同じ。今後もう二度と無いと思いますけれど……!!)
「やはりな」
「オズヴァルトさま?」
ようやく若干の落ち着きを取り戻したところで、オズヴァルトと一緒にクローゼットを覗き込む。
「――君の持つドレスは、全体的に露出度が高すぎる」
(……多分、以前の私の趣味ですね……)




