第527話 鮮血の魔王(3)
『八重垣!』
間近に迫る致死の暴風を前に、僕は反射的に手に持つ槍を掲げ、神器たるその力を解放した。
ビュゴッ!
僕らをドーム状の強力な暴風結界が覆い、そこへ数え切れない程の血刃が殺到する。
ガガガガガガッ!
直後。凄まじい轟音が響き、結界に触れた赤黒い刃の悉くが砕け散った。その様にカリバルが歓声を上げる。
「さ、流石タツヒトの兄貴……! 助かったぜ!」
「いや…… これ、不味いんとちゃうか……!?」
対照的に深刻な表情を見せるエリネンに、僕は呻くように応えた。
「残念だけどその通り……! このままじゃすぐに魔力切れだ!」
ヴェラドが放った屍山血河は、強力無比な対軍魔法だ。
今は何とか防げているけど、僕の魔力は一秒ごとに凄まじい速度で削られている。
しかもフラーシュさんの読み通りなら、向こうが先に魔力切れを起こす可能性は極めて低い。このままじゃ確実に負ける……!
暴風結界の向こう側。烟る視界の中に見つけたヴェラドを睨むと、僕と目があった奴はニヤリと笑った。そして更に、何かを斬るような動作でゆっくりと腕を振り下ろした。
すると、結界全体に降り注いでいた血刃が急速に凝集。途方もなく巨大な真紅の大剣が形成され、それが僕らを叩き潰すように降ってきた。
「み、みんな避けて!」
--パァンッ!
ほんの一瞬だけ耐えてくれた暴風結界は、大剣の圧力を支え切れずあっさりと破壊された。
大剣はそのまま轟音を上げて大地を叩き割り、僕らを分断した。僕とカリバル、そして大剣を挟んだ向こう側にそれ以外のみんなという形だ。
その状況に対応する間も無く、大剣が急速に膨張した。
「……! 防御体勢!」
ドバッ!
「ぐぁっ……!?」
血の大剣が至近距離で破裂し、飛び散った血刃が僕の体を容赦無く切り裂いた。
しかし、まだ生きている。爆発の瞬間に身体強化を最大化したおかげで、なんとか致命傷は防げたらしい。
「み、みんなは……!?」
傷を押さえながらみんなの姿を探すと、そこには惨状が広がっていた。
「ティルヒル……! しっかりして!」
「どけアスル! 今薬使ったる!」
漆黒の体と翼を真っ赤に染め、ティルヒルさんがぐったりと横たわっていた。
その姿に心臓がヒヤリとし、絶叫したいのに喉が詰まって呼吸もままならない。
彼女に治癒の魔法薬を振りかけているエリネンも重症だけど、アスルとフラーシュさんは無傷だ。きっとティルヒルさんが二人を庇ってくれたんだ……!
--待て…… カリバルは!? 慌てて背後を振り変えると、カリバルは血まみれになりながらも生きていた。
「あっ…… うっ……」
しかし彼女は、いつの間にか接近していたヴェラドに背後から拘束され、その首筋に牙を突き立てられていた。
ゴキュッ……
「あに、き……」
ヴェラドが喉を鳴らす音、そしてカリバルのか細い声に、呆然としていた僕はようやく我に帰った。
「カッ…… カリバル!」
槍を手に距離を詰める僕に、ヴェラドは直ぐにカリバルを離して大きく後ろへ飛んだ。
カリバルが倒れ込み、事態を察したアスルが奴に切断水流で追撃をかける。
『海よ!』
ジュバァッ!
しかし、水流は大半がヴェラドの操る血刃に阻まれ、奴の体を浅く傷つけただけだった。
「ほぅ…… 中々腕の良い水魔法使いだな。さておき、ふむ…… 粗暴にして繊細。実に面白い味わいだった。
悪くないが、やはり只人の血程の満足感は無いな」
口をもごもごさせてふざけた事を呟くヴェラドを視界に収めつつ、エリネンと僕はカリバルの元へ駆け寄った。
「おいカリバル、しっかりせぇ!」
「エリネン! これ使って!」
「おう!」
手持ちの治癒の魔法薬を渡すと、エリネンはすぐにそれをカリバルへ振りかけた。
「--す、すまねぇ…… 油断したぜ。だが、もう大丈夫だ」
すると少しして回復したカリバルが、妙に平坦な声を上げながら立ち上がる。
それに安堵してヴェラドへ向き直った僕は、ふと吸血鬼の有名な逸話を思い出した。あの、牙を突き立てた相手を眷属にするという奴だ。
そして今回の帝国や馬王国、魔導国の不自然な動き。普段と違った、まるで何かに操られているかのような……
猛烈に嫌な予感がして、僕はバッと背後を振り返った。
するとまさに、僕を怪訝そうに見るエリネンに、カリバルが三叉槍で襲いかかっている所だった。
「--エリネン!」
「……!?」
ギャリィン!
僕の悲鳴のような声でそれに気づいたエリネンが、なんとかカリバルの攻撃を弾いた。
「カリバル…… おまはん、何のつもりや……!? 今のは笑えへんで!?」
「わりぃなぁエリネンの姉貴。ヴェラドの大姉貴が、姉貴達を殺せって言うんだ。気はのらねぇが、大姉貴の頼みは断れねんだよ」
「な、何を言うとるんや……!?」
エリネンも他のみんなも、無表情で異常な事を話すカリバルに戦慄している。これは、間違いない……!
「エリネン、みんな! 今のカリバルはヴェラドに操られている! きっと奴に噛まれたからだ! 多分、帝国や他の国の上層部も……!」
僕がそう声を上げると、離れた場所から様子を見ていたヴェラドが感嘆の声を上げた。
「ほぉ。瞬時に我が秘術を見抜くとは、流石は雷光殿だ。さぁカリバルとやら、我が元へ来るのだ。貴様を幕下に加えてやろう」
「おう、よろしくな。ヴェラドの大姉貴」
カリバルはそう応えながらスタスタと歩き、まるでそこが定位置かのように奴の斜め後ろに立った。
「くそっ……! こんなの、どうしたら……!」
「嘘…… カリバル、そんな……!?」
僕に続きアスルが震える声で呻く。ヴェラドは、それを見て口を三日月のようにして嗤った
「ふはは……! 実に良い顔だな、雷光殿。知っているか? 人の血の味は、その者が抱く感情によって変化するのだ。
そして吾輩が特に好むのは、強烈な怒りが深い恐怖や絶望に変わった瞬間の血だ……!
雷光殿も徐々に仕上がってきた様子。その首筋に牙を尽きててるのが、楽しみでしょうが無い…… ふは、ふははははは!」
哄笑する奴に、僕は思わず一歩下がってしまった。こんなにも…… こんなにも邪悪な人間がいるのか……!
状況はこちらが圧倒的に不利。あの馬鹿げた再生能力と戦闘力に、一体どう立ち向かえば……!
僕やみんなの心は、恐怖と絶望に覆われようとしていた。
キィン……
(みんな、準備できたよ! 射線開けて!)
そんな時、絆の円環を通してフラーシュさんの声が脳内に響いた。
そうだ…… まだ希望はあった! 途端に力がみなぎり、僕らは彼女とヴェラドとを結ぶ直線上から飛び退いた。
『破壊の呪光!』
ジッ……!
フラーシュさんがヴェラドに手を掲げて魔法名を叫ぶ。彼女からは眩い青い放射光と、背筋の凍るような強烈な魔法の気配がした。しかしその手からは、目に見えるものは何も放たれなかった。
「--なんだ……? 強力な魔法の気配を感じたと思ったのだが、不発か……?」
血刃で防御姿勢をとっていたヴェラドが首を傾げる。
けど、今のは決して不発なんかじゃ無い。放たれたのは不可視の呪光。神をも呪った、禁呪中の禁呪だ……!
『雷よ!』
バァンッ!
突然僕が放った雷撃を、ヴェラドは寸前で反応して手で受け止めた。
「雷光殿よ。その魔法はもう見飽きたぞ……? 確かに良い魔法だが、吾輩を屠るには--」
呆れ顔でそう語っていた奴が異常に気づく。雷撃を受けて焼けこげた手が、再生しないのだ。
「な……!? ち、治癒が始まらないだと!? 何故…… 何故魔神ニプラトの加護が!? うっ……!? オェェッ……!」
困惑するヴェラドが、今度は体をくの字にして嘔吐し始めた。
もう効果が出始めたのか……! 先ほどフラーシュさんが奴に打ち込んだのは、強力かつ致命的な放射線だ。
それがヴェラドの細胞の最も重要な部分を不可逆に傷つけ、細胞分裂を停止させた。つまり、もう奴の体が再生することは無い!
「へへっ…… や、やった……!」
魔力切れだろう。ヴェラドの様子を見届けたフラーシュさんが、ガックリと膝を突く。
「フラーシュさん……! あとは任せて下さい!」
「貴様ら…… 吾輩に、何をした……!? 何をしたぁっ!? うぐっ……!?」
ヴェラドが憎悪の絶叫を上げながら血刃の群れを操ろうとする。
その直前、なんとカリバルが奴の背中に三叉槍を突き刺した。
「き、貴様ぁ……! なぜ支配が!?」
「あれ、わりぃ…… 大姉貴見てたら、無性にぶっ殺したくなっちまってよぉ……」
激怒するヴェラドに、カリバルがフラフラと後ずさる。
その致命的な隙に合わせて、エリネンが跳躍した。
ザンッ!
「がっ……!?」
彼女はヴェラドの両目を撫で切ると、カリバル担いでその場から離脱した。
「ったく、世話のかかる女や! 今やおまはんら、畳みかけんかい!」
「言われなくても……! 『水竜連斬!』」
間髪入れずにアスルが放ったのは、かつての強敵である水竜将軍ジャラムディカの技だった。
幾重にも折り重なった切断水流が、ヴェラドの強靭な身体強化を貫通し、その体に賽の目状の深い裂傷を刻んだ。
「がっ……!?」
「あーし、もー怒った……! 『風竜裂渦!』」
意識を取り戻したティルヒルさんが、同じく風竜将軍ヴァーユディカが使っていた絶技を唱えた。
彼女の放った超高圧の小型竜巻は、ヴェラドに触れた瞬間に爆散。その体をズタズタに切り裂いた。
「ゴボッ…… ゆる、さぬ…… 許さぬぞ……!」
大量に出血し、手足も胴体もちぎれかけ。エリネンに切り裂かれて目も見えていない。
にも関わらず、ヴェラドは怨嗟の声を上げながら僕に顔を向けた。
「それはこっちの台詞だ…… ヴェラド。僕は、決してお前を許さない……!」
ゴロゴロゴロッ……
天に向かって雷槍天叢雲を掲げる。
奴を倒すには、回復する暇を与えない程の強烈な一撃が必要。そう確信した時から育て上げていた巨大な積乱雲が、解放を急かすように唸りを上げる。
その莫大な電荷を根こそぎぶつける。そう強くイメージしながら、僕は叫んだ。
『天雷!!』
--カッ……!
鮮血の魔王ヴェラドを、天から打ち下ろされた裁きの雷光が飲み込んだ。
遅くなりましたm(_ _)m
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【水曜以外の19時以降に投稿予定】
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