103 幻
聖都ミストルニアは、大勢の人間で溢れている。
いつもなら煩わしく感じる人混みも、クライドにとっては眩しいものに見えた。
何しろこの街には、愛しいシャーロットが居るのだ。
(あなたの神力を、今日も確かに感じる。シャーロット)
愛する人間が生きている素晴らしさを、クライドは静かに噛み締めて笑った。
通りすがりに向けられる女たちの、この顔に見惚れている面倒な視線も気にならない。
母国からの通信魔術を遮断したことにより、見付かり次第クライドを殺しにくるのだろうが、それすらもどうでもいい。
(もうすぐだ。この先、俺たちの間を歩く邪魔な障害物の向こう側に、あなたがいる……)
愚鈍な通行人を掻き分け、男の罵声を受けながら突き進む。
春の花が咲き乱れる聖都の街路に、ひとりの女性の背が見えた。
「っ、ああ……!」
柔らかな金色のその髪は、思い出と違う色合いだ。
それすら何も問題は無かった。クライドは急ぎ、その後ろ姿に呼び掛ける。
「シャーロット!」
すると一拍の間を置き、シャーロットがゆっくりと振り返った。
記憶と同じ水色の瞳が、真っ直ぐにクライドを見詰める。その愛らしい輝きは、かつてと変わらない。
「……クライドさま」
「〜〜〜〜……っ!」
彼女にその名を呼ばれると、頭の芯がじんと痺れるような感覚を抱いた。
(適当に与えられただけの名前が、これほどまでに意味を持つのか……!)
クライドという名前は、幼い頃に何処かで名乗ったことがある程度の名前だ。
何度も使い回してきた、数ある名前のひとつに過ぎなかったものが、シャーロットに呼ばれただけで唯一のものとなる。
その幸福を前に、口元が綻んだ。
「あなたを再び迎えに参りました、シャーロット……! どうかこちらへ、安心してください。あなたをあんな国に送り返すようなことは、もう二度と致しませんから」
「…………」
「さあ、シャーロット!」
彼女の腕を掴むため、手を伸ばす。
けれども美しい幸福の象徴は、クライドの目の前で消えてしまった。
「……っ!? 何処へ……」
雑踏の人混みは、シャーロットが姿を消したことに驚きもしない。クライドだけが辺りを見回し、居なくなった彼女を探している。
(シャーロットを追っていたつもりが、追わされていた。俺の結界を分析し、追跡しているのか?)
昨日クライドに仕込まれた追跡魔術は、オズヴァルトやその協力者が、記憶を失くしたシャーロットに命じたものだろう。シャーロットに記憶が戻りさえすれば、そんなことを本意でやるはずもない。
(本物のシャーロットは、俺の追跡魔術で……ああ、引き続き探れる!)
浮かび上がった魔法陣が示す先は、シャーロットに再会した大神殿だ。
(オズヴァルトの罠だろうと、構うものか。俺がロッティを、救わなければ……)
クライドは、ほとんど無我夢中に転移を行った。
いくつもの聖堂からなる大神殿の敷地前は、円形の広場になっている。その広場を中心にして扇状に続く石段が存在する、その頂にシャーロットは居た。
「ロッティ……」
祈りながら佇む彼女の姿があまりにも神々しくて、目を奪われる。
こうして見れば本物は、先ほど街中を歩いていた幻とは比べものにもならない。彼女の波打つ金色の髪は、陽の光を受けて淡く輝いていた。
『大丈夫ですか……!?』
かつてクライドを助け起こし、傷口の近くを労るように触れてくれた手は、胸の前で組まれている。
その指に輝くいくつもの指輪は、彼女の華奢な指を美しく際立たせていた。
『もうすこし、じっとしていてください……!!』
幼いシャーロットは、クライドを心から心配してくれた。あのときは飾り気のなかった耳元には、星を散りばめたような飾りが揺れている。
石の大きさに反して小さな彼女の耳は、焦げ付くような庇護欲を掻き立てるのだ。
『もう、痛いところはありませんか?』
あのとき小首をかしげた少女の首元は、とても頼りなかった。
こうして大人になったシャーロットの胸元に揺れるのは、ひときわ大きな石だ。あれだけは数日前、この場所で再会したときも、同じように強い光を放っていた。
『私、自分を治すの、あんまり上手じゃなくて……』
恥ずかしそうに俯いた、あのときの表情を思い出す。
(君が自分を上手く治癒できなくとも、構わない。俺が絶対に守り抜いて、怪我のひとつも負わせない……)
白いドレスを身に纏う彼女は、清廉で汚れのない聖女そのものだ。
クライドが触れれば汚すことになるが、そのことが重々分かっていても、抱き締めたくて堪らない。
『わたし、いつもはお勉強と魔術のれんしゅうをしているのです! あっちにある、おっきな教会で! いっぱい練習しているのですよ! もっとじょうずになって、おっきくなって……そうしたら、私』
淡い水色の瞳をきらきらと輝かせ、思い出の中の少女が笑う。
『戦争に行くんです!』
「っ、ロッティ……」
思い出したくもない最後の言葉だけは、無理やりにねじ伏せる。
(ようやく君を取り戻す。俺のものだ、今度こそは失くさない……!!)
クライドが一歩踏み出そうとした、そのときだった。
「!!」
石畳から、強い炎が噴き上がる。
咄嗟に結界でそれを弾き、同時に後ろへと退いた。シャーロットへの距離が数十センチも遠ざかると同時に、忌まわしい声が聞こえてくる。
「――貴殿の言う『シャーロットへの恋心』は嘘だったと、彼女は話していたんだが」
(来たか)
当然こうなると分かっていた。
数日前、宿からシャーロットを連れ出そうとしたときは、氷の魔術で阻まれたのだ。それよりも殺傷力の高い炎と共に、赤い色をした瞳がクライドを睨む。
「俺には到底、そうは思えないな」
「…………」
現れたオズヴァルト・ラルフ・ラングハイムが、炎を纏いながらこう述べた。
「貴殿のそれは、どうにも俺の妻を本気で愛し、奪いに来た男の目に見える」
「奪ったのは、どちらだ……!!」




