第三百二十一話 非情な決断、優しい決断
森の奥まで下がった市民を、騎士と冒険者達で護衛をしている。魔獣がいないので、とりあえずは被害は出ていない。問題は、日が落ちて気温が下がってきた事だった。
「火を起こせないのは辛いな」
「身を寄せあって、やり過ごすしかないだろう。少しの酒もあるようだ」
オーバースとクルエルが話をしている。どうやって、市民の体力を温存しようか考えているのだ。
「今はなんとかな」
「だが、長くはもたんぞ。今夜を凌いだところでな」
逃げてきた時に持ち出した食料を食べ、何とか飢えは凌いでる。だが、それもすぐに尽きるだろう。
皆は、俺からの言葉を待っているようだった。俺は先ほどから、アイドナと脳内で検討し続けていた。
《山越えをしてはどうでしょう》
市民が持たん。
《多少の損害は致し方ないかと》
だめだ。
アイドナが、また演算に入る。この調子で、アイドナが提案をして俺がダメ出しをし続けているのだ。アイドナの方式だと、どうしても年寄りと子供が死ぬ。必要最低限のダメージに留める策が出るものの、その折り合いがどうしてもつかなかった。
こちらから、仕掛ける事は出来ないのか?
《数が多すぎます。生存確率が、ゼロに近くなります》
一番、生存確率が高いのは?
《全てを置いて、力のある者だけで逃亡する事です》
選べない。
《非効率的思考です》
なんと言われても、選べない。
《時間は有限です。こうして居れば、じきに全滅します》
そうだ。金盤はどうだ? あれに、何か手段は隠されていないか?
《あれを起動させれば、敵に位置が特定されます》
もしかすると、敵が来る前に、何かの方法が見つかるかもしれない。
《賭けになります。有効な手段が見つかる確率は、一〇パーセント》
一〇パーセントもある。十にひとつも。
《九割は全滅の賭けです》
ダメか……。
だがアイドナが、また演算結果をいう。
《侵略者の存在があります》
それは?
《侵略者が、コロニーのエルフとキメラマキナを抹消する事です。我々が、侵略者と戦う事になります》
生存確率は?
《不明です。侵略者の強さが分かりません》
あれだけの大群でやって来てるんだ、相当なものだろう。
《その可能性は高いです》
どうやっても答えが出ない。そこに、ウィルリッヒが声をかけてきた。
「コハク卿。市民の事を考えてくれているんだね?」
「そうだ。どうやっても被害が出る。このままここに隠れていても、生き延びれる確率は低い。そして、あの大群と戦うにも、こちらには圧倒的に装備がない」
「助けようとしてくれているのは、非常にありがたい。国民は宝だからね。だけど、人類が生き延びるためには、非情な選択も必要かもしれないよ。世界の未来のために、優先で考えられる事があるとすれば、なんだろうか? 教えてくれないか?」
「こっちへ」
そして、ウィルリッヒの耳元でこっそりいう。
「可能性が一番高いのは、山越えで逃げる事だ。だが恐らく、市民の半数以上が、耐えられなくて死ぬ。途中で敵に見つかる可能性も高い」
「やっぱりそうだよね。私も、そうだと思っていたよ」
「だから、何とかみんなで生き残る方法を考えたい」
「コハク卿は、もっと非情なんだと思っていた。もっと合理的で、必要ならば非情な選択もする男だと。だけど、本当に優しいんだね。だから……だろうね、私が君に惹かれたのは。こんな状況で、人が生き延びる方法を考えられる人なんて、たぶんいないよ」
「諦める事はない」
だが、ウィルリッヒが首を横に振って言う。
「だめだよ。コハク、君らが死んだら、世界は終わる。生き延びねば、奴らに蹂躙されてしまうだろう」
「侵略者が来れば、奴らにも被害が出るはずなんだが」
「それは、今日、だったよね?」
「そうだ」
「まだ、戦ってる様子はない。どこかでは戦いが始まってるかもしれないけど、それの決着がつくまで、ここの人らは生き延びれないよ」
アイドナと同じ事を言っており、もちろん分かっている。ウィルリッヒの知能のレベルはかなり高く、正確な判断をする男ではある。だが俺は知っている、望んで今の発言をしていないことを。
だが、ヴァイゼルもいう。
「コハク様。殿下の言うとおりじゃて、あれが襲って来ればたちまち全滅。人が死ぬことは承知の上で、山に逃げる事を検討したほうが良いじゃろ。力のある者だけで」
それを聞いて、マージも言った。
「コハクや。お前が、優しいのは知ってるが、この場合は彼らの言う事が正しいよ。今は痛みを飲んで、人類が生き延びるための事を考えるのさ。それしかないんだよ」
「マージ……」
皆が、俺を見ていた。
《ノントリートメントにも、正確な判断をする者がいるようです》
悔しかった。だけど、この状況では彼らの言っている事は正しい。アイドナが、演算を繰り返しても、それ以上の答えが出ないように。
「……ワイアンヌ。地図を」
「はい」
ワイアンヌが、敵から入手した精密な地図を広げる。それを皆で覗き見て、話し合いをする。
「帝都はもう壊滅している」
「だと、東は無しだな」
「西にも敵がいる」
地図を辿っていくと、連なった山脈の先にリンセコート領がある事がわかる。だがそこに至るまでは、幾つもの山を越えなければならなかった。女子供を率いて、危険な山を越える必要が。
険しい山を……幾つも越えなきゃならん。だが、リンセコートに行けば、装備の拡充が出来るか。
《現実的かと》
そこで、俺が今の説明をみんなにした。
皆は、頷くしかなかった。
だが、そこでウィルリッヒが言う。
「私は、動けない市民と共にここに残るよ。皇太子が、先に逃げる訳には行かない」
俺は、それに対して首を振る。
「だめだ。全員で行く。その為の青備えと、大型鎧だ。それに、四つ足のゴーレムも使える」
「どうやって?」
「まず山に入る。敵が来るだろうから、山に入り込んで木を切り倒していかだを作る。それを大型鎧と、四つ足のゴーレムで引っ張る。青備えが支えながらであれば、行ける」
「どうして、そこまで……我が国の市民を」
「この全員に、自由に生きる権利があるからだ。俺が生きていた所では、人間に権利など無かったんだ。だが、俺は自由を手に入れた。みんなにも、自由になる権利があるんだ」
「自由……の権利?」
「そうだ。階級も何もない、皆が自由に生きれる世界を作ろう」
「コハク卿……」
するとオーバースが、にんまりと笑って言う。
「面白いじゃないですか! コハクは偉ぶらないし、ただ能力の高いものが動けばいいと、いつも言う。我はそのコハクの理想を、一緒に見てみたいと思っていますがね」
クルエルも頷いた。
「いがみ合っていた、我をも、コイツは何も咎めなかった。平等な世界、面白そうだ」
オブティスマも頷いた。
「こんなにめちゃめちゃな世界になってしまったのなら、我もその理想に乗ってみたいと思います」
そこで、フロストが、剣を杖にして立ち上がって言う。
「殿下。乗りかけた船だ。我々も乗りましょうや、コハク卿に、大陸一の武神、大賢者に、天工鍛冶師が揃っているんですよ。なんとか、なりそうじゃないですか!」
「フロスト……」
フィリウスが言う。
「殿下。この際、国など関係ありません。生き残った人を導いて、人間が勝てるまで戦うしかないです。一人でも多く生かす必要があります。コハクのいう通りです」
「フィリウス卿……」
俺がウィルリッヒにいう。
「ウィルリッヒの頭脳が必用だ。ここで死んでもらっては困る。強い魔導士は、一人でも多い方が良い。ヴァイゼルも一緒に来てくれ」
「……どうする? ヴァイゼル」
「わしは、殿下と共にします」
「……わかった。じゃあ、全員で山を越えよう。それがいいというのなら、それで」
話は決まった。
すぐ騎士達に伝令を飛ばして、大勢の市民達に伝達をしていく。動くのは、薄っすらと明るくなる朝。夜は明かりが無いために、市民が動けない。火を灯してしまえば、敵に見つかってしまうからだ。
とにかく身を寄せ合って、酒で体を温めて朝を待つ。俺達が持ってきた、魔力回復薬を使って復活した帝国魔導士が、時おり温かい風を送って冷え込むのを防ぐ。そのおかげもあって、ある程度体を休める事が出来、朝になる頃には皆が動けるようになっていた。
薄っすらと空が紫になって、あたりが見渡せるようになってくる。
「行くぞ」
三将軍と風来燕が先を行き、列をなして市民達が登っていく。その周りを騎士が護衛し、俺と大型鎧のメルナとアーン、そしてレイたちがしんがりを務めた。列はとにかく細く長くなったが、今はそうするしかなかった。そうして明け方の山の森を、俺達は進み始めたのだった。




