3-8 Dr.モローの星
ガスフライヤー『金剛・改』は衛星シンジュに接近していた。
ここまで来るのも楽では無かった。他の衛星を利用したスイングバイを二回行い、大量の推進剤を消費して無理矢理に軌道を変えてきた。
リョウハは再建されたヤシャのコクピットに移っていた。
新たなヤシャも本体の構成はほぼ同じだ。しかし、オプション装備によって現在の姿は大きく違う。
今回のオプションは大気圏突入用だ。ヤシャの強度なら特別な装備を使わなくても隕石のように大気圏に落下できる。ロケットエンジンの推力のみで制動をかける事も可能だ。しかしそれでは機体を傷めるしエネルギー効率も良くない。そこでヒサメが用意したのが大気圏突入用の空力装備、いわゆるフライングアーマーだった。
現在のヤシャの本体は下半身は脚部を折りたたんだ宇宙機モード、上半身はバーニアを四つ一直線上に配置する人型モードになっている。これはヤシャの形状をなるべく薄く、短くするためだ。
人型の上半身は腹ばいになって両腕でフライングアーマーを掴んでいる。アーマーはその名の通り大気圏突入時には発生する高熱から本体を守る盾となり、その後は大気を掴んで飛行を行う翼となる。
大気圏突入を行うなら翼はデルタ翼の方が適しているのだが、残念ながら新型ヤシャのアーマーは中央部分に翼がある通常の航空機に近いものだ。これはヤシャの形状が肩の部分が左右に広くなっているためだ。
リョウハは発進前の最終確認を行う。
ぶっつけ本番だった最初の出撃の時とは違い、今回は十分なテストをしながらここまで来ている。今回は精神的にもスケジュール的にも余裕があった。
金剛・改の第一管制室から通話がつながる。レツオウ・クルーガルからだ。
「リョウハ君、先程はご苦労だった」
「余計なことを、と小言を言われるかと思いましたが?」
「君らの完全な統制は諦めている。途中で一報を入れてくれただけでも十分だ。それに、君が介入しなければデッドマンたちが生き残れたかどうかは分からない。よくやってくれた」
「ほとんどは彼ら自身の力ですよ」
「行動方針を指示してもらえなければその実力も示せなかった、とゴータマ殿の言葉だ」
「私が離れた後の彼らは?」
「擱座した第3体節に後ろの体節がドッキングした。残敵掃討と言うのか? 第3体節に残っていた敵を数の力で押しつぶし、ゴータマ殿たちを救出した。危ない所だった。今、あそこには嵐が近づいている」
大規模な気温の変化により、シンジュの大気には大きな擾乱が生じている。
「センチピードの中で何が起きたか、お聞きになられましたか? 甦れる者が大半と言っても、あれほどの数の死体が転がるとは普通とは思えませんが?」
「あぁ、その事なんだがね……」
レツオウの言葉は歯切れが悪い。
彼が何かを切り出そうとした時、間が悪くよそから通信が割り込んで来た。
「リョウハ君と司令が揃っているなら都合がいいわね。私からの中間報告をさせてもらうわ」
「カグラ君か。何かね?」
「リョウハ君から聞かれたのよ、あのシンジュの異星生物たちと私の戦闘生物ちゃんの間に関連があるんじゃないか、って。確かによく似た能力を持っているわよね」
「熱や電気、電磁波に対する吸収能力。中枢神経との連絡を絶たれない限り動き続けるタフさ。仲間と同化しての巨大化は観測できなかったが、あの様子ならそれも有っても不思議はない。と言うか、あの巨大キノコだか赤い花だかが円盤型の兵隊が巨大化した物なのかも知れない」
「……ありそうな話よね。とりあえずあの異星生物のサンプルを入手しなければ確かな事は言えないわ。話半分くらいに聞いてちょうだい。まず前提条件だけど、私の戦闘生物ちゃんはモロー一族に伝わる特殊な遺伝子から作成した物なの。まあ、一族の秘伝の一つね。それの入手元が衛星シンジュの氷の下であっても不思議ではないわ」
「あの赤い円盤は戦闘生物原種、って言う事か」
「そうかも知れない。でもうちの一族の事だから別の可能性もある。モロー一族の者であればレパスちゃんと同じ遺伝子は入手可能よ。あの赤いキノコをうちの誰かが作ったのかも知れない。その場合、目的はシンジュのテラフォーミングでしょうね」
「テラフォーミング?」
「気づいていなかった? 赤いキノコはシンジュの気温を押し上げている。今は地表のドライアイスが気体に変化しているところ。大気中の二酸化炭素の割合が増えれば温室効果により気温の上昇はさらに加速される。そして、あのキノコは炭素をベースにした生命体だと推測される。ならば二酸化炭素から炭素のみを吸収する光合成に似た能力があるかもしれない。もしそうであれば、シンジュが人間が呼吸可能な大気を持つ事も不可能ではない」
「仮定に仮定を重ねた推論だ。大した価値はない」
「そうよ、リョウハ君。でもね、うちの一族のならテラフォーミング用の生物の設計とかいかにもやりそうで……」
レツオウがうめいた。
この通話に映像は出ていないが、頭痛をこらえているのが目に見えるようだった。
「モロー一族がシンジュを遊び場にしていたという事か。これまではテラフォーミング用のエネルギー源が無かったから大人しくしていたが、ブラウの活性化により表に出てきたと。アレがシンジュで進化した原住生物だと考えるよりは納得がいくな」
「それで、対応策は? アレが人工の生命体なら活動を停止させたり制御したりは可能ですか?」
「同じモロー一族の色が見えると言っても、私が作った物ではないからね。何らかの制御コードは設定されていると思うけど、そう簡単に見つけられる物ではないはず」
「非常用の共通コードとか無いんですか?」
「マッドで知られるうちの一族だからね。……それに、そんな物があったら大変よ、リョウハ君的にも」
「なぜ?」
「解析して分かったの。リョウハ君にもレパスちゃんと同種の遺伝子が一部組み込まれている」
「は?」
さすがの戦闘用強化人間もこれには意表をつかれた。
機器の最終チェックをしながら会話していたが、その手が止まった。一人称代名詞も素に戻る。
「俺にはエネルギー吸収能力なんか無いぞ」
「でも、放出は出来るよね」
「ま、電撃ぐらいなら」
「その電撃は電気ウナギ的な発電器官による物ではないよ。オーパーツ的な不可思議能力によるもの」
「不可思議って、レパスの能力も原理不明のまま使ってたのか?」
「原理は分からなくても利用は出来る。リョウハ君も頑張ればエネルギー吸収ぐらい出来るんじゃない?」
「……試した事はないな」
これは良い事を聞いた、とリョウハは自身の心にメモを取る。自分の鍛練メニューにエネルギーの吸収・放出能力の制御を付け加える。
自分の電撃能力については以前から疑問があった。何というか、他の能力に比べると効果の程がしょぼい。酒場の喧嘩の仲裁用の手加減能力だろうと解釈していたが、まだ真価を発揮できていなかったとするなら納得だ。
「話が脱線しているぞ。カグラ君、君の報告を要約すると『衛星シンジュに現れた生命体にはモロー一族の関与が疑わしい』これだけかね?」
「そうね。それと、あの生き物の細胞サンプルが欲しいという依頼」
「考慮しよう」
レツオウはカグラとの会話を一旦打ち切る。
「リョウハ君。現在判明しているシンジュの情勢だ。センチピードは本体と第一分体・第二分体の三つに分かれて行動していた。ヒサメ君が接触するのに成功したのは第二分体だ。二つの分体は少数の指揮要員とデッドマンたちで運営されている。本体にはもう少しだけ人間が多い。責任者は双子の長命者、通称ウロボロスだ。彼らは一般の長命者よりはやや活動的でセンチピードの運営にも口を出していたようだ。思いつきで山を登らせたり遠方までデッドマンを派遣したりだが」
「その思い付きの行動はどの程度の危険度だったのですか?」
「死に戻りまでの時間を競わせていたらしい」
ゲスだ、とは思う。
特権階級が死なせても良い人材を手に入れたら、そんな行動に出るのは想定の範囲内だったが。
「その彼らとの連絡は?」
「つかない。本体も第一分体も予定の進路を元に捜索しているが、こちらからでは発見できない。赤い花の花弁の下に居るのかもしれない」
「センチピード自体は見つけられなくとも足跡ならば?」
「無理だ。全衛星的に風が吹きはじめた。大嵐だ。足跡などすべて飛ばされてしまった。相手がネットに繋がらなければヒサメ君にもどうにも出来ない。やはり、降下して直に探さなければならないようだ」
「私の出番ですか?」
「地上まで降りる必要が出たらその時には頼む。君は予定通り軌道上で待機だ。金剛で大気圏へ突入、降下艇を出す。ヒカカ・ジャレン率いる班が第二分体の支援を行う。ギム・ブラデストの班が本体の捜索だ。第一分体は、……手が足りん」
「ヒカカ班長たちを第一の捜索に回しては? 第二は危機を脱したでしょう」
「まだこれからだよ、リョウハ君。常に他人に使われ搾取されるばかりだった者たちが独立した時、何が起こるか分かるかね?」
「指揮能力の不足、ですか?」
「そうとも言う。具体的には先を見る能力と指導力の両方の不足だな。解放された奴隷が自分たちでつくる国なんかロクな物にはならない。目先の資源を奪い合って自滅するのが関の山だ」
「デッドマンたちが自分たちを管理運営できなければこちらの傘下に収める訳ですか? まるで国取りを行う下克上の封建領主ですね」
「彼らが自滅していくのを自己責任として傍観できるのなら、それでも良いな」
「……ごめんなさい」
リョウハは素直に頭を下げた。『自己責任』彼は完全にそのつもりだった。
レツオウはかすかに笑ったようだった。
「君はそれでいい。君の戦闘能力は高すぎる。君が自由気ままに動けばその被害は傍観するより大きな物となるだろう」
「軍事力は文民統制が基本ですからね」
「話を戻すぞ。君はヤシャにて孫衛星の軌道上で待機。軌道上から本体及び第一分体の発見に尽力してくれ」
「了解です。大気圏に入らなくても軌道上からの火力支援も可能だと付け加えておきます」
「憶えておこう。必要があれば呼ぶ。その時には遠慮なく大気圏突入してくれ。法令違反には目をつむろう」
「恐縮です」
ヤシャは大気圏突入機体として認められるための役所の審査を受けていない。リョウハも大気圏突入機の免許は持っていない。シミュレーション上ではまったく問題なく大気圏突入できるし、機体・パイロット共にオーバースペックではあるのだが。
「そろそろ時間だ。ヤシャ、発進シーケンスに入ってくれ」
「了解」
ハッチ・オープン。
金剛本体のハッチが開き、その先の追加装甲がスライドする。
「核融合炉起動準備、発進用カタパルト準備よろしく」
先代ヤシャの核融合炉はビッグアイとの戦いで失われた。今回は新しい核融合炉を起動からやり直さなければならない。
「兵装選択、砲身長可変型レールガン。白兵戦用装備セット」
白兵戦用装備はヤシャが使う物ではない。生身での陸戦が予想される今回の任務に向けて、リョウハ用にヒサメが見繕った各種装備だ。
そして翼を抱えた新たなヤシャは宇宙に舞った。
これからしばらくの間、退屈である事が求められる任務が始まる。
シンジュの地上からはもう一人の鬼がそれを見上げていた。




