第413話 浄化の紫炎
「ゴルルッ」
驚き固まる僕らを他所に、呪炎竜は手に抱えていた何かをそっと地面に置いた。それは、奴の巨体に見合った、見覚えのある大きな籠だった。
僕らは以前、ここから遥か南の大陸にあるラスター火山で、その火口に居着いてしまった奴と戦った事がある。周辺一体の人類にとって、奴の存在は非常に都合が悪かったからだ。
死闘の末、僕らはかなり追い詰められてしまったのだけれど、当時パーティーに居てくれた商人のメームさんの手腕により、最終的には交渉で平和的に決着させることが出来た。
その際、火山から立ち退いてもらう事の交換条件として贈ったのが、この財宝運搬用の籠というわけだ。
世界中を気ままに飛び回り、尚且つ財宝の収集に異様な執着を持つ呪炎竜にとって、この籠は喉から手が出るほど欲しいものだったらしい。
そんな来歴のある籠だけど、よく見ると下の方に大きめの穴が空いてしまっている。
天才的な土魔導師であるプルーナさんの作なので、よほどの事がないと壊れないはずだけど…… 高いところからでも落としたのだろうか?
プルーナさんも籠の破損に気付いたようで、籠の穴と、手に持つ鱗を見比べ、呪炎竜に向き直った。
「か、籠が壊れちゃったんですか…… それで、以前頂いたこの鱗が放つ魔力の波動か何かを辿って僕を探し当てて、直してもらいにきたと…… そ、そういう事でしょうか……?」
「グルッ」
呪炎竜は、そうだ、早く直せ、とばかりに籠を彼女の方に押しやった。
さらに、少し躊躇うような素振りを見せた後、口からネックレスのような宝飾品を取り出し、それも彼女に差し出した。
普段は強盗ばかりしてるのに、今回は珍しく修理の対価をくれるつもりらしい。でもこいつ、今ちょっと躊躇ってなかったか……?
「な、なるほど…… でもあの、ちょっと今は忙しくて-- ひっ……! あ、あぅぅ……」
「グルルッ!」
涙目で後ずさるプルーナさんに、呪炎竜はいいからやれ! とばかりに唾液に塗れたネックレスをぐいぐい押し付ける。
可哀想になって反射的に止めに入ろうとした瞬間、僕の中で何かが繋がった。
稲妻のような閃き。そうだ…… いける……! この状況に呪炎竜…… まさに打って付けじゃないか!
「ま、待ってプルーナさん!」
「は、はい!?」
「是非直して差し上げて下さい……! ただし対価は…… ナパの東西を占領する迷惑な茸、あいつらの焼却処理にしてもらいましょう!」
「「……あ!」」
僕の言葉に、ティルヒルさん以外のみんなの顔に理解の色が浮かんだ。
「なるほど……! 確かに…… 確かに! 呪炎竜の炎だったら……!」
会心の笑みを浮かべたプルーナさんは、身振り手振りを交え、眼前の魔竜に対して必死にコミュニケーションを図り始めた。
最初は首を傾げていた呪炎竜だったけど、徐々にその表情に理解の色が浮かび始めた。
そしてついにこくりと頷くと、差し出していたネックレスを素早く口の中に仕舞い込み、四肢をたわめて一気に上空へと飛び上がった。
「--ね、ねぇみんな。あのちょー怖い竜、前に話してくれた呪炎竜なんだよね……?
確かにすっごく強そうだけど…… ほんとにあの大陸茸樹怪を何とかできるの……?」
半ば安堵したような表情で呪炎竜を見上げる僕らに対し、ティルヒルさんは不安げだ。
当然だろう。あの竜に関して、彼女にはざっくりとした事しか教えていないし、何よりその強力過ぎる火魔法を見ていないのだ。
「ええ……! あの魔竜の火魔法は、恐らく人類には到達できない高みにあるんです……!」
「そ、そーなの……?」
ティルヒルさんは、まだ少し疑わしげな様子で僕らと一緒に空を見上げた。
呪炎竜は超高速で上昇しており、すでにその姿は豆粒程の光点にしか見えない。
するとその高高度にある光点から、まず西側に向かって紫色の光が打ち下ろされた。
日が暮れかけた空にかかる紫色の光の帯は、ある高度に差し掛かると、そこで数え切れないほどの火線に分裂した。
燃え盛る枝垂れ柳のように、あるいは流星群のように。炎は、大地を埋め尽くす大陸茸樹怪に降り注いだ。
「「ギギギィッ!?」」
火線は、炎の大河の向こう岸に広がる本体はもちろん、こちら側にすでに何百と打ち込まれた分体達にも余さず突き刺さった。
突然天から降ってきた業火に身を焼かれ、僕らを取り囲む分体達も悲鳴を上げる。
「すごい……! あっ…… でも、見て! 火が付いたところ、切り離されちゃったよ!?」
ティルヒルさんが指差す方を見ると、分体達は自身の燃えている部位を切り離し始めていた。
西の果てまで大地を覆う本体にも目をやると、燃焼箇所は数え切れ無いほど確認でき、肉塊の投擲も止んでいる。
本体の方でも分体同様、身を悶えさせながら燃焼部位を切り離し、延焼を防ごうとしているように見える。
うん。やっぱり、みんな最初にそれを試すよね。
「大丈夫です…… 呪炎竜の炎から生還した人を、僕は一人しか知りません……
極少数の例外を除き、あの炎は一度燃え移ったら最後、獲物を焼き殺すまで絶対に消えない。強力で悍ましい、呪いの炎なんです」
「「ギッ…… ギギィッ!?」」
分体達が、心無しか困惑したように悲鳴を上げ始める。
それはそうだろう。奴らは生き残るため、体の何割かを切り離してまで延焼を防ごうとした。
だというのに、炎から逃れた方の体から、突如として紫炎が立ち上り始めたのだ。もう大混乱だろう。
その後は、本体も分体も様々な方法で消火を試みていた。
炎を体の内側に取り込んでみたり、地面に燃焼部位を押し付けてみたり、極め付けは大岩鬼の臓物を自身にぶちまけるなんて事までしていた。
しかし、それらの試みは全て失敗し、紫炎は着実にその体を灰に変え続けた。
そのうち何もかも無駄と悟ったのか、分体達はただただ悶えながら炎に包まれていき、本体を燃やす炎も地平線まで広がりつつあった。
やはり凄まじい……! 込められた魔力量も相当のものだろうけど、何より術式の緻密さ、恐らくは対象の魔力さえも燃料にする高効率性、適用対象と広範さ……
僕が後何十年研鑽を積んだとしても、あの領域に至れる気が全くしない。
「うっわ…… す、すごいけど、めっちゃ怖いね…… あれが呪炎竜の呪いの炎……
--タツヒト君達、よくあんなのと戦って生きてるね……?」
「いや、ほんとですよね…… まぁ、色々と幸運が重なったんですよ。ふぅ…… すみません、ちょっと座りますね」
「あ、うん! 座って座って!」
気力で何とか立っていたけれど、限界が来てしまった。ティルヒルさんに介助してもらいながらその場に腰を下ろすと、ヴァイオレット様も同じタイミングで地面に座り込んだ。
「はぁ、まさか奴に助けられるとはな…… む、みんな見てくれ。東の方もカタが付いたようだぞ」
彼女の指す方に目を向けると、夜になりかけている東の空が、大地から発せられる紫色の光に色づいていた。
「「おぉ……」」
まるで逆さまのオーロラのような光景に、全員が感嘆の声を漏らす。
「綺麗ですわねぇ…… ご覧になってロスニア。空が、紫色に燃えていますわぁ……」
「はい…… とても素敵ですね、キアニィさん。呪いの炎なのに、まるで大地を浄化しているかのようです……」
完全に気が抜けてしまったらしく、寄り添って二人の世界を作っている人達までいる。
どうやら呪炎竜は、いつの間にか東の個体にも呪炎を放ってくれていたらしい。仕事が早い。
--入念に準備していた避難計画は、大岩鬼の襲撃によってめちゃくちゃにされてしまった。
そして、莫大な人手と労力をかけた大防壁と炎の大河を、大陸茸樹怪はあっさりと突破した。
さらにその規格外の魔物を、呪炎竜はブレスの一撃で葬ってしまった。
「ははは…… 僕らも、結構頑張ったんだけどなぁ……」
強大な魔物達に対して、人類は全くの無力だ。
その事を思い知らされた気がして、僕は乾いた笑みを浮かべながら、東の果てで燃え盛る紫炎を呆然と眺めた。
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