第396話 大防壁
大変遅くなりました、金曜分ですm(_ _)m
何故かめちゃくちゃ難産でした。。。
深夜にまで及んだ長老集会の翌日。僕らは、ティルヒルさんの家の居間で一緒に朝食を摂っていた。
メニューは、羊乳を使った具沢山の茸シチューと、僕が持ち込んだ酵母液ととうもろこし粉から作ったコーンブレッドだ。出来は我ながら非常に良く、まさしくご機嫌な朝食である。
しかし、いつもはやかましいくらいに賑やかな食卓も、今日ばかりは流石に静かだった。
昨日の集会の結果、あの大陸茸樹怪相手に避難ではなく防衛する事が決定された。
実際に奴と対峙して殺されかけた僕らからには信じられないけど、それがナパの選択だった。
半年後、ちっぽけな人類によるあらゆる対策を薙ぎ払い、絶望に叫ぶ人々を津波のように飲み込む茸の群れ。
そんな光景を幻視してしまい、胃の辺りがずんと重くなる。周りを見回してみるとみんなの表情も暗澹たるものだった。
自然と僕らの口は重くなり、聞こえてくるのは食器の触れ合う音だけだ。
「--このナァズィ族の茸…… 変わった見た目ですけど美味しいですね! すごくいい出汁が出てます」
何か話題をと思い、僕はシチュー入っている干し茸に触れた。
傘に当たる部分が長い円錐状で、柄は短く、大きさは人差し指ぐらいの茶色っぽい茸だ。
プルーナさんがエレベーターガールに勤しんでいた際に、ナァズィ族の長老さん方がお礼にとくれたらしい。
汁物との相性が抜群に良いとの事だったので使わせてもらったのだけれど、旨味が驚くほど強烈だ。
よりによって茸の話を振ってしまった僕に、キアニィさんとプルーナさんがあたふたと反応してくれた。
「え、ええ! 食感も良いですし、よく炒った木の実のような香ばしい芳香がしますわぁ!」
「えっと…… ナァズィ族の人達は、この茸を沢山養殖しているんだそうですよ! 一度村に招待したいとも言ってくれました」
「へぇ…… ナァズィ族の人達って、確か地下に村を作ってるんですよね? 魔導国の地下街みたいな感じなのかな…… 面白そうですね! 今度みんなで一緒に--」
遊びに行こう。そう言い掛け、途中で止めてしまう。
ナパ全体が対大陸茸樹怪のために急稼働している今、そんな暇は無いだろう……
集会での決定を自身の村へ知らせるため、長老さん達の多くはすでにアゥル村を出ている。
しかし、一部の有力な村の長老さん達は、防衛作戦の内容を詰めるためにまだこの村に留まっている。
その防衛作戦の基本は籠城戦だ。僕らがナパに来る際に通った大きな谷、巨大峡谷と呼ばれる場所に長大な大防壁を建造し、奴のナパへの侵入を防ごうというものだ。
ナァズィ族の長老さんの一人が発案したもので、確かに奴と戦って倒すとかより遥かに現実的な防衛策だ。
けれど僕らは、奴があの巨体を驚くほど自在に、高さ方向にも変形させられる事を知っている。
その奴に乗り越えられない規模の大防壁を、残されたたった数ヶ月で構築できるのだろうか……?
また黙り込んでしまった僕に、今度はティルヒルさんがおずおずと口を開いた。
「あの、さ…… みんなの用事はもう終わったわけだし、無理してあーしらに付き合うことないからね……? あ、でも! 帰る時は教えてね! 黙って居なくなられたら、寂しいから、さ……」
目を伏せ、力なくそんな事を言う彼女に、僕らは顔を見合わせてしまった。
「ティルヒルさん…… まだ出会って数週間ですけど、僕はもうティルヒルさんの事を仲間だと思っています。
仲間とその家族が苦境にあるのに、用が済んだので、はいさよならなんて出来ませんよ」
「そうであります! ティルヒルはもう家族であります! シャムは、家族は助け合うものとみんなから教わって来たであります!」
僕とシャムの言葉に『白の狩人』のみんながうんうんと頷くと、ティルヒルさんの顔がくしゃりと歪む。泣き笑いのような表情だ。
「みんな……! ありがとう…… でもほんとごめんね。おばーちゃん達だって、土地なんかよりナパのみんなの命の方がずっと大事だってわかってると思うんだけど……」
「為政者としては仕方あるまい…… 私の母とて、同じ状況になったら防衛案を取ったかもしれんしな……」
「にゃ? --あぁ、ヴァイオレットのかーちゃんて領主様だったにゃ。忘れてたにゃ。
ま、タツヒトはティルヒルに公開告白までしちまってるから、ここで逃げたら格好悪いにゃ。うちらも付き合ってやるにゃ」
「こ、告白……」
ゼルさんの言葉に、ティルヒルさんがほんのり頬を染めながらちらちらと僕を見る。
ど、どうしよう。昨日の集会での僕の言葉が足りなかった所為で、若干の誤解が生じてしまっている。
しかし、あの「好きだからでしょうね」発言をした際、僕の意識の大半は確かにティルヒルさんに向いてた。
なのであながち誤解とも言い切れず…… なんだか心拍数が上がってきた気がする。
「--えと、その…… た、食べましょうか。冷めてしまいますし……」
「あ…… う、うん! そだね、食べよ食べよ!」
逃げの一手を打ってしまった僕。ティルヒルさんは、安堵と少しの落胆が綯い交ぜになったかのような表情でそっれに乗ってくれた。他のみんなはそんな僕らを見ながら静かに笑っている。
居間に再び沈黙が降り、食器の触れ合う音が響く。けれど、そこには最初の時のような息苦しさはなく、どこか心がくすぐったくなるような、心地のいい空気が流れていた。
--コンコンコン。
朝食後。みんなで今後の事を話しながらお茶を飲んでいると、扉を叩く控えめな音が聞こえた。
「あれ、誰だろ? はいはーい」
ティルヒルさんが立ち上がって玄関の扉を開けると、そこに居たのは十名ほどの年齢層高めな人達だった。
ナーツィリド長老さんを先頭に、昨日の集会で目にした他の村の長老さんの姿も見える。
「邪魔するぞ、ティルヒル」
「おばーちゃん! みんな揃ってどうしたの? あ、入って入って! ごめんみんな、ちょい詰めてくれる?」
僕らが座り直して空けた場所にご老人方が座っていく。何やら全員神妙な面持ちだ。
この家の居間はかなり広めだけど、流石に二十人近い人数がいると少し狭く感じてしまう。
「大勢ですまんな。タツヒト達も居てくれてちょうどよかった。お主達に話…… いや、頼みがあったのでな」
「お話というと…… 大陸茸樹怪に関する事ですよね?
でしたらこちらもちょうど良かったです。どうお手伝いしようか、皆さんに伺いに行こうと思っていた所だったので」
僕がそう言うと、長老さん達は安堵した表情で小さく声を上げた。
「そうか……! お主らの厚意、真心に感謝する。すまんがその通りなのじゃ。その強大な力と外の世界の知識を、是非儂らに貸して欲しい」
ナーツィリド長老が僕らへ深々と頭を下げ、彼女の周囲に座るご老人方も彼女に続いた。
それに対して慌てて頭を上げて下さいなどと言っていると、ロスニアさんが何かに気づいたように小さく声を上げた。
「あ、あの…… そちらの方、頬が腫れていますね。まるで殴打されたようなお怪我です。良ければ治療いたしましょうか?」
ロスニアさんの目線の先には、比較的若めのナァズィ族の長老さんが居た。よく見ると確かに片側の頬がやや赤く腫れている。
あれ。この人確か、防衛派の声がでかい長老さんと殴り合ってた人じゃないか?
「おぉ、ちょうど良い。ハロナ、お主タイエンに酷くやられておったじゃろう。癒してもらうのがよかろう」
「ナーツィリド長老、私だってあの頑固ばばあの顔に数発-- いえ、今はその話は関係ありませんね。ロスニア殿。すみませんが、お願いします」
「はい! では行きますよ『聖光』」
ロスニアさんは笑顔で頷くと、手を掲げて神聖魔法を発動させた。
ほんの数秒だけ彼女の体が青く発光し、それに同期してハロナ長老の患部が淡く光る。
光が収まると、長老の頬の腫れは全くなくなっていた。流石の腕前である。
「はい、これで治ったと思います」
事もなげに微笑むロスニアさんに、ハロナ長老が目を見開きながら自身の頬を摩る。もう痛みも無い様子だ。
「すごい……! 手も触れずに一瞬で…… ありがとうございます、助かりました!
この力…… も、もしや。ロスニア殿は水の女神の御使なのでしょうか……!?」
「へ……? あ、いえ! 私は創造神様の一信徒でして……! で、ですが、その、非常に目はかけて頂いていると言いますか……」
非常に悩ましい様子でそう答えた彼女に、長老さんたちが静かにどよめく。
新しい神様の名前が出たけど、ロスニアさんの場合も真っ向からは否定しづらいんだよなぁ。彼女、思いっきり神託をもらってたりするから……
彼女達のやり取りを見ていたナーツィリド長老は、何か確信を強めたような表情で大きく頷いた。
「うむ。やはりお主達に頼るのが正解のようじゃな……
頼みたい事はそれこそ山のようにある。増え続ける魔物への対応、癒し手への指導、大防壁建造への助言、次善策の立案…… そして、全てが失敗した場合に備えた避難の準備……」
「「……!」」
僕らは長老さんの最後の言葉に息を呑んだ。昨夜の集会の決定に逆らうような内容だったからだ。
しかし、それもそのはず。お顔を拝見しながら思い起こしてみると、ここにいる長老さん達はみんな避難側に票を投じた方々だった。
「なるほど…… ここにいらしたのは、全員避難派の長老さんですね」
「うむ。もちろん防衛策も進めるが、失敗に備える者達も必要じゃろうて。
タイエンの奴あたりがうるさいじゃろうから、準備はここにいる者達を始めとした、意見を共にする村だけで進めるつもりじゃがの。
無論、時間も人手も限られておることじゃし、お主らにその全てを頼むとは言わん。何を優先するべきか慎重に見定めるべきじゃろう」
「わかりました……! 早速話を詰めましょう!」
成す術も無く大陸茸樹怪に飲み込まれるナパの人々。先ほど幻視したその光景を振り払うため、僕らは前のめりでナーツィリド長老の言葉に頷いた。
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