第520話 布告
秋の気配がし始めた少し肌寒い早朝。王城の訓練場で、僕とヴァイオレット様は一足一刀の距離で向かい合っていた。
双方が持つのは訓練用の木製武器。けれど、二人の間に流れる緊張感は実戦と何ら遜色無い。背筋にじわりと冷や汗が滲む。
集中が高まり、周囲で訓練をしている他のお妃さん達の声が徐々に小さくなっていく。
外から見たら、二人とも微動だにせず睨み合っているだけに見えたと思う。でも僕らの間では、ほんの僅かな重心の移動、武器の握りの変化、視線の揺らぎなどを読み合う、高度な情報戦が行われていた。
そんな中、先に痺れを切らしたのは僕だった。ヴァイオレット様の僅かな重心の揺らぎに隙を見出し、思い切り地を蹴って突貫した。
「シッ!」
放ったのは地を這うような薙ぎ払い。ヴァイオレット様の前脚を刈り取るように、僕の杖が迫る。しかし。
「フッ……!」
彼女は最小限の動きで前脚を引いてそれを回避すると、即座に反撃の斧槍を僕の首目掛けて打ち下ろした。
斜め上から迫る致命の一撃。僕はそれを潜るように回避すると、頭上を通り過ぎた斧槍に対して、その背を押すような一撃を加えた。
カァンッ!
「むっ……!?」
硬い衝突音が響き、斧槍が明後日の方向に弾かれる。それに引っ張られてヴァイオレット様が明確に体勢を崩した。
今……! この機を逃すまいと、僕は彼女の喉元へ最短距離で突きを放とうとした。
「!?」
しかし、彼女は崩れた体勢を引き戻さず、逆にその勢いを利用して再度強烈な打ち下ろしを放ってきた。
ガァンッ!
「……!」
慌てて杖を引き戻してその一撃を防いだものの、そこから先は防戦一方となった。
彼女の猛攻に少しずつ選択肢が削られていき、徐々に受けが間に合わなくなっていく。
そして最後。大きく体勢を崩した僕の首筋に、斧槍の刃がぴたりと突きつけられていた。
「ま、参りました……」
僕の降参宣言の数秒後。ヴァイオレット様が残心を解いて武器を引いた。
「--ふぅー…… タツヒト! 最初の崩し、あれは素晴らしかったぞ! やはり、君は例の将軍との戦いで何かを掴んだようだな。もはや私との技量の差はほんの僅かだろう」
「技量の差はともかく…… 地竜将軍、ムルヴァディカの影響は確かに大きいですね。
何しろ、敵なのに尊敬の念が芽生えてしまうくらいに凄い男でしたから。正に武の化身って感じでしたよ」
お よそ一年前の内乱。それを裏で操っていたのは、覆天竜王の残党を率いるムルヴァディカという魔人だった。
知略、人格にも優れていたけど、数千年練り上げたという武術の技量は本当に凄まじかった。今でもあの男の流麗な動きが脳裏に焼き付いている。
単身王城に攻めてきた彼に僕が勝てたのは、一緒に戦ってくれたプルーナさんのおかげだ。
「そうか…… 少し不謹慎だが、それほどの武人なら一度手合わせしてみたかったな」
「ほんと、カサンドラさんと相対してるみたいでしたよ。久しぶりに彼女にも手合わせして貰いたいですけど、今どこにいるのか分からないですからねぇ……」
カサンドラさんはシャムと同じ顔をもつ妖精族だ。冒険者組合にお勤めの神出鬼没な受付嬢さんで、僕らは世界各地で度々お世話になった。
どうやら組合の偉い人らしいのだけど、実際にどのくらい偉いのかは分からない……
そして、彼女はめちゃくちゃ強い。もう、ヴァイオレット様や僕が子供扱いされてしまうくらいに。ほんと何者なんだ……
「カサンドラ殿か…… 組合に手紙を出せば連絡を取れるかもしれないな。しかし今の組み手といい、最近の君は特に気合が入っているように見える。やはりヴェラドの件が……?」
「ええ…… 正直気になって仕方ないです。そろそろ帝室から回答が来るはずなんですが、ナノさん達の報告も少し不穏ですし、なるべく備えておきたいんです。最後にものを言うのは、結局これですから」
少し心配気なヴァイオレット様に、僕は杖を掲げて笑って見せた。
諜報部隊の報告によると、皇帝はヴェラドを帝都に呼び出し、その後捕縛する事も無く奴の領地へ帰してしまったらしい。そして今は、帝国中からヴェラドの公爵領周辺に兵や物資を集まっているのだとか。
この動きは、僕らの抗議文に答えるため、帝室がヴェラド捕縛の準備をしているとも解釈できる。
でもそれにしては少し規模が大きいし、捕縛するなら、最初から奴を帝都に呼び出した時にすればよかった話だ。なんだか色々と不自然なのだ。
何というか、アウロラ王国の内乱が始まる前の時のような不穏な雰囲気を感じる……
なので念の為、僕らは南方の豊穣公達と連携し、少しずつ人や物資を帝国に面した南側に集めている。
「ふふ、違いない。良し。ではもう一本どうかな?」
「ええ、お願いします!」
ヴァイオレット様の提案に頷いた僕は、その後何度も彼女に挑戦した。しかし、最初の一戦以降はあまり良い所を見せられず、ボコボコにされて終わってしまった。まだまだ修行が足りないらしい。
朝練を終えて朝食を摂った僕らは、今日も一日頑張ろうとそれぞれの仕事へと出かけた。
僕もシャムとフラーシュさんの二人と執務室に向かい、文句を言いながら書類を捌き始めた。
そんないつも通りの一日を過ごしている最中に、その一報は飛び込んできた。
「使者…… それも帝国だけでなく、魔導国と馬人族の王国からもだと……!?」
「は、はいぃ…… 各国から、一名ずついらしています。それで、その、三名同時にタツヒト陛下との謁見を賜りたいと……」
恐縮した様子でそう伝えてくれたのは、外務長官のアプトゥさんだった。彼女の他にはラビシュ宰相と、最近外務顧問として入ってくれたマリーさんとケイさんの姿もある。
予想外の展開に、僕はその場のみんなの顔を見回してしまった。誰もが困惑の表情を浮かべている。
「皆、これをどう見る?」
「正直、見当もつきません。使者達の要望から、三国がなんらかの連携を取っていることは伺えるのですが……」
「そうですね。それもアウロラ王国を除いた形で、です。これは……」
マリーさんとケイさんの言葉に、僕は嫌な予感を感じ始めていた。
「--ともかくその使者達に会おう。まずは話を聞かねば」
僕らはすぐに執務室を出ると、謁見の間へと向かった。
「アウロラ王国国王、タツヒト陛下、ご入来!」
警備の騎士の言葉と共に入室し、ゆっくりと王座に座る。僕の側にはラビシュ宰相が立ち、隣の席にはフラーシュさんが座った。他のみんなも謁見の間の壁際から見守ってくれている。
「面を上げよ」
僕の言葉に、王座の前に跪いていた三人が顔を上げた。
その内二人は知った顔だ。魔導国と馬人族の王国に使者で、彼女達とは何度も顔を合わせている。
しかし、いつもはにこやかで友好的な彼女達は、今日はひどく無表情に見える。
そして残り一人。三人の真ん中に跪いているのは隻眼で黒い毛並みをした犬…… いや狼人族か? 気配や雰囲気からしてかなりの手練れのようだ。この人が帝国の使者なんだろうけど……
使者達を観察していると、絆の円環を通してシャムとフラーシュさんの声が聞こえてきた。
『タツヒト…… あの真ん中の狼人族。情報にあったヴェラドの右腕。黒狼騎士団のグラツィア騎士団長であります……!』
『え…… それって、皇帝の名代として、ヴェラドの側近が来ちゃってるってことだよね……!?』
『そうなりますね…… どうゆう状況なんだ……!?』
内心の混乱を抑え込み、僕は使者達に声をかけた。
「使者達よ、遠方より良くぞ来た。して、真ん中の其方が帝国の使者であるな?」
「は! ベルンヴァッカ帝国皇帝、エンペラトリス四世陛下より使者を仰せつかりましたグラツィアと申します。彼の雷公、タツヒト王に拝謁を賜り、恐悦至極にございます」
グラツィアは不敵な笑みを浮かべながらそう答えた。残念ながら情報は正しかったらしい。
「うむ…… して、グラツィアよ。此度の要件はなんであろうか? 見れば、イクスパテット王国とレプスドミナ王国の使者とも随分仲の良い様子……
我らが皇帝に送った抗議文から考えれば、少し奇妙な状況と言えるな?」
「は。我らは陛下に、一つの布告をお伝えするために参りました」
「布告、だと……?」
グラツィアは笑みを深めると、突然懐から書類を取り出し、朗々と読み上げ始めた。
「ベルンヴァッカ帝国皇帝エンペラトリス四世、イクスパテット王国女王ヴィクトワール、レプスドミナ王国女王エメラルダ四世が、アルロラ王国の邪悪なる国王、タツヒトに告げる!」
「「……!?」」
謁見の間に詰めかけた人々。使者の三人を除く全員が一斉に息を呑んだ。
三国の代表が、連盟で僕を邪悪と謗るこの文面。まさか……!?
「タツヒト王は世に言われるような仁君に在らず! その強大な力を得るため多くの人々を魔神の生贄に捧げた殺人者、忌むべき男である!
タツヒト王の邪智暴虐は止まる所を知らず、その邪法を自らの妃にまで施し、悍ましき呪われた赤子まで生み出した!
そのような悪逆たる王と、その王を戴くアウロラ王国は、エウロペアの正義と平和を脅かす悪の枢軸である! 創造神様の名の下、断じてそのような存在を許す訳にはいかない!
よって我々三国は、無辜なる人々を守るために手を取り合い…… ここに、アウロラ王国への宣戦を布告する!」
大変遅くなりましたが、お読み頂きありがとうございましたm(_ _)m
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【水曜以外の19時以降に投稿予定】
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