14 心構えをいたしましょう!
ここはどうやら、とんでもなく大きな屋敷のようだ。
長い廊下には、落ち着いた若草色の絨毯が敷き詰められている。ハイデマリーは正しい背筋で歩きながら、シャーロットを振り返ることなく言った。
「……あなた。ある程度の作法はすでに身に付けているようですね」
「そうなのですか?」
「改めて見なくとも、足音を聞いていれば分かります」
そう言われて、色々な意味で驚いた。
(つまり、記憶を失う前の私が、ちゃんとお行儀を身に付けていたのでしょうか。 ……確かに、記憶喪失になっても、歩いたり手を動かしたりする方法までを忘れていたわけではありませんでした)
体が覚えている、ということなのだろうか。けれど、それを振り返りもせずに判断したハイデマリーもすごい。
「もっとも、先ほどのような突然床に突っ伏す所業は見過ごせませんが」
「先生! とはいえ私、まだまだ勉強すべきだと思うのです。なので、是非ともびしばし厳しく教えてくださいませ! 私が学べば学ぶほど、オズヴァルトさまのお役に立てるはずですし」
「……」
「そもそもオズヴァルトさまは、世界一美しいお方ですもの! 夜会の一夜限りとはいえお傍にいるなら、私も完璧である必要があります。なにせ夜会姿のオズヴァルトさまも、絶対に格好いいはずですから……!!」
想像だけでくらくらしそうだ。来る夜会を楽しみにしつつ、シャーロットは目を輝かせる。
「ちなみに、私が特に教わるのを楽しみにしているのはこれです! ずばり、『夜会の場で、旦那さまが素敵すぎて叫びたくなったときの対処方法』!!」
「そのような教えはありません」
「えええっ!?」
それでは他の人たちは一体、どうやってお相手の素敵さに耐えているのだろうか。首を捻っていると、ハイデマリーがふうっと息をついた。
「王城の夜会で、夫に見惚れている余裕があるとお思い? あなたではとても戦えない。無様に敗北し、逃げ帰る姿が目に浮かぶようです」
「はいぼく……」
シャーロットはそっと首を傾げる。
「ハイデマリー先生。私、夜会のお作法を教えていただきに来たのですが」
「ですから教えてさしあげるのですよ。夜会での作法――すなわち、王侯貴族社会での生き残り方を」
思わぬことを告げられて、目を丸くした。
「生き残り、ですか?」
「社交会とは親交を深める場ではなく、情報戦の戦場です。会場で知人の姿を探して挨拶をする、そんな一連の行為にすら、その者の思惑が透けて見えるもの。あなたは見た目こそ美しいものの、それでは単なるラングハイムの装飾品に過ぎません」
「そ……それは困ります。私は少しでも、オズヴァルトさまのお役に立たなくては」
「ふん。あなた、何を仰っているの」
立ち止まったハイデマリーが、相変わらずの気難しそうな顔でこちらを振り返る。
「少しでも夫の役に立ちたい? そのような思想は笑止千万」
「先生! 淑女としては夜会の場で、大人しく微笑んでいるのが正解なのかもしれません。ですけれど私……!」
「あなたもそこで、戦うのですよ」
「!」
目を見開いたシャーロットに対し、ハイデマリーは挑むように笑うのだ。
「ラングハイムの補佐をするためではなく。あなた自身が戦うために、戦場へ向かうのだと心得なさい」
「……私が……」
「来いと言われたから行くのではなく。あなたはこの夜会に、あなたのための目的を持って挑まなくてはなりません」
「!!」
そして彼女は、再びゆっくりと歩き始めた。
「あなた、得たいものはあるの?」
「……はい! たくさんあります!!」
ハイデマリーについていきながら、こくこくと何度も頷いた。
オズヴァルトに掛けた迷惑を償い、自分のしたことを贖いたい。そのためには記憶を取り戻すか、これまでの所業を知る必要があるのだ。
「私、夜会を乗り切ることばかり考えていて、全体を見通せていませんでした」
オズヴァルトになるべく迷惑を掛けない、これは大前提だ。
しかし、もっとシャーロットにやれることはある。
(私が上手く立ち回れば、夜会の場で過去のことを知ったり、記憶を取り戻す契機が得られたりするかもしれません。そうすれば夜会をやり過ごす以上に、もっとお役に立てるはず!)
そう思うと、やる気が更に漲ってきた。
「私、頑張りますので!」
「付け入りやすく、隙だらけで御し易い。……噂とは本当に、大違いだこと」
その声音は呆れているが、シャーロットにはなんだか嬉しかった。
ハイデマリーは扉の前で立ち止まると、シャーロットを見遣る。
「まずはあなたの武器選びです」
「わあ、なんだか格好良いですね! 私、神力は空っぽですけど大丈夫ですか?」
正直に答えると、ハイデマリーは嘲笑を浮かべた。
「神力どころか。あなたはこの先の部屋で、これまでの経歴もいまの身分も、何もかも使えないのですよ」
「……?」
首を傾げていると、ゆっくり扉が開かれる。大きな武器庫を想像して、シャーロットはわくわくと胸を弾ませた。
「……あら?」
そこには、意外な光景が広がっている。




