第347話 姫巫女の傷(3)
厨房で準備を終えると、すでに陽は落ちていた。
リワナグ様を残し、全員でアスルの部屋の前まで行くと、そこには憔悴した様子で廊下に佇むマニルさんがいた。
「あ…… みなさん」
「マニルさん…… アスルに付いていてくれてありがとうございます。彼女は中にいるんですよね?」
「はい…… でも、今は誰にもお会いにならないと思います」
彼女はそう言いつつも扉の前から移動し、場所を開けてくれた。僕は扉の前に立ち、声をかける前にふと思いとどまる。
「マニルさん、みんな。もうちょっと離れていてもらえますか?」
「え? しょ、承知しました」
「タツヒト…… 気を付けるのだぞ?」
「ええ、ヴァイオレット様」
扉の周囲からみんなが離れてくれたのを確認してから、僕はようやく扉をノックした。
「アスル、僕だよ。入ってもいいかい?」
「--だめ。入らないで」
扉の向こう側から平坦かつ断固とした口調で拒絶される。
いつもの僕ならすごすごと引き下がるところだけど、今は覚悟完了している状態だ。
「いや、入るよ。ごめんね」
「--え?」
扉の向こうから間の抜けた声が聞こえる。
構わずに扉のノブを回して押し開くと、部屋の中は真っ暗だった。
目が暗闇に順応してくるにつれ、殺風景な部屋の様子が見え始めた。
中は広く、ベッドや机などの調度品は立派だけど、本当に最低限のものしか置かれていない。あまり人の住んでいる形跡のない部屋だ。
そして部屋の主であるアスルは、奥の壁際で膝を抱えて座り、驚愕の表情で僕を見上げている。
「あ、居た居た。アスル、一緒に晩御飯食べようよ」
「--来ないで!!」
アスルは、瞬時に表情を敵を見るかのようなものに変えた。
そしてその体から強烈な放射光が迸り、一瞬で生成された圧縮水塊が目の前に迫る。
僕は身体強化を最大化すると、それを真正面から受けた。
ドパァンッ!!
強烈な破裂音が鳴り響き、胸部を中心に激しい衝撃と痛みが広がる。が、なんとか耐えた。
バガッ!
「ひぃっ……!?」
一瞬遅れて、後方に飛び散った水流がドアや廊下の壁を破壊する音と、マニルさんの悲鳴も聞こえてきた。
距離をとっておいてもらって良かった。
「うぅっ……! あぁーー!!」
アスルが目に涙を溜め、絶叫しながら圧縮水塊を連射する。
僕はそれらの全てを体で受け止め、連射のわずかな隙にジリジリと歩みを進め、何度目かの破裂音の後に彼女の目の前に立った。
強烈な打撃を受け続けた体の前面には満遍なく激痛が走り、多分何ヶ所か骨にひびも入っている。が、そんな事はおくびにも出さない。
いつの間にか混乱と怯えの表情を浮かべているアスルが、震えながらこちらを見上げる。
僕はその場にゆっくりと膝をつくと、彼女をそっと抱擁した。
腕の中のアスルがびくりと震え、ゆっくりと脱力していく。次第に、彼女の嗚咽が聞こえ始めた。
「ゔぅっ…… 私は、また…… ごめんなさい……! タツヒト、ごめんなさい……」
「--大丈夫。僕が頑丈なの知ってるでしょ? アスルの攻撃じゃ傷つかない…… 死なないよ。
リワナグ様からアスルの話を聞いたんだ。昔、君は確かに失敗してしまったかも知れないけど、ただ巡り合わせが悪かったんだと思う。
アスルがムティヤ様を案じていて、前に進もうと頑張っていることを、みんなよく分かっているよ」
僕の言葉にアスルがはっと息を飲み、今度は首を左右に振った。彼女の震えが再び強くなる。
「--違う…… あの時、姉を撃ってしまった時…… 私は、恐怖、後悔、ムティヤへの心配の他に、心が震えるほどの興奮を確かに感じていた……
魔物を屠る時も、密猟者を捕える時も、カリバルと戦う時も、心の何処かで、楽しんでいた……
私の中に、人を痛ぶって楽しむ恐ろしい怪物がいる……! だから私は、人に近づいちゃいけない…… 笑っちゃいけない……! 幸せになっちゃいけない!
--でも…… それでも、一人は寂しい。みんなと一緒に居たい、みんなを大切にしたい。私は、私が分からない……!
ムティヤ、母、父、カリバル、タツヒト…… みんな、ごめんなさい…… ごめんなさい……」
一息に激情を吐き出したアスルが、また脱力してさめざめと泣き始めた。
そうか…… アスルが人を遠ざけていた理由、表情を無くしてしまった訳、それはあの事件だけが原因じゃ無かったのだ。
人懐っこく、他者を慈しむ優しい心を持つ彼女は、同時に強い嗜虐性をも持って生まれてしまった。悪いことに、強力な魔法の才能のおまけ付きでだ。
そしてそんな自分に苦悩し、人との関わり方に苦しんでいる。なんとも難儀な……
アスルの壊れかけた心に触れたような気持ちになり、彼女を抱きしめる僕の手に自然と力が入る。
「--そっかぁ…… なら、そんな自分とのうまい付き合い方を、一緒に探していこうよ」
「え…… 一緒に……? わ、私か怖く…… 気持ち悪くないの……?」
アスルは、腕の中から僕を恐る恐ると言った様子で見上げた。
「うん。むしろよく話してくれたよ。そういう凶暴な部分て、みんな少なからず持っているものだよ。アスルの場合、それがちょっと人より強かったってだけだと思う。
多分、誰だって人に言えない何かを抱えているんだ。僕だって、実は亜人しか好きになれない変態だしね。 --いや、これは言わなくてもよかったね。ごめん、忘れて……
ともかく、また暴れたくなったら付き合うよ。みんなだってきっとそうしてくれるし、その時はカリバルも呼んじゃおう。
一人になろうったって、不幸になろうったってそうはさせない。無理矢理にでも、僕らはアスルの側にいるよ」
アスルが小さく息を呑み、その目が大きく見開かれる。
そして部屋の外にいたみんなも、いつの間にか僕らの周りに集まってくれていた。
「アスル。シャムは、仲間は助け合うものと学習しているであります。自分で自分が分からない感覚、シャムにも経験があるであります……
シャムには、アスルが抱える問題に一緒に取り組む用意があるであります! 一人で抱えるのは効率的ではないでありますよ!」
「まー、タツヒトもみんにゃも、奴隷落ちしても賭け事をやめらんにゃいウチを許してるくらい、器がでっけーにゃ。
おみゃーが多少暴れん坊なくらい、全然大丈夫だにゃ。にゃはははは!」
「ゼルはもう少し反省すべきですけど…… アスルちゃん、心の形は体以上に千差万別で、正しい形なんてないんです。
もちろん、生きていく上で少し大変な形をしている人もいますが、アスルちゃんはもう上手な付き合い方を見つけ始めています。
だから大丈夫です。カリバルちゃんはちょっとかわいそうですけど……」
「アスル様…… わ、私は、アスル様が苦境にめげず、島の皆のために懸命に働かれてきた事を存じております。
あなた様が心の内に何を抱えていようとも、その積み重ねは変わりません。どうか、これからも私めもをお側に置いて下さい……」
「タツヒト、マニル、みんな…… うぅ…… ゔぅ〜……!」
みんながそれぞれの言葉でアスルに思いと伝える。すると彼女は泣き笑いのような表情になり、顔を埋めて再び泣き始めた。
温かい涙が僕の胸を濡らし、暗く殺風景な部屋が温かな雰囲気に包まれる。
が、そこで、くぅ〜、という可愛いお腹の鳴る音が響いた。
発生源のアスルが一瞬で泣き止んだけれど、真っ赤な顔を埋めたまま動かない。
穏やかに微笑んでいたみんなはなんとか吹き出すのを堪えたみたいだけど、僕は我慢できなかった。
「ぷっ…… あは、ははは……! どんな時でもお腹は減るよね。さ、晩御飯を食べよう。みんなで、一緒に」
いまだに赤面するアスルをの手を取り、僕らは薄暗い部屋から彼女を連れ出した。
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