第478話 結婚式前日
楽しくも忙しい王様としての生活は瞬く間に過ぎ、さらに一ヶ月ほどが経過した。早いもので、本日はもうフラーシュさんとの結婚式の前日である。
明日に備えて必死に準備を進めてきたお陰で、僕らはほぼ万全の状態で前日を迎える事ができていた。
整えていた受け入れ体制のおかげで、前入りした他領の貴族達は問題なく歓待できている。彼女達の大まかな関係性や名前も把握済みだ。
会場や料理の準備も万端で、結婚式から戴冠式、そしてその後の祝賀会に至る流れも頭に入っている。
しかしあと一つだけ、まだ未完成な部分があった。その追い込みのため、僕らは城内にある体育館二つ分ほどの広さの大広間に集合していた。
「わっ……!?」
「おっと」
目の前で足をもつれさせたフラーシュさんを、僕は咄嗟に抱き抱えた。
体制を崩した事で長身の彼女の顔が下がり、僕らは至近距離で見つめ合う形になった。
楽団が奏でる優美な音楽が流れる中、暫しそのまま時間が流れる。
「--あ、ありがとうございます、陛下」
「う、うむ。怪我は無いようだな、フラーシュ王妃」
「ええ…… ふひっ……」
フラーシュさんを立たせた後、僕らはお互い赤面しながらちょっと距離を取った。
「ふふっ、少しお疲れのようですね。陛下、フラーシュ王妃。暫し舞踊は休憩としましょう」
そんな様子を微笑ましそうに見ていた妙齢の妖精族、ダンスの先生である彼女の言葉に頷き、僕らは壁際に置かれた椅子に二人並んで座った。
そう。未だ完成の域に至っていないのは、祝賀会で踊るダンスのクオリティだ。
他の国々ではそこまで一般的では無いのだけれど、アウロラ王国の上流階級では、事あるごとに社交ダンス的なものが行われるのだ。
もし祝賀会で国王である僕や王妃であるフラーシュさんがちゃんと踊れないと、かなり格好悪い形になる。来訪した他領の貴族からも舐められかねない。
なので、実はダンススキルは結構重要なのだけれど、他のもっと優先度の高い仕事にかまけて練習をサボっていたせいで、今こうして苦しんでいるのだ……
「ごめんねタツヒト氏、あたしが鈍臭いせいで……」
「いえ、そんなことありませんよフラーシュさん」
小声で話しかけてくる彼女に、僕は以前の口調でそう答えた。
練習の結果、人の目のある所ではお妃さん達にも王様口調で話せる様になったけど、内緒話の時くらいは良いだろう。
「僕も全然踊れて無いですし、体格差もあるせいでやりづらいんだと思います。僕にもっと身長があったら--」
「それは駄目。あたしは今のタツヒトが良い」
「そ、そうですか…… ありがとうございます」
急に真顔になったフラーシュさんに見つめられ、僕は思わず視線を逸らしてしまった。
すると、広間で練習している他のお妃さん達の様子が目に入った。
祝賀会には彼女達にも出席してもらうので、一緒に練習しているのだ。
ちなみにダンスに関して天性の才能を持つティルヒルさんは、一瞬でアウロラ王国の踊りマスターし、みんなを指導する側にまわっていた。
「あだっ!?」
その時、ターンの練習をしていたカリバルの尻尾が、エリネンの後頭部を強かに打ち据えた。結構痛そう。
「おっと……! わ、悪ぃ、エリネンの姉貴。やっぱり俺に踊りなんて無理かもしれねぇ…… 怪我ねぇか?」
「あ、ああ。べっちょないわ。まぁ、本番はお偉いさんをぶっ叩かん様気ぃつけなあかんなぁ」
オロオロするカリバルの肩を、エリネンが気にすんなと叩く。カリバルの方がだいぶ上背があるので、エリネンがちょっと背伸びしているのが可愛い。
「エリネン、カリバルの馬鹿がごめん。でも安心して。その邪魔な尻尾は私が切って置くから」
「あん? おいアスル。テメェ頭から生えてる奴も、八本もあって邪魔そうだなぁ……?」
「待て待て。なんでおまはんらはそう極端やねん……」
カリバルとアスルが不味い雰囲気になったところへエリネンが割って入る。
すると、二人は口々に相手が悪いとエリネンに訴え始めた。なんかこう、姉妹喧嘩を仲裁するお母さんみたいな感じだ。
「ふふっ、エリネン大人気だなぁ」
僕の呟きに、フラーシュさんが大きく頷く。
「だね。エリネン氏って抱きしめたいくらいに可愛らしいのに、不思議とこう、大人の包容力みたいなものがあるよね」
「あ、分かります? そうなんですよ。彼女って親分肌ですから」
その後僕らは、他のお妃さん達の練習の様子を眺めながら取り止めもない話を続けた。
ヴァイオレット氏って頼りになるよね。最近のプルーナさんは土木工事が本当に楽しそう。そんな感じの、みんなの話だ。
しかしそうする内、フラーシュさんの表情や声のトーンはどんどん暗くなっていってしまった。
「あの、フラーシュさん、どこか具合でも悪いんですか? でしたらロスニアさんを--」
心配になってそう訊ねると、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「ううん、大丈夫。ただ…… ヴァイオレット氏達も、新しく側妃になったエリネン氏人達も…… みんなみんな、本当に良い人達ばかりだなぁって……」
「え…… それは、そうですね。でもそれなら……」
なぜそんなにも悲しそうにしているのか。それが分からずにオロオロしていると、フラーシュさんはほんの少しだけ微笑んでくれた。
「ふふっ。タツヒト氏って、本当に優しいよね。でも、だからこそ、悲しくなってきちゃって……
きっとあと100年もしたら、そんな大好きなみんなは居なくなって、あたしは一人になっちゃうんだろうなぁって……」
「……!」
その言葉に、僕はやっと彼女の哀しげな様子の理由が分かり、それ故に何も返すことが出来なかった。
只人や一般的な亜人の寿命は、精々60年くらいと言われている。
一方、妖精族や鉱精族のような長命種ともなると、500年は生きるとされている。フラーシュさんのような始祖神の血族は、それよりもさらに寿命が長いらしい。
多くの妖精族は、フラーシュさんのように幼い頃に父親を亡くす。
そして成人してから死ぬまでの間、何人もの夫を迎え、何度も最愛の人の死に立ち会うのだ。
その悲しみを避けるため、結婚しない妖精族もいるそうだけど、長い生涯で誰も愛さないという事はとても難しいらしい。何せ彼女達は愛情深い種族なのだ。
長命種を羨む人たちもいるけれど、今の話を聞いた時、僕はただただ気の毒な気持ちになってしまったのを覚えている。
「あ…… ご、ごめんね! 結婚式の前日にこんな話しちゃって。タツヒト氏と結婚して、みんなともお妃さん仲間になって、その、子供も作ったりなんかして。えへへ……
でも、そんな幸せな生活の先の先まで妄想してたら、あんまり考えないようにしてた事まで考えちゃってさ……
父様もあたしが60歳くらい時に死んじゃって、あたしもすごく悲しかったけど、母様はもっと寂しそうだったよ。
母様、父様が死んでからはずっと一人でさ。新しい人を迎える話もいっぱいあったみたいだけど、結局全部駄目で…… きっと、あたしも……」
フラーシュさんが俯き、寒さに凍えるようにその身を震わせる。
--僕もフラーシュさんとの結婚が決まった際、この寿命の差についてはぼんやりと考えた事がある。
位階が上昇すると寿命も伸びる傾向があるけど、どう頑張ってもフラーシュさんと同じ時間を生き切る事はできない。
それができるのは、多分僕らの中では機械人形のシャムくらいだろう。
ならばどうするか? 僕は、フラーシュさんの震える手を握った。
「フラーシュさん。その、僕との子供は何人欲しいですか?」
「ふへっ……!? え、えっとぉ、ふ、二人とかぁ……?」
突然の問いに、彼女は目を泳がせながらそう答えた。
亜人は只人に比べて子供が出来づらい。中でも妖精族はそれが顕著で、生涯に二人産んだらかなり頑張った方と言えるそうだ。
だから、僕一人と二人も子供を作ると言ったのは、だいぶ欲張ってくれた方だろう。でも、それでは足りない。
「じゃあその倍。四人作りましょう。フラーシュさんには負担をかけてしまう形になりますが、僕も頑張ります」
「そ、そんなに……!? そ、それに頑張るって……」
何かを想像したらしいフラーシュさんの顔が、耳まで真っ赤になる。こっちも言ってて恥ずかしいけど、僕は畳み掛けるように続けた。
「ええ、頑張ります。あと、その、ヴァイオレット様達にもお願いして、沢山子供を作ります。
僕らは、フラーシュさんの一生からしたら、ほんの短い時間しか生きられないかも知れません。
でも、僕らから生まれた沢山の子供や子孫に囲まれていたら、きっと、フラーシュさんも寂しくないと思うんです。
どう、でしょう……?」
フラーシュさんは、僕の言葉に惚けたように目を見開いていた。
しかし暫くして、泣き笑いのような表情で深い微笑みを見せてくれた。手の震えは、もう止まっていた。
「--うん。そんな幸せな未来だったら、きっと、絶対、寂しくないよ……
ありがとうタツヒト氏。あたし、タツヒト氏の事が好き。大好き……」
「フラーシュさん……」
僕らは、どちらともなく身を寄せ合った。
そして互いの顔が息の掛かるほどの距離になり--
「おほん」
突然の咳払いに仰反るように体を離した。
見ると、広間にいる全員が僕らに注目し、楽団の音楽もいつの間にか止んでいた。
「陛下、そしてフラーシュ王妃。大変素晴らしいご計画ですが、今は人目がございます。どうか実行は明日以降に……」
咳払いの主。ヴァイオレット様に呆れ顔でそう言われてしまい、僕とフラーシュさんは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
「う、うむ! 分かっているぞ、ヴァイオレット妃! さぁフラーシュ王妃よ、練習を再開するとしよう!」
「ひゃ、ひゃい!」
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【日月火木金の19時以降に投稿予定】
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