第百十九話 揺れる辺境伯令嬢
地下通路に進入するが、全ての牢に人がいる訳ではないようで、左右に人のいない牢屋が見えた。通路は奥の突き当りで左右に分かれており、松明の炎がゆらゆらとゆれている。
《声の発声源は通路奥の右側からです。自分の鎧の音に気を付けてください》
俺は鎧の音を立てないようにそっと近づいて行く。二人の話はまだ続いているようだが、ガラバダはまだ俺の侵入に気が付いていない。すると突き当りの手前の牢屋に人がいた。そいつは壁の方に向かって寝ていて、俺の侵入には気が付いていない。
《声を出されれば逃げられます》
そのまま曲がり角に差し掛かり、頭をそっと覗かせて右側を見る。
いた…。
俺がガラバダを目視したその時だった。牢屋で寝ていた囚人が起きたらしく、俺に声をかけて来る。
「なんだお前?」
《突撃して下さい》
身体強化で一気にガラバダに距離を詰め、その剣で斬りつけようとした時だった。
「殺すな! 捕らえろ!」
クルエルの声だった。
《剣の軌道修正。ガイドマーカー展開》
俺の剣は吸い込まれるようにガラバダの膝辺りに落ち、スパン! と綺麗な音をたてて足を斬り落とした。
「うぎゃぁぁぁぁぁ!」
ドサァ!!
ガラバダは倒れ、俺はその首筋に剣を突き付ける。
するとガラバダは驚愕の目でこちらを見た。
「ぬ、主喰らい! なんでこんなところに! 王都を出たはず!」
どうやらガラバダは、俺の事をボルトだと勘違いしているらしい。見た目がボルトと同じ黒のフルプレートメイルなので、俺が兜を脱がない限りは気づかないだろう。だが俺はそれに答える事はせずに、更に剣を喉元に食いこませる。だが後ろからクルエルが言った。
「殺すな! そいつは参考人だ! 事件の証明してもらわねばならん!」
その隙にガラバダの手が腰の袋に伸びかけたので、俺は右足で思いっきり腕を踏みつける。
ドン! グチャ!
「ぐぎゃぁぁぁ!」
身体強化していた事もあり、踏んづけた所の腕が潰れてしまった。
「主喰らいよ! 私をここから出せ!」
クルエルが言うが、このままガラバダを自由にすれば逃げられるかもしれない。その身動きが取れない状況で、後ろからヴェルティカが声をかけてきた。
「捕まえたの?」
するとクルエル将軍が言う。
「パルダーシュのお嬢様!?」
「クルエル将軍? 城の外がどうなっているかご存知ですか?」
「どういう事だ…」
「巨大な魔物の大群が出現して、王都は壊滅状態です!」
「なんだと!」
「将軍様達の状況もわからず。王の所在も分かっておりません」
そこでクルエルが言った。
「すまない! パルダーシュのお嬢様! 嫌疑がかけられたこの身ではあるが、どうかこの牢から外に出してはくれまいか!」
「で、でも…」
「こうしている間にも、市民の命が脅かされているのだ! 頼む! パルダーシュのお嬢様! 私をここから出してくれ!」
ヴェルティカが迷っているようだが、そこでメルナの鎧に仕込まれたマージが言う。
「出しておやり。嘘ではないようだ」
マージの言葉に、ヴェルティカがクルエルの牢に歩いて行く。
だが…その時だった。
「お、お嬢様…」
「えっ?」
その老人のような声は、俺の足元から上がっていた。俺が踏んづけて剣を突き付けていたガラバダは…執事のボルトンに変わっていた。
「お嬢様。どうしてこのような仕打ちを…」
「ボルトン! な、なぜ?」
「なにかの間違いです。なぜ私目がこのような仕打ちを受けねばならんのでしょう?」
「生きて…いたの?」
だがそれを見てクルエルが言う。
「違う! お嬢様! そいつはあの曲者だ!」
「い、いや…だって、この人はボルトンだわ」
「騙されるな!」
「酷いものです。私はクルエル将軍をお助けしに来たというのに、なぜ年老いた私が、このような仕打ちを受けねばならんのでしょう?」
「パルダーシュのお嬢様! 牢に囚われの罪人ではあるが、私の言う事を聞いて欲しい! そいつは王を襲った曲者なのだ!」
ヴェルティカが、そのままこちらに歩みを進めようとした時、再びマージが言う。
「ヴェルや。あれは間違いなく王を襲ったガラバダだよ」
「ううん。ばあや、間違いなくボルトンだわ」
するとクルエルがヴェルティカに言う。
「ならば! 二人しか知らない秘密を聞いてみたらいい」
ヴェルティカが少し考えて口を開いた。
「…私が、お母様の誕生日に叱られた事がありましたね? それは何故かしら?」
「それはお嬢様が、奥方様に喜んでいただこうと花火で火傷を負ったからです。その時の花火を、一緒に古びた雑貨屋に買いに行ったのも私目にございます」
「ボルトンだわ! ばあや!」
だがそこで俺が口を開く。
「いや。ヴェルティカ、コイツは間違いなく王を襲ったガラバダだ。そして間違いなくボルトンでもある。コイツは執事に成りすまして、パルダーシュに潜り込んでいたんだ」
俺が言うとヴェルティカが絶句した。
だが俺の声を聴いてボルトンが言う。
「こ、コハクだと? おまえあの冒険者じゃないのか?」
「ヴェルや。心を静めるのだよ。コハクの言う通りにコイツはボルトンなんだ。だけど謀反を働いたガラバダでもあるんだよ」
「そんな…」
ヴェルティカがそこにへたり込んでしまった。俯いて打ち震えている。
「わかりましたか? お嬢様。私目はこんな奴隷から、踏みつけられる立場の人間ではないのです」
だが俯いたままヴェルティカがボルトンに言った。
「ずっと私を騙していたのですか?」
「な、何をおっしゃいますやら。騙すなどしておりません」
「王を襲ったのはあなたなのでしょう?」
「いいえ。身に覚えもございません」
だがそこでつかつかと鎧のメルナが俺の隣りに来て、魔法の杖をボルトンの額に突き付けた。メルナが話をするのではなく、そのままマージが怒りを含んだ声で言う。鎧を着ているのでマージだと思うだろう。
「これ以上ヴェルを傷つけるようなら、あんたの頭を吹き飛ばすよ」
「け、賢者? なんでお前が生きているんだ? 闘技場で王のそばにも居たし…そもそも殺した…」
ヴェルティカも怒った声で言う。
「どうしてそれを知っているの? ボルトン」
「……」
「やはりあなたなのね」
少し沈黙して、突然ボルトンが叫んだ。
「ちくしょおおおお! 賢者め! 忌々しい、ばばあめ! やはりお前が邪魔をするのか! パルダーシュを襲ってまで殺したはずなのに! やはりお前がアアア! くそぉぉぉ!」
ヴェルティカが立ち上がって言う。
「ボルトン。あなたは…生きていてはいけないわ」
すると突然ボルトンは表情を変えて、ヴェルティカに言う。
「そ、そんな…お嬢様! 私目はずっと尽くして来たではありませんか!」
「いいえ。あなたは私を裏切った」
「で、では! 出来ましたら! 今一度! 今一度その御顔をお見せください! 後生です! どうせ殺されるのならば、その顔をお見せください!」
《偽装の感情です。企みを持っています》
「ヴェルティカ。兜を脱ぐな、コイツは何か企んでいる」
「ちっ! 奴隷風情が! お前は買った時からおかしいと思っていたんだ! クソが!」
するとヴェルティカはスッと牢の鍵を取り出した。
「殺された騎士の腰から外してきました。見張りの騎士もあなたがやったのですね?」
「そうだよ! ばーか!」
するとボルトンは元のガラバダの顔に変わった。だがヴェルティカはそれを無視し、クルエル将軍に向かって言う。
「将軍。今のあなたは囚人です。あなたをここから出せば、お逃げになるのではないですか?」
クルエルが答える前に、ガラバダが嘲笑するように言う。
「そりゃそうだろうよ! 知らなかったとはいえ、王の命を狙う輩を入れた張本人だ! 処罰をされるのが分かっていたら、逃げるに決まっている!」
ヴェルティカが言う。
「あなたには聞いていません。私はクルエル将軍と話をしている」
「けっ!」
するとクルエルが言う。
「パルダーシュのお嬢様。私をお疑いになるのは無理もないでしょう。ですが市民に危機が迫っているというのに、逃げるマネはいたいませんよ。腐っても私は将軍、もとより王にこの剣を捧げた騎士です。どうか…あなたの真実の心に従い、この鍵を開けてくださいますよう」
するとヴェルティカがカギを開けた。クルエル将軍が出て来て、ヴェルティカに跪いて頭を下げる。
「褒賞の儀で、無礼を働いたにも関わらず信じていただきありがとうございます。今は一刻を争う時、まずはこの罪人を縛り上げて連れていく事に致しましょう」
「わかりました」
そしてクルエルは牢屋の入り口にあった、綱と鎖を持って来てガラバダを縛り付けた。
そこでマージが言う。
「暴れられても困る、念のため眠らせておこうかね」
「うん」
「ふ、二人?」
ガラバダが間抜けな声を出した。
「常闇よ、その懐に包みこめ」
「常闇よ、その懐に包みこめ」
ガラバダがスッと目を閉じた。そしてクルエルが言う。
「主喰らいだと思ったら、お前はあのコハクか?」
「そうだ」
「我が罪を晴らすために、お前の儀式を汚したことを詫びる」
「目的は果たした。どうでもいい」
「…面白い奴よ。オーバースがのめり込むのもわかるな」
そしてヴェルティカが慌てて言う。
「では、行きましょう! まだ騒ぎは終わっていません」
「走りながら状況をお聞かせ願えるか! パルダーシュの勇敢なお嬢様!」
「もちろんです」
そうして俺達はクルエルを連れ出し、縛ったガラバダを背負って、一階に向けて走り出すのだった。




