第488話 戦乱の影
年末の生誕祭を明日に控えた日の夕方、執務室で仕事をしていた僕らの元へ待ち望んでいた報せが入った。
王領の外へ情報収集に出てくれていたナノさん達が、ようやく帰ってきたのだ。
僕はすぐにナノさんを執務室に呼び、およそ一ヶ月に渡る諜報任務を労った。
「ナノ副長、大義であった。しかし心配したぞ。其方を含め、王領外に出た者達は全員無事なのか?」
この場には彼女の上司であるキアニィさんと、僕と一緒に仕事をしていたシャムとフラーシュさんが居るけど、彼女達も心配気にしている。
ナノさん達は、予定ではもう一週間ほど早く帰ってくる筈だったのだ。おそらく何かトラブルがあったんだろうけど……
「は。帰投が遅くなり誠に申し訳ございません、我が王。私も含め、全員無事にございます。
メーム商会に扮した我らの正体についても、気取られた様子はございません」
跪いて深々と頭を下げるナノさんに、僕らはほっと安堵の息を吐いた。
「そうか、それを聞いて安心したぞ…… では、早速ですまぬが報告を聞かせてもらおう。と、その前にそこの椅子に座るがいい。長旅で疲れているだろう」
「あ、シャムがお茶を淹れてあげるであります!」
「きょ、恐縮です、我が王。シャム妃」
ナノさんが応接用の椅子に座り、シャムの淹れたお茶を飲んでほっと息を付いたところで、キアニィさんが切り出した。
「それでナノ。今回の調査対象は、王国内は西のバルナ公爵領と他の数十の領地、他国に関しては帝国を中心とした隣国の三カ国でしたわねぇ。首尾はいかがでして?
あ、ちなみに、わたくしと一部の隊員は陛下の警護や防諜のために残りましたけれど、王都では特に不審な動きはありませんでしたわぁ」
「それは何よりです。しかし、我々の方は全く問題なしとは行きませんでした…… 我が王も気にされていた宝石公、バルナ公爵の領地についてですが、少し不穏な動きが見られました」
「「……!」」
ナノさんの返答に、その場のみんなが驚いた表情で僕の方を見た。しかし、多分一番驚いているのは僕だ。
だって、一応直感のようなものはあったけど、バルナ公爵が何かを企んでいるという根拠なんて全く無かったのだ。
ナノさん達に何もない事を確かめてもらって、僕の心配し過ぎだった、ごめんごめんで終わる話だと思っていたのに……
「ナノ副長。その話、詳しく聞こう」
「は。我々は公爵領の領都に赴き、主に領民に対する聞き取りや市場の調査を行いました。
結果、兵士の公募数や訓練頻度の微増、そして領主側の需要増による食糧おおび武具価格の僅かな上昇を確認致しました」
「微増、僅かな上昇…… それが不穏な動きでありますか? 食料購入は慣れない本物の冬による不作への備え。武具や兵士などに関しては、方舟全体で増えている魔物への備えとも考えられそうでありますが……」
「はい。シャム妃のおっしゃる通りです。しかし同様の動きは、バルナ公爵と関係の深い北の武戦公や、両公爵と関係の深い他領でも見られたのです。
王領や南の豊穣公と関係の深い領地と比較すると、僅かですがはっきりとした差が存在しています」
ナノさんの言葉に、僕らは表情を固くした。なるほど…… 確かにそれは不穏だ。気づかれないようちょっとずつ準備している感じが、特に。
「ね、ねぇ。食料や武器を買い込んで、兵士も増やして、訓練も沢山するって…… あたしには、まるで戦争の準備みたいに聞こえるんだけど…… 違う、よね……?」
フラーシュさんの不安そうな問いかけを、僕らはすぐに答える事ができなかった。
「王妃、残念だがまだ否定も肯定もできない。しかし、仮に宝石公と武戦公が協働して誰かを相手取ろうとしているのなら、その対象は限られよう。
ナノ副長。両公爵の領地には、青鏡級以上の強者は居るのだろうか?」
「いえ。調べたところ、主だった強者は既に覆天竜王勢力との戦闘で死亡しています。
現在残っているのは、緑鋼級以下の戦力のみのようです。実は、帰投に時間がかかってしまったのもこの調査のためでして……」
「ふむ。そうすると、ただの不作や魔物への備えという線も否定できなくなってくるな……」
もし両公爵が揃って戦争の準備をしているなら、その相手はおそらく僕ら王家だ。
しかし、僕らは紫宝級や青鏡級といった強力な戦力に恵まれている。
この世界において位階の差はかなり絶対的であり、仮に一万人の橙銀級の兵士を動員しても、おそらく一人の紫宝級に勝つことができない。一騎当千どころの話じゃ無いのだ。
なのでいくら数を揃えたとしても、緑鋼級以下の戦力しか持たないバルナ公爵達は、正面から僕らに勝つことが出来ない。
暗殺とかなら話は別だけど、キアニィさん達がいる限り大丈夫だろうし……
「--うむ。宝石公に関しては、追加調査の後に判断するべきだろう。所でナノ副長、調査は隣国に対しても行ったのだろう?」
「は。北の魔導国、東の馬人族の王国共に不穏な動きは見られませんでした。
南の帝国に関しても同様だったのですが、調査の過程で少し気になる噂を仕入れました。帝国領のエウロペア側の西端、エンパラドール公爵領に関するものなのですが……」
エウロペア側の西端というと…… えっと、地球でいうところのスペインの西隣、ポルトガルの辺りかな? あの辺には足を運んだことが無いので正直ピンとこない。
「ふむ。どんな噂なのだ?」
「なんでも、領主が吸血族の王国を追われた元女王で、領民をさらって喰い殺しているという話でした」
「ひぃっ……!?」
ナノさんの話に、フラーシュさんが小さく悲鳴を上げた。確かにあんまり気持ちのいい話じゃ無いけど……
「それが事実ならば、民達にそこへ近寄らぬよう呼びかける所だが…… あくまで噂なのだろう?」
「はい。しかし公爵が元他国の公王で、異様に長寿な吸血族である事は事実のようです。領内での行方不明者の数までは調査できなかったのですが……」
「いや、それで良い。人も時間も限られているのだ。帝国のその公爵領についても気になるが、まずは国内の公爵領だ。
明日は…… 復活祭か。早速明後日に宮廷会議を招集しよう。すまぬが、ナノ副長にも参加してほしい」
「は。承知しました、我が王」
一通り報告を終えたせいか、ナノさんは少し力の抜けたような表情になった。
長期間の調査任務で、肉体的にも精神的にも疲弊してしまったんだろう。 --そうだ。
「ナノ副長、こちらへ。これを渡しておこう」
僕は机の引き出しからじゃらじゃらと音のする皮袋を取り出すと、こちらに歩み寄った彼女へ差し出した。
「これは…… な、なんの資金にございましょう……?」
ナノさんは、結構な額の金貨が詰まったそれを受け取ると、少し慄くようにそう言った。
「有益な情報をもたらしてくれた其方達への追加報酬、あるいは残業代だ。遠慮なく受け取って欲しい」
「そんな……!? 我々はただ仕事を全うしただけです。それに対する十分な給金も受け取っておりますし……」
「ふむ…… ではこうしよう。もし自分達で受け取るのが心苦しいのであれば、孤児院の子供達への土産代にでも使うと良い。久しぶりに会うのだろう?」
「……! はい、そうさせて頂きます! 感謝いたします、我が王!」
「うむ。では、今日はもう下がるが良い。早く子供達に顔を見せてやるのだ」
「は! 失礼致します!」
ナノさんは深々と頭を下げると、スキップするような足取りで執務室を後にした。
「うふふ、あの冷酷だった彼女があんなに…… ほんと、人って変わるものなんですわねぇ」
ナノさんが出て行った扉を見ながら、キアニィさんが嬉しそうに呟いた。
大変遅くなりましたm(_ _)m
よければ是非「ブックマーク」をお願い致します。
画面下の「☆☆☆☆☆」から評価を頂けますと大変励みになります!
【日月火木金の19時以降に投稿予定】
※ちょっと下に作者Xアカウントへのリンクがあります。




