13 知らない名前を知りました!
背が高く、背筋をまっすぐ伸ばした美しい老婦人だ。
彼女の足元には、一匹の大きな狼が、主人を守るようにぴったりとくっついている。
老婦人は、静かにシャーロットを見据えたあと、扇子で口元を隠しながら言った。
「――思っていたより、頭の悪そうな顔だこと」
「…………」
シャーロットの後ろにいた女性魔術師たちが、動揺した様子で老婦人に言う。
「ハイデマリーさま、その、お気を付けください。こちらのお方は……」
「『稀代の聖女』であろうと、いまは神力が封じられているのでしょう? そんな小娘にビクビクして、魔術師ともあろう者たちが情けない」
たじろいだ魔術師たちには目もくれず、老婦人はシャーロットを見て顔を顰めた。
「あなた。よろしい? 最初に申し上げておきますが、私は一切容赦するつもりはございませんよ」
「……」
「聖女だのなんだのと持て囃され、これまでは好き放題に生きて来たようですが、今後はそうは参りません。歴史ある王城の夜会に、あなたのような人間が招かれることすら、本来あってはならないのだから」
「…………」
足元の狼も、じっとシャーロットを見上げている。
「さぞかし悔しいのでしょう。ですが、私の言葉が聞けないならば、お帰りになって結構。どうぞ夜会で恥を掻き、その身にふさわしい嘲笑を受け取りなさいな」
その物言いが『聖女』シャーロットを刺激しないかと、魔術師たちが緊張するのが分かった。
しかし、老婦人の言葉を浴びせられたシャーロットにとって、いまはそれどころではない。
「……い、します……」
「聞こえないわ。はっきりと仰い」
老婦人に促され、シャーロットは声を絞り出した。
「っ、お願いします……!! 最初の、最初にいただいたお言葉を、どうかもう一度私に浴びせていただけませんか!!」
「………………」
部屋の中が、しん、と静まり返る。
魔術師たちは戸惑い、老婦人は至って不快そうな顔だ。けれども彼女はシャーロットに応え、口を開いた。
「……『思っていたより、頭の悪そうな顔だこと』」
「その前! その前のお言葉です! このお部屋に入って最初の一言を、はい、もう一度!」
「…………」
老婦人に刻まれた眉間の皺が、ますます深くなる。
そして彼女は思い当たったのか、シャーロットが望んだ通りの言葉を発するのだ。
「――シャーロット・リア・ラングハイム」
「っ、はああん……っ!!」
自分の体を抱き締めて、立っていられずに膝をついた。
魔術師たちが一歩後ずさる。だが、そんなことはもはや気にならない。
(シャーロット・リア・『ラングハイム』!! ああっ、これが私のフルネームなのですね……!!)
そんな事実を噛み締めて、床に蹲る。
(オズヴァルトさまと同じ、ラングハイムの名字!! なんという僥倖なのでしょう。作法をお勉強に来た場所で、まさかこんなことが分かるだなんて……! オズヴァルトさまの名字を知ったとき、一刻も早く自分の名前と組み合わせてみたかったのに、私自身のフルネームは謎のままでしたからね!!)
シャーロット・リア・ラングハイム。
初めて耳にする名前でも、オズヴァルトと同じだというだけで特別だ。泣きそうになるのを堪え、ひたすら老婦人に感謝する。
「あ、ありがとうございます……!! 名前を呼んでいただけて幸せです、ハイデマリー先生……!!」
魔術師たちは、老婦人を『ハイデマリー』と呼んでいた。それに倣って彼女を呼び、顔を上げる。
「……」
(? 得体の知れないものを見る目ですね)
ハイデマリーは渋面のまま、床に蹲ったシャーロットを見下ろした。
「あなたはいま、私から馬鹿にされたのですよ。それなのに、何をへらへらと喜んでいらっしゃるの?」
「だって、嬉しいので!」
心からの気持ちで言ったあと、ハイデマリーにも理由を説明する。
「私、オズヴァルトさまが大好きなのです。あ、オズヴァルトさまには嫌われているのですが! ですから、そんな旦那さまとの繋がりを確認できるのが、幸せで」
自分の本名を知らなかったことは伏せるのだが、こちらの言葉も嘘ではない。ハイデマリーはなおも信じられないという顔で、こう言った。
「……あなたはこれから、私に夜会での過ごし方について教わるのでしょう?」
「ありがとうございます! 何かとご迷惑をお掛けすると思いますが、一生懸命頑張ります!」
「そうではなく。あなた、嫌ではないの?」
シャーロットが首を傾げると、ハイデマリーはますます眉間に皺を寄せるのだ。
「先ほどの私が言った言葉が、もしや耳に入っていないのかしら。そして私は、あなたのような小娘が嫌いです」
「はい。そのような気はしておりました!」
「……では何故、そのように平然としているのかしら。私に罵倒を返すなり、癇癪を起すなり、するはずではなくて?」
魔術師たちの様子を見るに、記憶を失う前のシャーロットであれば、そのように振る舞うのかもしれない。
けれどもいまのシャーロットは、記憶喪失前の自分と気が合わないのだ。オズヴァルトのことが好きな自分と、そうでない自分とでは、まったく意見が違うに決まっている。
「夜会に参加することは、お慕いするオズヴァルトさまのお役に立つことですから。ハイデマリー先生は、その術を私に教えて下さる大切なお方です」
「私はあなたを嫌っている、と言ったでしょう」
「それは、私がハイデマリー先生を嫌う理由になるのですか?」
すると、ハイデマリーが初めて目を丸くした。
彼女に向けて、シャーロットは続ける。
「先生。私、オズヴァルトさまのことが大好きなお陰で、一秒ごとにとても楽しいのです」
「……そのような話は、どうでもよろしい」
「つまりは世界って、好きな人が多ければ多いほど、楽しくなるのではありませんか?」
けれども生憎、いまのシャーロットには、『知っている人間』がとても少ない。
であれば、これから出会う新しい人たちは、なるべく全員が『好きな人間』であってほしい。
そしてそれは、出会う相手に左右されることではなく、出会ったシャーロット自身で決められることだと思うのだ。
「せっかくなら、誰のことも好きになりたいのです。先生も、嫌っている私に作法を教えて下さるのですから、とても素敵なお方だと感じました! ……私の名前も教えて……呼んで下さいましたし。ですから私は……わあ、狼さん!」
ハイデマリーの足元に居た白い狼が、シャーロットに鼻先を寄せてふんふんと鳴らす。
シャーロットは床に膝をついたままだったので、狼は難なくシャーロットを確認できたようだ。シャーロットの鼻の頭に、その黒い鼻先を近づけたあと、後ろの主人を振り返った。
「あなたが、どういうつもりかは知りませんが」
「?」
溜め息のあと、ハイデマリーは言った。
「ついてきなさい」
「はい!」
シャーロットは立ち上がり、ドレスの裾を手で払うと、ハイデマリーの後について廊下に出た。




