第525話 鮮血の魔王(1)
王都を飛び出した僕とエリネン、そしてフラーシュさんは、途中でティルヒルさん、それからアスルとカリバルのコンビと合流し、西の港街へと急いだ。
そして二時間ほど全力で駆けて目的地に辿り着いたとき、僕らは愕然とした。
目の前に聳え立つ都市防壁。その向こう側は炎で赤く染まり、大量の火の粉が舞い上がっていたのだ。
にも関わらず、街の外に避難してきた人などは見当たらず、悲鳴すら聞こえない。炎が爆ぜる音のみが響いている。
「そんな…… まさか、もう……!」
僕に背負われたフラーシュさんが、絶望の声色で呻く。
全滅。その予想を僕は必死に頭から振り払った。
「いえ…… まだ、まだどこかに生存者がいる筈です……! 防壁に登ってみましょう!」
全員で防壁の上に飛び乗ると、眼下の街はやはり火の海だった。さらに通りや家の前などそこら中に、血塗れの住人が微動だにせず横たわっていた。
「う、動く人影が全く無いや無いか……! こりゃあ、もう……」
「待ってエリぴょん! 向こうに広場が見えるよ! あそこはまだ火の手が回ってないみたい!」
僕らより少し高い位置に滞空したティルヒルさんが、街の中央付近を指す。
「先導して下さい! 生存者がいるかも知れません!」
「りょーかいっ!」
防壁から飛び降りた僕らは、ティルヒルさんに先導して貰いながら街を駆けた。
暫く走ると、家屋の群れの向こう側から微かに人の声が聞こえ始めた。
「広場に入るよ! あっ……!?」
先行したティルヒルさんに一瞬遅れて、僕らも広場に足を踏み入れた。
「「--ゲラゲラゲラゲラッ!」」
広場に響いていたのは重なり合う哄笑だった。
そこには数百の人影と、何かが積み上げられて小山のようになったものが幾つも見えた。
人影に目を走らせると、目を赤く染めた人影が、別の人影の首筋に牙を突き立て喉を鳴らしていた。前者は下品な笑い声を上げ、後者のか細い悲鳴を打ち消してしまっている。
その蛮行が至る所で行われ、広場はゆらめく炎と、住人達から流れ出た血で赤く染まっていた。
「「……!」」
言葉を失う程の悍ましい光景に、僕らは暫し呆然としてしまった。
「ふはっ、ふはははは……!」
そこへ、一際楽しげな笑い声が響いた。
声の主を探すと、そいつは何か…… いや、この街の住人達の死体で築いた山の上に、傲然と腰を落ち着けていた。
鮮血のように赤い長髪をたなびかせたその女は、冷たい美貌を笑みの形に歪めている。
「貴様らそう慌てるな! 白も赤も、赤子から年寄りまでよりどりみどりだ! いくらでもあるのだぞ! ふはははははっ!」
「申し訳ございません陛下! このような宴など久方ぶりでして!」
「あぁ、最後の一滴まで飲み切るこの快感…… 何物にも代え難い……!」
その女の言葉に、目を赤く染めた人影、吸血族達が楽しげに応える。
「ふっ、はしゃぎおって。ふむ、この赤も中々に美味だった。しかし、もう少し寝かせた方が好みだな」
陛下と呼ばれたそいつは、手に持っていた持った何かをポイと放った。
ドサッ……
死体の山の上から広場の石畳に投げ捨てられたそれは、年端も行かない少女だった。
青白い顔を絶望に歪め、頬は涙に濡れている。ぴくりとも動かないその子の姿に、エマちゃんの姿が重なった。
瞬間。腹の底から強烈な怒りが湧き上がり、目の前が真っ赤に染まった。
あの風貌、そしてこの残虐性と威圧感…… 何より僕の直感が囁く。あいつだ…… あいつが……!
「--ヴェラドォォォォォッ!!」
激情に突き動かされるまま、僕は奴に向かって地を蹴った。
一瞬で縮まる距離。ヴェラドがこちらに気づいて振り返る。
「貴様は……!?」
首を狙った僕の刺突は、奴が瞬時に抜剣した細剣で逸らされてしまった。
圧縮された時間の中、奴が返す刀で放ってきた刺突を、僅かに頬を裂かれながら躱す。
僕はその間に槍を手元で回転させ、掬い上げるような切り上げを放った。
ザシュッ!
「む……!?」
胸元に縦一文字の傷を負い、奴が大きく後ろに下がって石畳に着地する。
同じく石畳に着地した僕は、追撃をかけようと足を撓めた。その時、誰かが僕の肩を掴んだ。
「待てタツヒトの兄貴! 一人で突っ走んじゃねぇ! あの腐れ外道は、俺ら全員でブチ殺してやろうぜぇ……!」
振り返ると、僕の肩に手を置きながら、カリバルが険しい表情でヴェラドを睨んでいた。
「カリバルが珍しく良い事を言った。私たちは、タツヒトを一人で戦わせないために一緒に来た」
続くアスルの言葉に、他のみんなも頷く。
「ごめん…… やろう、みんなで……! 討伐陣形! フラーシュさんは用意を!」
「「応!」」
僕の声に応えてくれたみんなが陣形を組む。前衛は僕を中心に、左右にエリネンとアスル。中衛にティルヒルさん、後衛にアスルとフラーシュさんの並びだ。
臨戦体勢となった僕らを…… いや、僕を見て、ヴェラドがハッと息を飲んだ。
「ふはは……! そうか。グラツィアから風貌は聞いていたが、貴殿がそうなのか……!」
奴は頬を歪めると、むかつくほどに洗練された動作で一礼した。
「お初にお目にかかる、タツヒト王。吾輩の名はヴェラド。今は帝国の公爵などをしている。
先ほどの、男とは到底思えん技の冴え…… 流石は音に聞こえし雷公殿だ」
「--その通り。僕がタツヒトだ。ヴェラド。お前がこのおかしな戦争を引き起こしたことは分かっている。
けど、なぜこんな事をしたんだ!? お前の狙いは僕の筈だろう!?」
広場の惨状を指して問い詰めると、奴はただ笑みを深めただけだった。
「ふはは、そうとも。しかし、ご馳走の前に軽食を摘むなど、誰でもやる事であろう?」
「お前……!」
「ふふ…… 良い表情だ。聞いた通り美貌に、背筋が凍るような殺気…… 良い、非常に良いな……! さて、では味の方は……」
奴は、おもむろに自身の細剣を口元へ持ってくると、僕の血がついた切先をベロォと舐めた。
「うっ……!?」
血を、味見されてる……!? なんだこれ、すっごく嫌だ……! いや…… それどころじゃない。奴の胸元。決して浅くない一撃を入れた筈なのに、その傷がいつの間にか完治していたのだ。
吸血族は傷の治りが早い聞いてたけど、これは異常だ。ロスニアさんの神聖魔法並みだぞ……!?
僕がいろんな意味でヴェラドに戦慄していると、口の中で血を転がしていた奴が目を見開いた。
「……!? こ、これは…… なんたる……! なんたる芳醇たる味わいか!
白なのに赤の風味もある…… 軽やかな口当たりの奥に、熟成された強烈な旨みまで……!
素晴らしい…… この世に生まれ落ちて数百年。今までこれほど美味な血を飲んだ事は無い!
あぁ、魔神ニプラトよ…… 吾輩にこのような機会を頂き、感謝の念に耐えませぬ!」
長々と僕の血について語ったヴェラドは、今度は歓喜の笑みを浮かべながら虚空に祈り始めた。
その様子も異様だけど、もっと気になる事があった。
「魔神、ニプラト……? 誰か聞き覚えは……!?」
問いかけてみるも、みんな首を横に振るばかりだった。
やっぱり聞いた事の無い名前だ。名前の感じからして、アラク様の同僚でも無さそうだけど……
祈りを終えたヴェラドがこちらに向き直る。
「--これ程の逸品、是非じっくり味わいたい。しかし周りの小虫共が邪魔だな……
我が精鋭達よ、暫し宴は中断だ! わざわざこの国の王が我々を出迎えてくれたのだ! こちらも存分に応えようではないか!」
ヴェラドの声に、様子を伺っていた吸血族達がじりじりと距離を詰め始めた。
数は数百。精鋭というだけあって位階の平均も高め。真面目に相手をするのは結構骨が折れそうだ。
「いいさ、歓迎するよ…… ただし、アウロラ王国流だ……! フラーシュさん!」
『宵闇の太陽!』
僕の合図とともに、フラーシュさんが空に向かって光弾を打ち上げた。そして。
--カッ!
上空で膨張した光弾から、夏の日差しのような強烈な陽光が降り注いだ。
「「--ぎゃぁぁぁぁっ!?」」
太陽と同じ性質の光に炙られ、皮膚を爛れさせながら吸血族達が逃げ散っていく。
しかし、一人だけその場から動かない者がいた。ヴェラドだ。奴は皮膚から僅かに煙を上げならも、全く堪えた様子が無い。
「ほう、これが話に聞く日光浴か。この程よい痛み…… 悪くないな」
「う、嘘……!? 普通の吸血族なら、絶対耐えられない紫外線の強度なのに……!」
「肌が焼かれる速度を、奴の回復速度が上回ってるのか……!?」
驚愕するフラーシュさんと僕を他所に、奴は哄笑と共に両手を広げた。
「ふはははは! 心外だな。この吾輩を、そこらの平凡な吸血族と一緒にするなど……!
吾輩こそは吸血族の最も古く純粋な血を引く者…… 鮮血の魔王、ヴェラドである!
さぁ魔神ニプラトよ、どうかご照覧あれ! これよりこの極上の贄を、あなた様に捧げて見せましょう!」
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【水曜以外の19時以降に投稿予定】
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