第508話 吸精族の使節
冬の名残の寒さも和らぎ、季節は春になった。
息子のアレクシスは生後二ヶ月となり、首もすわって体重も生まれた時の二倍程になった。
亜人は只人より成長が早いらしいけど、この子はその中でも更にせっかちなようだ。
そんなふうに子供の成長を楽しむ時間を過ごしていると、以前お世話になったとある人物が使節として王城を訪ねて来た。
僕は即座に事務仕事を切り上げると、予定の空いていたヴァイオレット様とシャム、そして食事を終えて熟睡中のアレクシスと一緒にその人物を応接室で迎えた。
「タツヒト陛下、とってもお久しぶりですね! またお会い出来て嬉しいわ♡」
蠱惑的な笑みを浮かべながらそう言ったのは、桃色の髪と瞳を持ち、腰から蝙蝠のような羽を生やした絶世の美女。吸精族のディーナさんだ。お召し物も大変に扇状的なので、まんまサキュバスといった見た目をしている。
彼女はここから遠く東に位置する吸精族の国、ミュリエソミュール共和国の軍務高官で、僕らがシャムの部品探しの旅で同国を訪れた際に知り合ったのだ。会うのは多分二年ぶりくらいになる。
「う、うむ。久しいな、ディーナ殿。元気そうで何よりだ。しかし、その、少々近いというか……」
対する僕の反応は歯切れが悪い。何故ならば、彼女は空いていた来客用のソファーを素通りし、迷わず僕が座っているソファに座ったからだ。しかもピッタリと身を寄せるように。正直ドギマギしてしまう。
ちなみにアレクシスを抱いたヴァイオレット様とシャムは、もう一つの別のソファに一緒に座っている。
「そ、そんな……! 悲しいことをおっしゃるのですね……♡ あんなに激しく、濃密な時間を共に過ごしたのに♡」
上目遣いで本当に悲しそうにするディーナさんを見て、理不尽な罪悪感に襲われる。
いかんいかん。どう思い起こしても、彼女とはそういった関係になったことは無いはずだ。
「あー…… 確かに我々は、背中を預けて死闘を潜り抜けた戦友であるな。
だが、他国の要人である貴殿とこのように触れ合うのは、我が国では少々外聞が悪くてだな。妃達も見ている事であるし……」
「あらいけない、私ったら♡ 陛下にお会い出来たのが嬉しくって……♡ どうか許して下さいね♡
--ヴァイオレット妃、シャム妃。お久しぶりにございます。アレクシス王女の御生誕、並びにシャム妃を蝕んでいた呪いの解呪に、このディーナ、謹んでお喜び申し上げます」
ヴァイオレット様達に向き直ったディーナさんは、まるで人が変わったような様子で挨拶した。
僕に対しては語尾にハートマークが付くような猫撫で声で話していたのに、ヴァイオレット様達には実直な軍人といった対応だ。
「う、うむ。ありがとうディーナ殿。その、相変わらずのようで安心した」
「シャムも、ディーナに元の姿を見せることが出来て嬉しいであります! 来てくれてありがとうであります!」
「は! 光栄であります!」
ヴァイオレット様とシャムの言葉に、ディーナさんはやはりハキハキと規律正しく答える。
が、彼女はその最中も僕の顎下やら胸元をさすさすと撫で続け、太腿には先がハート型になった尻尾を巻きつけている。
久しぶりでちょっと驚いてしまったけれど、これが彼女達吸精族にとっての普通なのだ。
一般的に、亜人は自分達より弱い只人には庇護対象として優しく接する。
しかし彼女達吸精族はその傾向がより激しく、特に只人の男を子猫のように可愛がるのだ。ちょうど今の僕のように。
そして彼女達は、年齢、顔の造形、体型などで差別しない。すべての男性に対して平等に、極めて優しく愛をこめて接するのだ。
この性質は、彼女達の特殊な食性による所が大きいとされている。
彼女吸精族は、その、男の精を摂取しないと衰弱死してしまう種族なのだ。これはとんでもないデメリットに聞こえるけど、それ以上のメリットがある。
精を摂取することで、なんと彼女達はある程度魔力を回復させることができるのだ。
魔力が枯渇した場合、普通は自然回復に任せるしか無いので、これは凄まじい利点だ。
そんな訳で彼女達は、自分達の生命線で生殖相手でもあり、且つ自分達より弱い只人の男を、大事に大事に扱うのだ。まるで愛玩動物のように……
さておき、少々変わっているとは言え、ディーナさんがかつての戦友である事は変わらない。僕らは昔話や近況報告の話に花を咲かせた。
そして、今後は国同士でも仲良くやって行きましょうと話が落ち着いた頃、ヴァイオレット様がおずおずと声をあげた。
「その、ディーナ殿。先ほどから我が子、アレクシスの事を随分気にされているようだが、この子がどうかしたのだろうか……?」
それには僕も気づいていた。ディーナさんは僕らと話しながら、ちらちらと何度もアレクシスの方に視線を送っていたのだ。
指摘されたディーナさんは、少し恐縮した様子で答えた。
「し、失礼致しました、ヴァイオレット妃。その、アレクシス王女があまりに可愛らしかったもので……」
「そ、そうだったのか……! では、良ければ少し抱いてみてくれないか? 今この子はよく眠っているし、君ほどの手練に抱かれるのは名誉な事だ」
「え…… いいのですか……!? で、では、失礼して……!」
ディーナさんは嬉しそうにヴァイオレット様の元へ駆け寄ると、そっとアレクシスを受け取った。
「はぁ〜……♡ アレクシスちゃん、なんて可愛いの……! 今まで同僚や姉妹の子供を抱っこした事はあったけど、こんなに胸がときめくのは初めて♡
本当に、本当に可愛いわぁ……♡ --可愛すぎて、食べてしまいたいくらい……♡」
腕の中のアレクシスを至近距離で見つめるディーナさんの雰囲気は、どこか異様だった。表情が笑顔なだけに逆に怖い。
それを感じ取ったのだろう。ヴァイオレット様は少し焦ったように声を上げた。
「ディ、ディーナ殿……? その、食べてしまわれては困るのだが……」
「--はっ……!? も、申し訳ございません、ヴァイオレット妃! 少し我を忘れてしまいました……
こんな感覚は、以前に一度だけ男児の赤子を抱かせて貰った時以来です。一体、なぜ……?」
「……! は、はははは。随分と我が子を気に入って頂けたようで、光栄だよ」
ディーナさんからアレクシスを受け取ったヴァイオレット様は、乾いた笑い声を上げながらちらりと僕らへ視線を送ってきた。
それに小さく頷き返した僕とシャムは、体を寄せて囁き合う。
「タツヒト。残念でありますが、今後はアレクシスを吸精族に会わせるのは止めた方が良さそうでありますね……」
「そうみたいだね。あの人達、男に関しては異様に勘が鋭いのを忘れてたよ……」
何を感じ取っているのかは分からないけど、吸精族の人達は男に対して異常に鼻が効く。
とある事情でタチアナとして彼女達の国に入った時も、その辺を歩いていた吸精族のお姉さんに一瞬で見破られてしまったし……
ここは一旦、別の話題でアレクシスから意識を逸らさないと。 --そうだ。
「話は変わるがディーナ殿。確か貴殿の国は、吸血族の王国と隣接していたな?」
「はい、確かにそうですが……♡ 陛下。あんな血吸い蛭共の話は止めて、もっと楽しい話を致しましょう♡」
ディーナさんは僕の膝の上に座り直すと、甘えた声でそんな事を言った。
吸精族と吸血族は致命的に仲が悪いと聞いていたけど、どうやら本当らしい。
「すまない。ディーナ殿にとっては不快な話で申し訳ないのだが、これに関してはどうか聞かせて欲しいのだ。
我が国の隣国、南の帝国に吸血族の公爵がいるそうなのだが、聞けば彼女は貴殿の国の元女王という話ではないか。
彼女に関して何か知っていれば教えてくれないだろうか? あまり、良い噂を聞かぬのでな……」
以前諜報部隊に帝国の情勢を調べて貰った時、その公爵が領民を攫って喰い殺しているなどという話があった。
国内のゴタゴタでその後の調査は行えていなかったけれど、今なら調べ直す余裕がある。身近に潜む脅威については、早めに、かつ正確に把握しておきたいのだ。
ディーナさんは暫く僕の顔を見つめた後、観念したように息を吐いた。
「--もう、仕方ありませんね♡ でも、私が生まれる前の話ですから、言い伝えのような話しか知りませんよ?」
「あぁ、それで構わない」
「わかりました……♡ まず、その公爵が血吸い蛭共の国、サングウィス王国の女王だったのは事実です♡
そしてあまりに強大な力を持ち、常軌を逸した残虐性ゆえに国を追われたその女王の名は、ヴェラド・ドラクレシュテ♡
敵味方の双方から恐れられ、恐怖され、鮮血の魔王とも呼ばれた、化け物中の化け物です……♡」
「鮮血の魔王、ヴェラド・ドラクレシュテ……」
ディーナさんが口にしたその名を、僕は無意識に繰り返していた。
それほどの危険人物が隣国の公爵として存在している事に、強烈な危機感を感じる。
一方で、僕からディーナさんに質問したのは大失敗だったようだ。
彼女が例の猫撫声でその名を語ってしまった事で、シリアスさが完全に抜け落ちてしまったのである。
今の所、もう一回やり直してもいいだろうか……?
日曜分です。遅くなりましたm(_ _)m
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【水曜以外の19時以降に投稿予定】
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