第524話 赤眼の襲撃者
ザザザザザッ……
激しい波音がようやく収まり始めると、アウロラ王国近海の景色は一変していた。
王国沿岸をぐるりと囲むように、海原に円環状の窪みができていたのだ。
窪みの深さや幅は百m以上はあり、海底が見えてしまっている場所もある。
そのあまりに壮大で現実感のない光景に、先んじて円環の内側に避難していたヴァイオレットとティルヒルは、只々驚愕していた。
「な、何という…… 効果は聞いていたが、これほど凄まじいとは……!」
「すっごっぉ…… もー、凄すぎてそれしか言えないよぉ。あっ……」
王国軍の旗艦の上にいる二人が目を留めたのは、一羽の海鳥だった。
露出した海底の岩場に魚でも見つけたのか、海鳥が窪みに向かって上空から降下してくる。
するとある高度まで降りた瞬間、海鳥は帝国の艦隊同様、翼をばたつかせながら水平方向に吹き飛んでいった。
そして窪みの外側に出た辺りで落下の軌道は放物線を描き始め、ようやく海に墜落した。
海鳥が落ちたあたりの海域には、横転、転覆した帝国の艦隊が死屍累々の体で漂っている。
「目を覆いたくなるような光景だな…… 半数ほどの船は無事に見えるが……」
「いやー、ヴィーちゃん。多分中身ぐしゃぐしゃだよ……?」
二人が戦慄するこの光景を生み出したのは、始祖神レシュトゥの名を冠する魔法。始祖神の護りだ。
この強力無比な闇魔法は、王国沿岸の重力場に干渉し、その力の及ぶ向きを水平方向に変換。王国に近づくあらゆるものを退ける。
この超大規模魔法の発動を可能としたのが、方舟の船底で発見された壊れた主機関魔導装置だ。
本来の機能を復元する事は出来なかったが、シャム、プルーナ、フラーシュ、タツヒトの知恵と技術により、新たな、国土防結界とも言える機能の実現に成功したのだ。
ちなみに、以前この装置に使われてた巨大な魔核は、覆天竜王の手によって失われている。しかし現在は皮肉にも、それを成した本人の魔核が装置に使用されていた。
「--おっと、始祖神の護りは大成功だと王都に報せなければ。
ティルヒル。君は味方に被害が出ていないか確認してくれるだろうか? あぁ、結界の効果範囲に入らないように気を付けてくれよ」
「りょーかい、ヴィーちゃん! さっきの海鳥、ちょっとかわいそーだったね…… 注意するね!」
ティルヒルはトン、と軽く甲板を蹴ると、一瞬にして上空へと飛び上がった。
***
「「おぉぉぉぉっ!!」」
王城の会議室は歓声で満たされていた。始祖神の護りの発動から数分後、東と南北、全ての港から作戦成功の報が上がって来たからだ。
敵連合艦隊のおよそ半数が航行不能に陥り、残りの半数も結界の外側で動けずにいるらしい。
絶体絶命の状況が一気にひっくり返り、僕も軽い興奮状態になっていた。
『シャム、フラーシュさん! 大成功ですよ! 本当によくやってくれました……!』
絆の円環で作戦の功労者二人に語りかけると、心底安心したというような声が脳内に返ってきた。
『ふぃー…… ぶっつけ本番で上手くいって、本当によかったであります……!
あ、でもまだちょっと直したい所があるであります。装置の調整が完全に終わったら、王城に戻るであります!』
『あたしは今から会議室に向かうよー。あとは放っておいても大丈夫そうだし。 --始祖様、ありがとね』
シャムの現在地は、方舟の船底部の主機関魔導装置の空間。フラーシュさんは、装置のコンソールが発見されたレシュトゥ様の私室に居る。
防衛戦が始まってからも、彼女達は必死に防御結界の起動を試みてくれていたのだ。
「始祖神様…… 死してなお、私たちをお守り下さるのか……!」
ひとしきり歓声を上げた後、宰相をはじめとした重臣達は涙を流し始めていた。
方舟を再び空に戻す事は叶わなかったけど、レシュトゥ様の遺産によってこの国が守られた事に感極まってしまったようだ。
「そうだな…… 彼の神は常に我らと共にある。さぁ、まだ戦争が終わった訳ではない。最後まで気を抜かずに行くぞ」
「「はっ!」」
しかし、再び警戒体制を取った僕らに対し、敵連合は沈黙したまま動かなかった。
そしてそのまま日は暮れ、何も起きないまま夜となった。
そんな状況でずっと緊張状態を保てる訳もなく、僕らは軽食を摘みながら雑談のような会話を始めていた。
「流石にもう今日は動かないか。戦力の半数が潰された今、普通なら撤退する筈だが……」
「どうやろなぁ……
今回の戦争、初めから全部おかしかったやろ? 黒幕のヴェラドゆー吸血族もまだ出てきとらんし」
「それもそうか…… やはり気は抜けないな」
僕のエリネンの会話に、会議室に合流したフラーシュさんがサンドイッチをぱくつきながら首を傾げる。ちなみにシャムも今から王城に戻ると言って来ている。
「もぐもぐ…… そうかなぁ。もし攻めて来たとしても、あの結界はそう簡単に越えられないと思うよ? 龍穴からの魔素で動いてるから、半永久的に維持できるし」
「ふむ。しかし長期間あの状態が続くと、海洋環境や今後の漁業への影響が心配だな。結界が存在していると、俺たちも連合の海運も滞る……
タツヒト陛下。明日の朝、連合に停戦交渉を持ちかけてみるのはどうだろう?」
メームさんの言葉に僕は唸る。
「うむ…… 試してみる価値はあるが、やはりヴェラドが問題だな。あの布告文からして、奴は損得抜きに我が国、特に我やその周りの者達を排除したがっているように--」
バァン!
突如、弛緩した空気を吹き飛ばす勢いでドアが開いた。
全員が弾かれたように入り口の方を向くと、そこには息を切らした蒼穹士団員が立っていた。猛烈に嫌な予感がする。
「はぁ、はぁ……! ほ、報告します! 港が…… 西の港町が燃えています! 襲撃を受けているようです!」
「「なっ……!?」」
彼女の報告に、会議室に居た全員が驚愕の声を上げた。
「馬鹿な、どうやって結界を突破したのだ!?」
「西方の艦隊や騎士団は-- そうか、殆ど北に回してしまったのだった……! 残った警備兵は!?」
「敵の数は!? 一体何者なのだ!?」
重臣達が矢継ぎ早にした質問に、団員が青い顔で答える。
「け、結界を突破した方法は不明ですが、港に巨大な異国の船が停泊していました! 警備兵はおそらく全滅……! 敵の数は数百名規模です!
何者かについてですが…… 私が空から見た際、住民を襲う敵の目には赤い燐光が灯っていました!」
「……! 吸血族か! 動くとは思っていたが……!」
東と南北の港と違い、西の港は敵連合のどの国からも距離がある。しかも西の港は王都から一番離れた場所にあるので、攻められる可能性は低いと僕らは予想していた。
勿論こうして裏をかかれる事も十分考えられた。けれどそれに供えて西に戦力を配置する程の余裕は、僕らには無かったのだ。
「続けて報告します……! 襲撃者の中に、凄まじい強者の気配を感じました! まるで、陛下やヴァイオレット妃のような圧力でした……!」
「……! ヴェラドだ……! --今度こそ我が出よう。奴の力量が噂通りなら、それが一番良い選択のはずだ」
「待て、ウチも行くで……! あと結界が働いとー今やったら、東と南の戦力を少し動かしてもええやろ。
ティルヒルと…… あとアスルとカリバル。この三人やったら、空路と運河をつこて早う合流でけるやろしな」
「あ、あたしも行く! 吸血族相手なら、きっとあたしの魔法が役に立つ……! お願い、早く助けに行かないと!」
エリネンに続き、フラーシュさんも手を上げた。それに僕は一瞬逡巡したけれど、彼女の強い視線に負けて頷いてしまった。
「分かった。一緒に行こう! メーム妃、皆! すまないが、ここを頼む」
「--了解した。死ぬなよ、みんな」
決然とした表情のメームさんと重臣達に見送られ、僕らは王城を飛び出した。
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【水曜以外の19時以降に投稿予定】
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