12 旦那さまは配慮も抜群です!
シャーロットが目を覚ますと、部屋は明るくなっていた。
ゆっくりと体を起こし、辺りを見回す。ひとりぼっちの部屋は広く、耳鳴りがするほどに静かだ。
(オズヴァルトさま。私の旦那さまで、強くてとても優しいお方。……うん、大丈夫ですね!)
自分の胸に手を当てて、ほっと息をつく。
(よかったです。今朝はちゃんと、オズヴァルトさまのことを覚えていられました)
昨日の記憶は消えていない。そのことが、どうしようもなく嬉しかった。
寝台から抜け出しても部屋は暖かい。恐らくは、魔術で室温が調整されているのだ。
カーテンを開けてみようとして、シャーロットは外の景色に気が付いた。
「雪……!!」
屋敷の外は、一面の純白に染まっている。
だからこんなにも静かなのだ。窓硝子はとても冷たく、顔を近づけたシャーロットの呼気で白く曇った。
(オズヴァルトさまは、お風邪を召されてはいないでしょうか?)
昨日もきっと寒かったはずだ。シャーロットに外套を貸してくれた彼のことが、どうにも気がかりだった。
畳んでおいた彼の外套は、どうやら回収されているようだ。
(もう一度、きちんとお礼をお伝えしたかったのですが……)
そう思いつつ、シャーロットは目を瞑る。
(……後悔しては駄目です、私。昨日あれほど我慢すると決めたでしょう……! あの外套はオズヴァルトさまからお借りしたもの。抱き締めては駄目。抱き締めては駄目。それで間違いないのです。私はその誘惑に耐えて勝ち抜きました!! ――ああああでもでもでも、せめて最後にもう一度だけ、あれを羽織ってくるくる回りたかった――はっ!!)
シャーロットはぴんと来て、大急ぎで扉に張り付いた。
廊下から、誰かの足音が聞こえる気がする。
赤い絨毯が敷かれていて、ほとんど部屋には聞こえてこないはずなのだが、微かな物音を捕らえたのだ。
扉に耳を押し当て、真剣に聞き取りながら、その足音が扉の前で止まると同時に確信する。
「これは……。ひょっとして、ひょっとして、愛しのオズヴァルトさまの足音では……?」
「足音を聞いただけで、恐ろしい予測を立てるな」
「わあああ、オズヴァルトさま!!」
「そして的中させるな!」
扉が開き、そこに立っていた人物を前に、シャーロットは思わずぴょんと跳ねた。
オズヴァルトは相変わらずのしかめっ面で、彼よりも背の低いシャーロットを見下ろしている。シャーロットは数歩後ろに後ずさり、顔の前でぎゅっと両手を組んだ。
「オズヴァルトさま……! 今日も、うううっ、この世界で呼吸をしていて下さってありがとうございます……!!」
「いや、なんの礼なんだそれは……?」
「私、オズヴァルトさまが生きていて下さるだけで嬉しいので!!」
「分かったから祈るのを止めろ。――いい!! 跪かなくていい!!」
感極まって膝をつきかけたシャーロットを、オズヴァルトが声を張り上げながら引っ張り起こす。彼は疲れたような溜め息をついたが、シャーロットにはそれどころではない。
(腕を、腕を掴まれてしまいました……!)
「来週行われる、夜会参加者の一覧を渡しに来た」
オズヴァルトの言葉を聞き、ふわふわしていた意識がぴんと伸びる。
夜会は重要項目だ。オズヴァルトに迷惑を掛けないためにも、頑張る必要がある。
「ありがとうございます、オズヴァルトさま」
「それと、君が参加するにあたっての確認だが……」
視線を向けられて、首を傾げた。
「講師の手配は必要か?」
「講師さま、ですか?」
「夜会にはいくつかの作法がある。入場方法、歩き方、挨拶の順」
(あ!!)
大変なことだ。シャーロットは自分の記憶を探り、それらの作法が分からないと気が付いた。
どうやらこの記憶はまだらなのだ。
一般常識や日常生活の過ごし方、魔術や神力についての記憶はそれなりに残っているものの、忘れている部分も多い。
(以前の私は、夜会の作法を……)
「君は『聖女』としての暮らしが長く、社交嫌いで夜会に参加して来なかったな」
「! は、はい、そうです!」
「ならば、聖女教育で習っていても、忘れていないかと不安だろう。――必要なら、講師を手配する」
「オズヴァルトさま……!!」
なんという、配慮に溢れた旦那さまなのだろうか。
「ありがとうございます! 是非に、是非に、すぐにでもお願いしたいです!!」
「分かったから抱き着こうとするな!」
(オズヴァルトさまは、私が記憶喪失であることをご存知ありませんのに。こんなに的確な救いの手を差し伸べて下さるなんて、ある意味で以心伝心というものでは……!?)
嬉しくてにこにこするシャーロットを見て、オズヴァルトはふっと息を吐き出した。
「オズヴァルトさま?」
「なんでもない」
「……あ。ですが、どうしましょう。講師さまは、私のことが怖いのではないでしょうか……」
メイドたちの反応を見ていると、シャーロットはあらゆる人に恐れられている。
「君のことを怖がるような方ではない」
「そ、そうなのですか?」
「だが、君に優しく接して来ないのは間違いないだろうな」
そう言われて、シャーロットは瞬きをした。
「どうする? 言っておくが、君のことを恐れずに作法を教えられるのはその人物だけで――」
「是非ともお願いしたいです!」
迷わずに答えると、オズヴァルトは少々面食らった顔をする。
「オズヴァルトさまにご迷惑をお掛けせずに済むのなら、どんな苦労も大歓迎ですから!」
「……」
「怖がらせてしまうのは、私自身ではなくお相手に申し訳なくて出来ませんが……」
するとオズヴァルトは瞑目し、大きな溜め息をつく。
「――時間になれば迎えが来る。俺は仕事に出るが」
そして、赤い瞳がまっすぐにシャーロットを睨んだ。
「いいか『シャーロット』。くれぐれも、妙な真似はするな」
「はい!」
元気いっぱいに答えたあと、シャーロットは今日もオズヴァルトを見送ったのだった。
***
(……さて。お迎えの方に連れられて、魔法陣を抜けては参りましたが……)
連れて来られた屋敷の応接室で、椅子に座りながら、シャーロットはぽつんと人を待っていた。
シャーロットの左右に立つ女性たちは、どうやら魔術師らしい。
彼女たちはシャーロットのことを警戒し、ぴりぴりとした視線でこちらを見張っている。
シャーロットが少し動くだけで、彼女たちは反射的に身構えるのだった。なんとも、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
なるべく身じろぎしないよう、視線だけでそっと周囲を観察してみる。
(すごく豪華なお部屋です。私の寝室も凄そうですが、このお部屋もかなり! あそこに飾られている鎧、一体何の意味があるのでしょうか?)
そんなことを考えていると、扉が開く。
「――シャーロット・リア・ラングハイム?」
「!」
冷たい声でシャーロットを呼んだのは、灰色の髪を上品に結った、痩身の老婦人だった。




