第366話 勇魚の神獣
大変遅くなりました、水曜分ですm(_ _)m
そしてすみません、かなり長くなってしまいました。。。
普段のものより心なしか乱暴に感じられた転移。その直後、視覚を含めた五感が回復すると、そこは海中では無く真っ白な空間だった。
みんなは……!? そう思って振り返ると、幸いすぐ後ろに全員揃っていた。
みんな驚いた様子であたりを見回してるけど、誰も欠けていない。ちゃんと白布に包まれたカリバルもいる。よかった……
みんなの無事を確認した後、僕は水中呼吸用の魔導具を外しながら、ようやく辺りを具に観察し始めた。
どうやらここは、神殿に謁見の間の要素を足したような場所のようだ。
目の前には小高い位置に設けられた玉座があり、僕らはそこへ至る階段の手前に居る形だ。
左右には数えきれないほどの巨大な石柱がどこまでも続いている。
壁、床、階段、柱、随所に施された抹香鯨らしい精巧なレリーフ。そのどれもが染みひとつない純白だ。
後ろを振り返ると、石柱の群れに挟まれた幅広な道がどこまでも続いていて、果てが見えないほどだ。一体、どれほど広大な空間なんだ……!?
ふと上を見上げると天井だけが真っ黒だった。 --いや、違う。これは天井の色じゃない。
数十m上に存在する天蓋はおそらく透明なのだ。神殿からの光に照らされた巨大な魔物が、暗闇の中を泳ぎ去って行くのが見えた。
どんな技術なのか想像もつかないけれど、どうやらこの空間は陽の光が殆ど届かない程の深海に位置しているらしい。
「「……」」
そしてこの場には、僕らの他にも大勢の何かが存在していた。
まず僕ら左右には数千人規模の軍勢が立っている。彼らは西洋風の見事な鎧を着込み、微動だにせず玉座の方を向いている。
全員人型ながら亜人とも魔物ともつかない造形で、魚類もいれば蛸や鮫のような姿をしている奴もいる。
驚くべきは、気配からしてその全員が青鏡級以上の実力者だという事だ。
しかし、そんな強力過ぎる軍勢よりも遥かに恐ろしい存在が四体、階段の左右に控えていた。
姿は鯱人族に似ているけど背鰭が見えない。尻尾の形からして鯨っぽいので、仮に鯨人族と呼ぼう。体色は真っ白で、同じく白を基調とした神官服を着ている。
しかしその気配はただの魔物や人類の枠から大きく外れていて、震えがくるほどに強いものだ。
その中の一体については、気配とこちらへ向ける視線に覚えがある。彼女が先程僕らを拉致した白い抹香鯨なのだと、僕の直感が告げていた。
その鯨人族達は僕らに背を向けると、階段上の玉座に向かって傅きながら朗々と言い放った。
「偉大なる我らが主よ、人間共を連れて参りました」
「--ご苦労」
ズッ……
「「……!!」」
空間が歪んで空の玉座に何かが現れ、同時に僕らの左右に展開していた軍勢も一斉に傅く。
僕らはその何かの姿を確認する前に、凄まじい重圧を受けて地に伏してしまった。
圧倒的過ぎる強者の気配に背筋が凍りつき、呼吸も、思考すらままならない。ただ側に在るだけで、こちらが絶命しかねない程だ……!
「よくきたな人間達よ…… さぁ、面を上げるがいい」
冷たく重厚感のある声は深海を思わせ、だと言うのに異様に蠱惑的だ。
--星一つを人の形に無理やり押し込めたかのような、生き物の枠から隔絶した巨大な存在感。これは……
僕は必死に自分を鼓舞し、歯を食いしばりながら何とか顔を上げた。
玉座に座っていたのは、階段下にいる鯨人族と似た姿の女性だった。
玉座まで流れ落ちる長髪も、尻尾も、各部に生えた鱗も全てが神々しい純白で、大柄ながら均整の取れた美しいプロポーションをしている。
顔立ちは異様に整った冷ややかな美貌で、その瞳は海を思わせる澄んだ青。
体の各部には神経網を思われるような青く光ラインが走っている。
豪奢な神官服風のドレスを着て冠を被り、傲然とこちらを見下す様は、支配者としての風格に満ちていた。
やはり間違いない。僕は再び頭を垂れ、何とか言葉を発した。
「う、海の大龍穴を統べる神とお見受けいたします。拝謁を賜り、誠に光栄にございます」
震える声でそう告げると、彼女はほんの少しだけ頬を歪めた。
「いかにも。私がこの深海の地脈の大穴を支配する者、遍く海の魔物達の王である。お前達人間は、この私を勇魚の神獣などと呼んでいたな。お前もそう呼んで良いぞ。
しかし、そうか。人間と話すのは久しぶりなので忘れていた。 --これでどうだ? 少しは楽になっただろう」
彼女がそういうと、僕らを押さえつけていた凄まじい重圧が少し軽くなった。
後ろからみんなが呼吸を再開できた様子が伝わってくる。やはり、目の前の方はアラク様と同格の神様だったようだ。
確か、アラク様は彼女の事を温厚な奴をおっしゃっていたけど……
「御慈悲に感謝いたします、勇魚の神獣様。私はタツヒトという只人の冒険者にございます。後ろの彼女達は皆仲間です。
エウロペアの大森林に座す蜘蛛の神獣様には、日頃より大変目を掛けていただいております」
なんとか噛まずに自己紹介すると、彼女は僕の後ろに一瞬だけ視線を送った。あれ、誰を見たんだろう?
「--うむ、お前達の事は蜘蛛の奴から聞いている。中々面白い連中だとな。
それで今日、蜘蛛の奴から我が領域の近傍で虫が出て、そこにお前達も居合わせていると知らせがあった。
あの黒い虫は不快ゆえ、滅せようと眷属を送り込んだのだが、すでにお前達が始末していたという訳だ。
あれは少々人の手には余る代物のはずだが、よく退治した。誉めて遣わずぞ人間達よ。
その働きに褒美をとらそう。さぁ、何を望む? およそ人の望むものであれば、叶えてくれよう」
彼女は、笑みを深くしながら僕にそう問いかけた。
そうか…… 妙にタイミングよく拉致されたと思ったら、アラク様が手を回してくれたのか。
本当にありがたい。連絡は付かなかったけれど、今回も見守ってくれていたようだ。帰ったらまたお礼に伺わねば。
そして褒美か…… この状況でお願いする事なんて一つしかない。
「お心遣いに重ねて感謝申し上げます。では恐れながら、こちらの白い布に包まれた私の仲間をお助け頂けないでしょうか……?
彼女は支配の黒線虫の宿主にされ、体を作り替えられてしまい、神聖魔法でも治療が叶わないのです。
今は蜘蛛の神獣様から下賜された布の力で命を繋いでおりますが、布を取ればたちまちの内に体が崩れ去ってしまうのです。
どうか…… どうか彼女をお救い下さい……!」
再び地面に伏す勢いで頭を下げると、後ろから息を呑む音がした。多分アスルだろう。
「--ふふっ。この海の王が何でも望みを叶えてやろうと言うのに、その答えか……
蜘蛛の奴が言っていた通りの連中のようだな。よかろう、その布を取るがいい。お前の願いを叶えてやろう」
「……! あ、ありがとうございます! 只今!」
後ろを振り返ると、体を強張らせて震えているアスルと目が合った。
勇魚の神獣様や眷属の方々の神気に当てられ、喋ることもままならないようだ。
まだ状況が飲み込めていないようで、ただただ不安そうに布に包まれたカリバルを抱えている。
「大丈夫、心配ないよ」
僕はアスルの手からそっとカリバルを抱き上げると、勇魚の神獣様に見えるように包みを解いた。
すると中から、眠るように目を閉じた壊れかけのカリバルが現れた。
ただ包みを解いただけで彼女の体はひび割れ、止まっていた崩壊がまた始まる。
急がないと……! そう思った瞬間、彼女の体が強烈に光り目の前が真っ白になる。
「わっ……!?」
「--よし、治しだぞ。暫くしたら目も覚めるだろう」
勇魚の神獣様の声と共に僕の視力も回復した。
すると目の前には、さっきまでの有様が嘘のように健康そうなカリバルがいた。
真っ白だった体色は白黒に、ひび割れていた体は瑞々しい弾力を取り戻し、四肢も全て揃っている。
骨の浮いていた体の肉付きまで戻り、目を閉じて穏やかに寝息を立てている。こ、こんな一瞬で…… すごい……!
「カリバル……! か、感謝致します! 勇魚の神獣様!」
「うむ」
彼女は何てこないように鷹揚に頷いたけれど、僕は冷静じゃいられなかった。すぐにカリバルを抱えて、後ろのみんなにも見えるようにした。
「アスル! みんな! ほら、カリバルが!」
「「おぉ……!」」
みんなはカリバルの様子を見て感嘆の声をあげ、安堵の表情を浮かべた。
中でもアスルは歓喜を抑えきれない様子だった。慣れない神気の重圧の中だと言うのによろよろとカリバルに近寄り、その頬に触れて目に涙を湛えている。
「さて、では褒美も与えた事だし、元の場所へ返してやろう。おっと、海中に返す事になるから、その呼吸用の魔導具も付けるが良い。ではさらばだ」
僕らが感動を分かち合う中、勇魚の神獣様はそう言ってこちらに手を掲げた。
え…… もしかして今すぐ転移ですか……!? も、もうちょっと余韻に浸らせて下さっても……!
--とは言えないので、みんなしてわちゃわちゃと水中呼吸の魔導具を装着していると、アスルが一人前に出た。
「ま、待って……! 下さい……!」
「ん…… なんだ、娘よ」
勇魚の神獣様が手を降ろし、アスルを見る。
するとアスルは、震えながらその場に膝を付き、床に付くほど深々と頭を下げた。
「海神様…… カリバルを、助けてくれて、ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます!」
「うむ。ん……? 首のそれは、我が鱗を束ねたものか……? よくぞそれだけ集めたものだ。
--そうか。あれはお前だったのか。同胞を想う真摯な祈り、届いていたぞ。我が巫女よ」
最初は淡白に応じていた勇魚の神獣様は、アスルの首にかかる海神の顎を目にすると、とても優しげな声で彼女を労ってくれた。
「……! は、はい…… はい……!」
アスルの目から、止めど無く涙が溢れ始めた。自身が祭る海神様に親友を救ってもらい、さらにあんな言葉を頂いたら、そりゃあ嬉しいだろうなぁ……
しかし、あれ牙じゃなくて鱗だったのか。言われてみれば、確かにそう見えなくも無い。
「ふふっ…… そうだ、これもまた縁。私も蜘蛛の奴を真似てみよう」
勇魚の神獣様は僕の天叢雲槍をチラリと見た後、いきなりご自身の牙を一本毟り取った。
あっけに取られる僕らと、小さく悲鳴を上げる眷属の方々。そんな周囲を他所に、彼女はいつかのアラク様のように牙を粘土細工のように変形させ、純白の腕輪に変えてしまった。
抹香鯨の意匠が施されたそれは、彼女の手元からふわりと離れ、呆然としているアスルの右手にするりと嵌まった。
「銘は、そうだな…… 勇魚の牙環とでもしておこう。そのかき集めた鱗よりは役に立とう。今後も励むが良いぞ。我が巫女アスルよ」
「は…… はい! ありがとうございます! --すんすん。いい匂い……」
アスルは感動の面持ちで腕輪に触れた後、陶酔したようにその匂いを嗅いだ。
神様でも流石に思うところがあったのか、優しげだった表情がちょっと嫌そうに歪む。
「やめよ…… そうまじまじと匂いを嗅ぐな」
「ご、ごめんなさい……!」
--確か抹香鯨って、体の中で龍涎香っていう香料を生成するんだっけ。
よし、後で僕も嗅がせてもらおう。あのお美しい勇魚の神獣様の牙から作られた物だから、きっとめちゃくちゃいい匂いがするはずだ。
そんな邪な事を考えていたら、ご本人からギロリと睨まれてしまった。
「蜘蛛の奴の御子よ。お前、嗅いだら許さないぞ……?」
「も、申し訳ございません!」
「全く、この辺りも蜘蛛の奴の話通りだな。この私に欲情するなど蛮勇にすぎるぞ……
--おっと、このままでは我が眷属達が暴れ出しそうだな。ではさらばだ、人間達よ」
さっさと帰れ。彼女はそんな感じで追い払うように手を振った。
「あ、あの! ありがとうござ--」
僕は彼女へ最後にお礼を伝えようとしたけれど、有無を言わさぬ突然さで視界が暗転、その場から退場させられてしまった。
***
タツヒト達が転移した後、勇魚の神獣の神殿には一瞬の静寂に包まれた。
しかし、すぐに押し殺したような笑い声がこだまし始めた。
声の主は、不機嫌そうだった顔をおかしげに歪めた勇魚の神獣だっった。
「くっくっくっ…… 久方ぶりに人間と言葉を交わしたが、我が巫女も、蜘蛛の奴の御子も、中々どうして面白い連中だったな」
「--恐れながら我が主よ。あれらはただの塵芥。貴方様の寵愛を受けるには分不相応と愚考致します。
特にあの只人の男の無礼は目に余ります。どうか誅戮のご命令を。すぐに叶えてご覧にいれます」
タツヒト達をこの神殿へと連れてきた眷属が、怒りを滲ませながらそう申し出る。
「ふふっ、やめよ。この私に一笑をもたらしたのだ。それを持って見逃してやろうではないか。
それにその塵芥が、末席とは言え蜘蛛の奴の眷属を打ち倒したのだ。お前もうかうかしていられんかもしれんぞ?」
「わ、私があのような者達に遅れを取るなど、あり得ません!」
「ははは、そうだろうとも。今は、な…… --さて蜘蛛のよ、これであの時の借りは返したぞ?」
勇魚の神獣は、自身の眷属から虚空に視線を移しながらそう語りかけた。
すると、中空に映像が映し出された。そこに映っているのはエウロペアの大森林の支配者、蜘蛛の神獣だ。
『うむ! いやぁ、助かったわい。そして急にすまんかったの、勇魚の。うたた寝から目覚めて急いで様子を見たら、もう危ない状況になっておったもんでな』
「構わん。あの虫は見つけ次第消し去る事にしていたし、私とお前の仲だ。
しかし、確かに見るべき所のある者達だったが、本当にこんなことで良かったのか?」
『良い良い。出会い方はちとまずかったが、今やあやつらは妾の友柄よ。友のためならば、貸しの一つや二つ、安いものよ』
楽しげ語る蜘蛛の神獣を、勇魚の神獣は気遣わしげな様子で見返す。
「友、か…… --あまり人間に目をかけすぎるな。多くの人間は愚かで、弱く、そして脆い。
それこそ、お前がうたた寝している間に消え去ってしまうかもしれんのだぞ……?」
『ほっほっほっ、心配してくれておるのかえ? 相変わらず優しい女よの。
大丈夫じゃ、人の身のか弱さは身に染みておる…… それに、中にはそうでもない者もおるじゃろ?』
「ふん…… そういえばお前から聞いた通り、あの小娘にそっくりな絡繰人形が居たな。確かに、あれは人間にしてはよく励んでいるようだ」
『うむ。誠に、健気なものよ…… そういえばあの時お主は--』
二柱の神々は、それから暫く昔を懐かしむように談笑した。
交わされる内容は気も遠くなるような古い時代、まさに神話の出来事だ。
しかしそれを語る二柱の表情に神の威厳は無く、ただ友人とのひと時を楽しむ穏やかなものだった。
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