第506話 豚鬼の魔人
禁書事件から数日後。僕らは修行のため、王都から程近い森の奥、魔物の領域の深層に来ていた。
エリネンを先頭にした隊列には万能型の僕とティルヒルさんが続き、その後ろは魔法型のアスルとフラーシュさん、最後尾をカリバルが守ってくれている。今日予定の合う面子を集めたら、僕以外の全員が『白の狩人』の準レギュラーという構成になった形だ。
この辺りの木々はとにかく巨大で、密集した枝葉が日光を遮るので周囲は夜のように暗く、春先なのに吐く息も白い。
そんな張り詰めた雰囲気の中を息を殺して進んでいると、先頭のエリネンが手を掲げて足を止めた。
後に続く僕らも静かに足を止め、彼女がウサ耳がぴこぴこと周囲に向けるのを見守る。
とても可愛い…… じゃなくて。兎人族の彼女はこの面子で一番耳がいいので、今日は斥候ポジションをお願いしている。
「--あっちやな。結構数多いみたいやけど、どないする?」
森の暗がりを指しながらそう囁くエリネンに、僅かに逡巡する。
深層の魔物の群れに喧嘩を売るのは結構リスキーだけど、今日の目的は修行だ。温い戦いでは来た意味がない。
ちらりとパーティーの様子を見ると、みんなもやる気に満ちた表情をしていた。
「行こう。ただし慎重にね」
「よしきた。付いてきぃや」
それからエリネンの示した森の奥へと進む事暫し。僕らの耳にも、魔物の咆哮や大地を踏み鳴らす音が聞こえてきた。
「あれ。ねぇねぇアーちゃん。これ、魔物同士で喧嘩しちゃってない?」
「多分そう。でも、私たちにとっては隙を突ける機会…… 両方一気に仕留める」
ティルヒルさんの言葉にアスルが頬を歪める。
まだ距離があるのに、こちらまでその気配が届くほど魔物達が激しく争っているようだ。
さらに足を進め、戦闘音が間近に迫った所で巨木の影から向こう側の様子を伺う。
「あれは……!?」
そこは木々のまばらな少し開けた場所だった。中央には森の中には不自然な盛り土があり、そこには直径三mほどの穴が空いていた。
そして穴の周囲には、数体の猛毒亜竜が集まっていた。大きさはトラック程もあり、巨大化したコモドドラゴンのような見た目をしている。毒々しい色合いのトサカが示す通り、強力な出血毒を持つ厄介な相手だ。
「中に魔素が流れ込んでる…… タツヒト氏、あの土の塊ってもしかして……?」
フラーシュさんが盛り土の辺りを指しながら言う。彼女はちょっと変わった妖精族で、魔物のように魔素を見ることが出来るのだ。そして呼吸するように魔素を吸い込む洞窟といえば……
「うん、魔窟で間違い無いだろうね。この方舟が地上に落下してもうすぐ二年年…… 彼らも環境に適応してきたって事だね」
魔窟は、地下深くの地脈に向かって成長する特殊な洞窟型の魔物だ。
方舟が空に浮いていた頃は、太陽から降り注ぐ魔素の方が多かったので、空に向かって伸びる魔巌樹という変異種が幅を利かせていた。
それが、方舟が地上に落下したことで元の生態に戻り始めているようだ。
「いや、それよりもよぉ。あのトカゲどもの喧嘩相手はどこにいんだぁ? 仲間内でやり合ってるようには-- あっ……!?」
カリバルが息を呑む。猛毒亜竜の一体が魔窟に突進した瞬間、その入り口の奥何本もの槍が突き出されたのだ。
結果、顔面を傷つけられた猛毒亜竜は怯んで後退。苛立たしげに足を踏み鳴らして入り口に向かって吼えた。
「もしかして、冒険者が魔窟に立て篭もってるのか……!? みんな、眼前の猛毒亜竜の群れを殲滅します!
前衛は毒牙に注意しながら突貫、後衛は他の魔物に注意しながら援護を!」
「「応!」」
木陰から一斉に飛び出した僕らに、猛毒亜竜の群れが気付いて振り返る。
「「ジャァァァッ!!」」
「閃光行くよ! 『光よ!』」
カッ!
フラーシュさんが放った裂光が魔物の群れを強烈に照らした。
「「ギャッ……!?」」
その光を背後に、僕、エリネン、カリバルの前衛三人が先行。目を灼かれた魔物の群れに肉薄する。
そして正面の猛毒亜竜の巨体の下に潜り込んだ僕は、真上に向かって槍を突き込んだ。
「しっ!」
ヒュボッ!
槍の穂先は敵の下顎を貫き、そのまま脳幹を破壊したらしい。頭部に大穴を開けられた巨体が脱力して傾ぐ。
すぐに槍を引き抜いて後ろに下がり、左右に視線を走らせる。
すると、エリネンが右の個体の首を夜曲刀で両断し、カリバルが左の個体の胸部を三叉槍で刺し貫いた所だった。
「「ギャワッ……!」」
残り二体。視力の回復した猛毒亜竜達が、一瞬でやられた中を見て逃亡しようとする。
「逃がさない……!『海よ』」
「あたしも! えいっ!」
ジャッ、ザンッ!
こちらに背を向けた一体が切断水流で縦断され、もう一体がティルヒルさんの放った巨大ブーメランで横断された。
戦闘開始から僅か数秒。猛毒亜竜の群れが全て倒れ、辺りが静まり返る。
暫しの残心の後、僕はほっと息を吐いた。
「--よし、お疲れ様でした! みんなとの連携もかなり仕上がってきましたね。
では、こほん…… おーい、アンタ達大丈夫かい!? 魔物は倒したよ!」
例によって、今の僕はタチアナの格好をしている。魔窟に立てこもっている冒険者がいるなら、言葉遣いもそっちに寄せないといけないのだ。
しかし、僕の呼びかけに応える声は無く、魔窟の入り口から誰かが出てくる様子も無かった。
「あれ……? おーい、もしかして動けないのかい!? ならこっちから--」
「マ、待テ……! 今出テク! ダカラ、攻撃シナイデクレ……!」
聞こえたのは、やや辿々しく弱々しい声。
「「……!?」」
魔窟の入り口から姿を現したのは、豚耳と鋭い牙を生やした大柄な女だった。
その外見に、最初は豚人族かと思った。けれど細部が違うし、あの凶暴な気配…… 間違いなく豚鬼の魔人だ。
竜王の残党を率いていた三将軍は僕らが倒したけど、多くの魔人は各地に逃げ散ってしまった。彼女もその一体だろう。
先ほどの猛毒亜竜から攻撃を受けてしまったのか、彼女は片腕からかなり出血していて顔色も悪い。
「頼ム、見逃シテクレ……! アタシラハ、竜王ヨリ強イ人間達ト争ウツモリハ無イ。子供モ居ルンダ……! 頼ム……!」
身構える僕らに、豚鬼の魔人は膝をついてそう懇願した。
その言葉に、彼女の背後、魔窟の入り口へと目を向ける。すると中には怯えた様子でこちらを伺う豚鬼達が居た。
そして見てしまった。槍を手に持つ豚鬼達の背後にいる、小さな子供を抱えた豚鬼達を。
瞬間、城で待っているアレクシスの顔が浮かんだ。みんなも同じ事を考えてしまったのか、戸惑う空気が背後から伝わってくる。
「--誰か、豚鬼の魔人の手配書とか見たことあるかい?」
みんなにそう問いかけてみると、沈黙が帰ってきた。
人や村などを襲った魔人は、王宮から冒険者組合に討伐依頼を出している。僕もみんなも知らないという事は、この魔人は本当に人を襲わず、この森で静かに過ごして来たのかもしれない。
まぁ、目撃者を全員殺して来たって可能性もあるけど…… しかし、どうしようか……
「アンタ、名前は?」
「名前……? シュカーラ、ダ」
止せばいいのに魔人に名前を聞いてしまった僕は、いよいよ彼女を始末する気になれなくなってしまった。
魔物、魔人は、僅かな例外を除いて人類の敵だ。僕が彼女達を見逃した事で誰かが殺されてしまう事もあり得る。
でも、どうにもアレクシスと豚鬼が抱える子供達が重なってしまう。
「そうかい…… アタイはタチアナだよ。シュカーラ、アンタにこれを」
僕はシュカーラにゆっくりと歩み寄ると、バックパックから取り出した薬瓶を二本差し出した。
「コレ、ハ……?」
「出血毒の解毒薬と、治癒薬だよ。その痛そうな腕に使いな」
「ナッ……!? 助ケテ…… 見逃シテクレルノカ……!?」
薬を受け取り、目を見開くシュカーラに僕は頷く。
「まぁ、今日の所はね。けど、もしアンタ達が今後人を襲ったら容赦しない。悪いけど、群ごと処分させてもらうよ……?」
「ワ、分カッタ……! アタシラハ、今後モ人間ヲ襲ワナイト誓ウ! アリガトウ、タチアナ!」
「あぁ…… じゃあね。また様子を見にくるよ」
地に擦り付けるように頭を下げる彼女に手を挙げ、僕は踵を返した。
そのまま王都の方向に向かって歩き始めた僕に、みんなは戸惑いながらも従ってくれた。
金曜分です。遅くなりましたm(_ _)m
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【日月火木金の19時以降に投稿予定】
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