第533話 聖イェシュアナ
円形の大広間の其処此処で戦いが始まる中、ロスニアは、遠間から向かい合ったペトリアに震える声で語りかけた。
「ペトリア猊下…… 発端は、アレクシス君なのですね……」
「--その通りだ、ロスニアよ。あの赤子…… 亜人の男児が生まれてしまった事が、全てのきっかけなのだ」
ペトリアの答えにロスニアは思考を巡らせ、そして思い出した。アウロラ王国の王城内にある礼拝堂で、自身がアレクシスに施した儀式、秘蹟の事を。
聖教会の礼拝堂には、必ず教会の象徴である合わせ楔が掲げてある。
当然王城の礼拝堂にも掲げてあるこれは、協会が管理する魔導装置であり、適正のある人間に神聖魔法を授ける機能を有する。
そしてこの機能は、聖職者が、新たに聖職者になろうとする者に対して本洗礼の秘蹟を施すことで作動する。
もちろんこの事は一般には知られていないが、ロスニアは王城の禁書庫で得た知識でそれを知っていた。
一方で、ただの洗礼と呼ばれる秘蹟も存在し、こちらは生まれたての赤子に創造神の祝福を授ける目的で行われる。ロスニアがアレクシスに行ったのは、当然後者の方である。
ではもし、合わせ楔に本洗礼以外の機能があったとしたら……
「あの合わせ楔には…… 亜人の新生児の性別を判別し、猊下達に知らせる機能も備わっていた…… そうでは無いですか?」
ロスニアの問いかけに、ペトリアが重苦しく頷く。
「それも正解だ。大災厄より後、この地上で永く人の世を見守ってきたが、男児誕生の報せを受けたのは初めての事だった。アレクシスに対面するまで、信じたくは無かったが……」
「大災厄より後…… 猊下は、何者なのですか……? 聖教とは、一体何なのですか!?」
「何者なのか、か…… 我の本当の名は、イェシュアナと言う。ペトリアという名は偽りのものだ。すまぬな」
「……! で、では…… 貴方が、聖イェシュアナ様……!」
聖イェシュアナ。創造神の生まれ変わりとも言われる、聖教における最も重要な聖人。
現在の聖教会の創始者であり、ロスニアは日に何度も捧げる祈りの中で、彼の聖人の名を幾度となく唱えてきた。
その偉大な聖イェシュアナが眼前にいて、お前達は死ぬべきだと宣告してきているのだ。
今すぐ跪いて赦しを乞いたくなるのを、ロスニアは俯きながらも必死に耐えた。
そんな彼女の様子を見て、ペトリアは少し居心地が悪そうに微笑した。
「そのように仰々しく呼ばれる事もあるな…… だが我は、ただの創造神様の使いに過ぎぬ。
聖教も創造神様のご意志により作ったものだ。大災厄後の過酷な世界で、人々の心と体を癒すためにな……」
その言葉にロスニアは顔を上げ、ペトリアへ強い視線を送った。
「その慈悲深き創造神様が、なぜ幼子の死を望むのですか……!? 男児に生まれたのが、男児を産んだのがそれほどの罪なのですか!?
猊下達は、シャムちゃんまで殺すおつもりですか……? あの子は、神託を賜るほどに創造神様に愛されていたのに……!」
シャムが強敵との戦闘で後遺症を負った際、ロスニアに神託が降り、彼女を治療するためのヒントを得た事があった。
その事を言われても、ペトリアは悲しげに目を伏せるばかりだった。
「--シャムは創造神様にとっての愛子であり、我らの姉妹のような存在だ。それは間違いない。
だからこそ、これまで世界の危機に際してのみ下されていた神託が、あの時ばかりは例外的に下されたのだ。
だが今は…… シャムや其方らが、人の世界の崩壊の引き金となりうる状況なのだ。だから、取り除かねばならぬのだ……」
ガァンッ!
「くっ……!」
聞こえてきた衝撃音と悲鳴に、ロスニアが視線を走らせる。
すると魔物の攻撃を受けたキアニィが、頬から血を流している所だった。
「キアニィさん……! 『神聖回復!』」
ロスニアがすかさず神聖魔法を飛ばす。しかし、それと同時にペトリアも動いた。
『神愛不在』
パキィン……!
ペトリアの詠唱に合わせて何かが砕けるような音が響き、ロスニアがキアニィに放った神聖魔法が消失した。
「なっ……!?」
驚愕するロスニアに、ペトリアが追撃をかける。
『昏睡』
ガクンッ……
突如襲ってきた強烈な睡魔に、ロスニアの体勢が崩れる。
しかし、彼女は鋼の意志でそれに一瞬拮抗し、呪文を口にした。
『神聖覚醒……!』
咄嗟に強力に発動させた眠気覚ましの神聖魔法。それにより意識をはっきりさせたロスニアは、油断なくペトリアに向き直った。
神聖魔法を打ち消す魔法に、対象を無理やり昏睡させる魔法。今ペトリアが使ったのは、どれもロスニアの知らない魔法だった。
「耐えたか…… ロスニアよ、やはり其方は強いな。それに引き換え、我は弱き女だ。失う恐怖に震え、決断できぬ軟弱者だ。
今も、ニプラトが苦渋の決断を行い、アシャフとカサンドラがそれぞれの姿勢で向き合う中、ただここに立っている……」
「だ、だったら……! 治療の邪魔をしないで下さい!」
「悪いがそうも行かぬ。何も決められぬ我は、委ねる事にしたのだ。
人の世界はこのまま在り続けるべきなのか、それとも変革が訪れるべき時なのか。それを、カサンドラ達の戦いに委ねることにしたのだ……
我はカサンドラ達を治療せぬ。だがロスニア。其方にもタツヒトらの治療はさせぬ」
ジュンッ!
「痛いっ!」
何かを焼き切るような音と悲鳴が響く。
視界の端でシャムが腕に火傷を負ったのを見つけ、ロスニアが治療を試みる。
『神聖再生!』
『神愛不在』
パキィン……!
しかし、ロスニアの魔法は再びペトリアに打ち消されてしまった。
位階や技量の差に加え、呪文の知識量の決定的な不足。ロスニアは、ペトリアに対して圧倒的に不利な状況だった。
にもかかわらず、ロスニアの目には諦めの色は無い。彼女は、決然とした表情でペトリアに視線を合わせた。
「--猊下のお考えは分かりました…… 聖教の成り立ちも、創造神様のご意志も…… ですが、全部関係ありません……!
今見つけました…… たとえ神に背いても、私は仲間を、人を助けます……! それが私の、聖職者としての道です!」
そう言い放ったロスニアを、ペトリアはどこか憧憬を宿したような表情で見返した。
「ロスニアよ…… やはり其方は、その心の内に神を宿す真の聖職者であるな。 --だが我も引くわけには行かぬ。すまぬが、この戦いの間は大人しくしていてもらおう……!」
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