第365話 いつもの喧嘩(3)
アスルが螺旋状に束ねて射出した駆虫薬は、痩せ細った胴体の皮膚を突き破り、その全てがカリバルの体内へと侵入した。
入った……!
その光景を目の当たりにした僕らの気が緩み、一瞬動きが止まる。
そして、カリバルはそれを見逃すほど甘い相手では無かった。
「ゴアッ!」
唸りを上げながら八本の触腕を振り回すカリバルに、全員が弾き飛ばされる。
向こうにも焦りの感情があるのか、先ほどより雑な攻撃だったおかげでみんな防御に成功したようだった。
一方、ひと足先に吹き飛ばされていた僕を、後ろに控えていたロスニアさんが優しく受け止めてくれた。
『タツヒトさん、また無茶して! じっとしていて下さい、今治療します!』
『あんなの自爆であります! どうかしているであります!』
『本当ですよ! 死んだらどうするんですか!?』
『すみ、ません…… でも、ああするしか…… ごほっ』
そして後衛のみんなから厳しく怒られた。いや、本当にいつもすみません……
先程密閉空間で使用した爆炎弾だけど、手加減なく魔力を注いだせいか、間近で爆発を受けた両手がめちゃくちゃ痛む。
さらに激しい腹痛に、血の味のする咳が出て水中呼吸用の魔導具が外れそうになる。
ロスニアさんはすぐに僕の損傷部位を把握し、一番やばそうな腹部に治癒魔法を掛け始めた。
あぁ…… 痛みが引いていく。ありがたい。
『ロスニア、タツヒトは!?』
『両手と内臓が損傷しています! 重症ですが、私が死なせません! 数分で動けるようにして見せます!』
ヴァイオレット様の呼びかけに、ロスニアさんが頼もしい言葉で返答する。
みんなが少し安心した様子を見せるたあと、アスルはハッとした表情でカリバルの方を振り返った。
『よかった…… あ…… カリバルは……!?』
アスルの視線を追うと、カリバルはまるで何事もなかったかのように平然としていた。
「ゴルルル……」
『お、おい! 全然効いてにゃーじゃにゃいか!?』
『タツヒト君が抜けた状態ですと、ちょっとまずいですわねぇ……』
ゼルさんとキアニィさんが、焦りを滲ませながらカリバルを睨む。
確かに、先程は露出していた人間の胴体も再び触手群で覆われてしまい、八本の触腕を構えて唸る様子にはなんら不調が見えない。
資料通りなら結構すぐに効果が現れるはずなんだけれど…… 効かないなら切り替えていくしかない。
僕と同じことを考えたのか、みんなが緊張の面持ちで武器を構え直す。
けどキアニィさんの言う通り、あの凄まじい手数を持つカリバル相手では、前衛が一人抜けただけでも非常に厳しい。
アスルには悪いけど、ヴァイオレット様に延撃を撃って貰うしか……
そう思い掛けたその時、カリバルの触腕の先端が微かに震え始めた。
震えはそのまま末端から根本へと伝搬し、徐々に大きくなっていった。
「ゴッ…… ゴギャッ……!? ガガガガガ--」
そのうち八本の触腕、そして体全体が激しく痙攣し始めた。
カリバルの黒い巨躯を構築する触手群までもがビクビクと蠢き、鯱頭の悪魔の姿が徐々に崩れ始める。
これは……!?
『駆虫薬が効き始めたであります!』
『みんな下がって下さい! 反応は激烈なはずです!』
プルーナさんの言葉に、全員が距離をとって言葉もなく見守る。
--駆虫薬の原料は高地に生えるある種の樹木だ。密閉状態でその原料を加熱し続けると真っ黒な乾留液が得られ、それを精製したものが先程の琥珀色の液体だ。
確か地球世界の正○丸の原料も同じようなものだった気がする。
アニサキスに着想を得た支配の黒線虫には、遺跡の資料通り覿面に効いたようだ。
カリバルの姿はその後もどんどん崩れ続け、もはや絡まり合った触手の塊のようになってしまった。そして--
「ギギィィィィッ……!!」
一際大きな悲鳴の後で痙攣が突然停止し、全ての触手が一瞬にして真っ直ぐに硬直した。
数え切れないほどの触手が放射状に屹立する様は、まるで巨大なウニだ。
そのさらに数秒後、黒い棘は先端からどんどん灰色に変わっていき、やがて白く色褪せ、ボロボロと崩れていく。
全ての棘が崩れ去った後、その中心からは見覚えのある鯱人族の姿が現れた。
--カリバルだ。白黒だった体色は病的な白一色となり、異様に痩せ細った全身には骨が浮き、閉じられた目も落ち窪んでいる。
あまりにも痛々しい姿に呆然とする僕らを他所に、その体が力無く海底へ沈んでいく。
「カ…… カリバル!」
そんな中、アスルが真っ先に彼女の元へ泳ぎ、我に帰った僕らも彼女に追従した。
海底に落ちる寸前、アスルはカリバルの体をとても優しく受け止めた。
だというのに、そのわずかな衝撃でカリバルの片足がほろりと崩れ、海水に溶けるように消え去ってしまった。
さらに彼女の体は、末端から少しずつ海に溶け始めていた。これは、もう……
「あぁ…… あぁぁぁぁ! タツヒト! カリバルが…… カリバルが、崩れる! 助けて! ロスニア、治して! お願い! みんな、助けて!」
滂沱の涙を流しながら、アスルは崩れ続けるカリバルを抱き抱えて僕らに懇願した。
その様子に身を割かれるような痛みを感じながら、僕は治療を続けてくれていたロスニアさんに手を触れた。
『こほっ、ロスニアさん。僕はもう大丈夫です。どうか、彼女を……』
『はい…… --肉体再生』
ロスニアさんはカリバルの元へ行くと、部位欠損すら治療可能な高位の神聖魔法を発動した。
強烈で清浄な光がカリバルを包み、カリバルの肉体の崩壊が止まる。その様子にみんなが息を呑むけれど、それは本当に一瞬だった。
先ほどよりは鈍化したものの、崩壊が止まる気配は無い。
やはり、ダメなのか…… 遺跡の資料には、宿主の体は支配の黒線虫によって作り変えられ、神聖魔法による治療が効かなく成ってしまうとあった。
駆虫薬を使えばこうなるという事は、わかっていたことだ。だけど……
「あぁ、なんで……! ロスニア、カリバルが無くなっちゃう! 消えちゃう!」
『アスルちゃん…… 私の力では、崩壊を遅くするのが精一杯なんです……! すみません…… あぁ、神よ……』
「う、嘘……」
その顔に絶望の表情を浮かべ、アスルは呆然とカリバルの窶れた顔を見つめた。
そうする間にも崩壊は進んでいる。何か、何かできないか…… せめて崩壊を止めることは…… --そうだ!
僕は、治療薬や非常食など入ったポーチを漁り始めた。
「--うるせぇなぁ……」
すると、なんとカリバルがうっすらと目を開き、煩わしそうにそう呟いた。
今にも眠りに落ちてしまいそうな、ひどく疲れた声色だ。
「カリバル……!?」
「あ……? よぉ…… 探したぜ、アスル…… 何泣いてんだぁ、てめぇ……? へっ、今日こそ、俺が勝つ日みてぇだなぁ……
--あん……? なんでだ……? 力が、入らねぇ……」
三叉槍を構えようとしたのだろう、カリバルの腕が僅かに動いた。
しかし、たったそれだけの動きでその腕は根本から脆く崩れてしまった。
急がないと…… あった!
「……! カリバル! 動かないで! そ、そう……! あなたは、疲れている……! 戦うのは、明日にしよう…… 今日は…… 今日はもう、寝てしまおう。大丈夫、明日になったら起こすから……」
「そう、か?…… 確かに、眠ぃな…… 明日、絶対に起こせよ…… アス--」
目を閉じかけたカリバルに、僕は問答無用で真っ白な布を被せた。
そのまま高速で手を動かしてカリバルをすっぽりと布で包み終える。
すると僕の行動に唖然としていたアスルが、怒りすら滲ませながら掴み掛かってきた。
「タ、タツヒト……!? 待って! まだカリバルは死んでない!」
『あ…… アスル、待つであります! タツヒト、それは時絡めの白布でありますね!? なるほどであります!』
『うん……! もしもの時のために、肌身離さずに持っててよかったよ……』
「時絡めの、白布……? それは何? カリバルは、大丈夫なの……!?」
シャムを皮切りに、みんなが理解と安堵の表情を浮かべる中、アスルだけが困惑している。
そうか。彼女にはこれの存在を伝えていなかった。
『ひとまずは、ね…… この布は特殊な魔導具で、包んだものの時間を止めることができるんだ。
シャムが死にかけた時にも使ったことがあるから、効果は確認済みだよ。神様から頂いた神器でもあるしね』
『確認済みであります! この布がなければ、シャムは今ここに居ないであります!』
僕らの言葉に、アスルはへたりとその場に座り込んでしまった。
絶望と悲しみに沈んでいた彼女の表情が、僅かに明るさを取り戻し始める。
「--じゃ、じゃあ…… カリバルは死んでないの……!? この中で、生きてるの!?」
『うん…… その、この布に包まれている限りは、だけど……』
「……!」
この布を取った瞬間、カリバルはまた崩壊を始める。
僕が言外に滲ませてしまったその事実を感じ取ったのか、アスルはまた表情を固くしてしまった。
『--ひとまず、今は船団の場所へ…… リワナグ様の船へ戻ろう。ロスニアさんの神聖魔法で治せないとなると…… 少し方法を考えないといけないし』
『うむ、そうするとしよう。暴食不知魚が撒き散らした触手塊のその後も気になる』
「……わかった。死んでないなら、まだ何か治す方法が--」
僕の言葉に賛同してくれたみんなが船団の居る方向に向き直る。
その瞬間、突然目の前が真っ白になった。
『『……!?』』
同時に感じた凄まじい気配に体が竦み、思わず膝をついてしまう。
何だ…… 一体何が……!? 混乱の中で視線を動かし、周囲を観察する。
すると、自分の認識の間違いに気づいた。僕の視界がホワイトアウトしたんじゃない。
一体いつ、どうやってここへ現れたのだろう。視界の殆どを覆うほどの、巨大な白い何かが目の前に出現していたのだ。
冷静になって目の前の巨体を見てみると、それは僕ら頭を向けた真っ白な鯨のように見えた。
鋭い牙が林立する深い海溝のような口と、巨大すぎる鰭。特徴的な角ばった頭の形は、抹香鯨に似ているような気がする。
でも、この邪神をも凌駕する強烈な気配と、暴食不知魚を上回る巨体は絶対ただの鯨じゃない。
何より、僕の体よりも大きなその目からは、知性と、ある感情が滲み出ていた。それは、僕らを塵芥のように見下す強烈な侮蔑の念だった。
『ーー人間共よ、光栄に思え。これより貴様らを、偉大なる我が主の元へ招く』
突然頭の中に声が響いた後、視覚や触覚などの全ての感覚が薄れ始めた。これは、転移魔法……!?
あなたは誰なのか、主人とは、どこへ連れて行くのか。そういった疑問を口にする前に、僕らは有無を言わさぬ強引さでその場から連れ去られた。
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