第412話 ナパの黄昏(2)
ちょっと長めです。
ドドドドドォッ……!!
対岸から飛来した肉片群が、凄まじい地響きを上げながらこちら側に着弾する。
その様はさながら豪雨のようでもあり、降り注ぐ巨大質量は無数のクレーターを生み出し、大地を激しく上下に揺さぶり続けている。
炎の大河から立ち昇る黒煙のカーテンの向こう側に目をやると、大陸茸樹怪は川沿いに夥しい数の瘤を生成していて、それを無数の触手群でこちらに射出し続けている。
無理だ…… 肉片の一個でさえ、僕らの全力戦闘でやっと倒すことができたのだ。もう魔力も体力も殆ど残っていない。その状態でこんな途方もない数、捌ける訳がない…… 一体、どうすれば……!?
あまりの状況に呆然と立ち尽くしていると、力強く腕が引かれた。ゼルさんだった。
「ぼーっとしてるんじゃにゃいにゃ! ここじゃ他の魔物もくるにゃ! とにかく、一旦村に戻るにゃ!」
「は、はい! ヴァイオレット様は!?」
視線を走らせると、膝をついたヴァイオレット様の元へキアニィさんとティルヒルさんが向かっている所だった。
「ヴァイオレットは二人に任せるにゃ! おみゃーはいいから走るにゃ!」
彼女にほぼ担がれる様にして村に走り、前衛組全員で村の麓にたどり着いた。
するとすでにプルーナさんが麓で待機してくれていて、僕らは彼女の土魔法によるエレベーターで地表から脱出した。
地表から村まで上がる途中、今の地表の様子が一望できた。
沈みゆく夕日に照らされた大地に、倒れ伏す何体もの大岩鬼。
その巨体には数え切れないほどの魔物が群がり、その魔物達を巨獣の死骸ごと貪り喰らおうとする大陸茸樹怪の分体。
今こうしている間にも、地表は分体で埋め尽くされようとしており、ビアド村に肉片が直撃していないのは単なる奇跡に思えた。
肉片が大地を穿つ轟音や魔物達の絶叫が木霊する中で、誰かが喉を鳴らす音が妙に鮮明に聞こえた。
--地獄。この光景を一言で表すのに、これ以上相応しい言葉が見つからなかった。
エレベーターが頂上に着くと、村の発着場は異様な静けさに包まれていた。
さっきまで恐慌状態に陥っていた村の人達は、皆家族と思わしき人達と身を寄せ合い、外の景色を見ないようにしているようだった。
その様子に違和感を覚えながら、ゼルさんに肩を借りて長老さんを探す。
すると、娘さん夫婦やお孫さん達と静かに語り合っている長老さんを見つけた。僕らに気づいた彼女がこちらを振り返る。
「おぉ、御使殿、勇者ティルヒル、そして外の世界の戦士達よ…… 見事な闘いぶりだった……
もしナパの営みが今後も続くならば、永遠に語り継がれるであろう勇壮なる戦だったぞ。最後に良いものが見られた……」
透明な表情で穏やかに語る彼女の姿は、大陸茸樹怪が大防壁を超えた時のような、呆然自失とした様子とは違っていた。
ただただ静かに運命を受けれる。そんな悟ったような雰囲気に一瞬飲まれかけたけど、僕はまだ諦めるつもりは無かった。
「長老さん…… まだ…… まだ諦めちゃだめです……! 全員無事というわけには行かないかも知れませんが、東側の村に一時撤退して、体勢を立て直してから避難すれば……!」
「いや、もういいのだ…… --使者殿。こちらだ。勇者ティルヒルと御使殿が戻られたぞ」
長老さんが少し大きな声で呼びかけると、見覚えのある若いアツァー族の戦士が歩み寄ってきた。
血だらけだけど、すでにこの村の癒し手に治療してもらったのか、足取りはしっかりしている。しかし、その顔色は蒼白だった。
「あ、あなたは、アゥル村の戦士の……!」
「ど、どうしたの!? あーしらの村に、何かあったの!?」
彼女は僕やティルヒルさんの姿を見ると、ほっとしたような、痛みに耐えるような表情で姿勢を正した。
「ほ、報告します…… ナーツィリド長老からの伝令です。
東の山脈の切れ目から、大陸茸樹怪が来襲…… 追い立てられた魔物達が地表を瞬時に埋め尽くし、アゥル村より東側の村々は避難不可能……
まだ避難可能な村は、我らに構わず今すぐ避難を開始されたし…… 以上です……」
「「なっ……!?」」
その耳を疑う報告に、全員が目を見開いた。東…… 東だって……!?
西側、つまりは炎の大河の方を見ると、大陸茸樹怪は相変わらずこちらに肉片を飛ばし続けている。
西側から侵攻してきた奴が、すでにナパの東側に回り込んでいるとは到底思えない。つまり、東側から攻めてきたのは別個体か……!
その事実に思い至り、僕は驚愕と同時に、どこか腑に落ちる感覚を感じていた。
思えば、兆候は数ヶ月前から現れていた。ナパの西側を壁で囲っても魔物は不自然に増加し続けていたし、この辺りでは見かけない東側の魔物が多く姿を見せるようになっていた。
なんの事はない。東側の魔物も、東の大陸茸樹怪に追い立てられてナパに逃げ込んでいたのだ。
途中から不審に思っていた僕らも、西の大陸茸樹怪対策や大岩鬼の騒動で、東側を調査する余裕など全くなかった。だから、今になるまで誰も気づかなかったのだ……
--西側の大陸茸樹怪が急激に速度を増したのは、もしかしたら東側の個体に惹かれたのかも知れない。
そう考えるとちょっとロマンチックだけど、人類からしたらはた迷惑この上無い話だ。
「ま、待って……! それじゃあおばーちゃん達は!?」
ティルヒルさんの悲痛な声に思考が中断される。そうだ…… 使者の人があんな報告を持ってきたという事は……!
全員の視線を受け、使者の彼女は俯きがちに口を開いた。
「私が飛び立った時は、まだ、無事でした…… 戦士ビジールを中心に踏ん張っていましたが、すでに村内に魔物が侵入しているような状況でした。今頃は……
私は、一番若いからと使者に選ばれたんです。伝令を伝えたら、そのまま勇者ティルヒル達と共に避難せよと……」
「そ、んな……」
ティルヒルさんが膝から崩れて落ち、沈黙が流れる。巨大な肉塊が大地を穿つ音と、魔物の咆哮の合唱が響く中、僕は彼女にかけるべき言葉が見つからなかった。
しばらくして、長老さんが口を開いた。
「そういう訳だ…… もはや我らに残された道は無い。我らの翼を持ってしても、家族を抱えたまま、地表を埋め尽くす魔物達から逃れることは叶わない……
村の皆には、最後の時を親しい者達と過ごすように言った所だ。思えば我らは、幾つもの判断を間違えた。最初から、御使殿の言葉に従って避難の道を選んでいればな……
勇者ティルヒル。そして御使殿達よ。お前達は若く強い。お前達だけでも……
--いや…… この村を守るために、力を使い果たしてしまったのだな…… すまない。本当に、すまない……」
力なく首を垂れる長老さんに、僕は静かに首を振った。
「長老さん、頭を上げてください。全ては僕らが決めた事です。そして、覚えておいて下さい。外の世界の戦士…… 冒険者は、全員諦めが悪いんです……!」
『白の狩人』のみんなの方を振り返ると、全員が不敵な笑みを浮かべていた。だよね。
パーティーのリーダーとして、彼女達をこの結末に連れてきてしまった事に、不甲斐無さと責任を感じる。
でも、だからこそ…… 例え勝ち目の無い戦いだとしても、リーダーとして最後まで全力を尽くす……!
「みんな! 僕とヴァイオレット様はもうまともに身体強化すらできません! 後衛の護衛に徹します!
前衛はキアニィさんとゼルさんにお願いします! 奴らの触手を弾くことに注力して下さい! 後衛は、最小の魔力で茸の本数を減らよう努めて下さい!」
僕の指示にみんなが陣形を整えていると、膝をついていたティルヒルさんが声を上げた。
「--待って! あーしもやる!」
「ティルヒルさん…… あなたはまだ魔力に余力があるはずです。あなたの翼なら、このまま南の大陸に--」
「それ以上言ったら、タツヒト君でも怒るよ? あーし一人でそこに逃げても、みんなが居ないんじゃ意味無いし」
みんなと同じように不敵に笑う彼女の姿に、胸が詰まって目頭が熱くなる。僕は、申し訳なさを何とか飲み込み、感謝だけを口にした。
「--ありがとう、ございます……! では、中衛をお願いします! あの茸共に、人間が簡単に喰える獲物じゃないって教えてやりましょう!」
「「応!」」
陣形が整った段階で、それを見計らったかのように村に大陸茸樹怪の分体がいくつも迫った。
地表から伸びてきた数えきれないほどの触手が、僕らを、村をぐるりと囲い込む。
「「ギギギギギッ……!」」
触手の各所に開いた口から鋭い歯が覗き、奴らはそれを威嚇するように打ち鳴らしている。
それが周り中から聞こえてきて、正直僕も恐怖で歯が鳴りそうだった。
「え…… 何……? 腰が、暖かい……!?」
しかし、いよいよ奴らが襲いかかってくると言う所で、プルーナさんが困惑したような声を上げた。
全員が何事かと彼女に注目すると、彼女のサイドポーチの一つから紫色の光が溢れ出ていた。
「プ、プルーナさん…… それ、腰袋が光ってますよ!?」
「えっ……!? えっ!?」
プルーナさんは慌ててサイドポーチを探り、何かを取り出した。
出てきたのは、手のひらほどの大きさの鱗だった。色は黒に近い紫色で、強い紫色の光を放っている。あれって、もしかして……
--ゴォォォ……
変化は、次々に起こった。
ジェット機のような轟音が聞こえて上空を振り仰ぐと、凄まじい速度でこちらに向かってくる一条の光があった。
驚きながらも目を凝らすと、それは翼を広げた鳥のようなシルエットをしていた。
プルーナさんが持つ鱗と同じ光を発するその翼影が、まるで墜落するような角度で村に突っ込んでくる。
同時に、周囲を取り囲んでいた分体の触手群が僕らに襲いかかった。しかし。
バパァンッ!
空を割くような凄まじい破裂音が響き、触手群が水平に刈り取られたように消し飛んだ。
早すぎで目で捉えきれなかったけれど、墜落直前で急減速した翼影が、高速で触手群を薙ぎ払ったように見えた。
「ギギィッ……!?」
触手群が歯を打ち鳴らし、怯んだように村から距離を取る。
すると僕らの眼前に、巨大な影が悠々と降り立った。
ドォンッ!
「ゴルルルルッ……」
傲然と僕らを見下ろすのは、巨大な竜だった。
黒に近い紫色の巨躯は、火竜にしては流麗で、風竜にしては屈強。
四肢には刀剣よりも鋭い爪を備え、背には一対の巨大な翼、鋼の鞭を思わせる長大な尾をくゆらせている。
「ま、まさか…… どうして今ここに……!?」
そう。僕らの絶体絶命の危機に現れたのは、かつての強敵にして取引相手。
呪いの炎を操る紫宝級の魔竜、呪炎竜だった。
お読み頂きありがとうございました!
【月〜金曜日の19時以降に投稿予定】




