3-4 デッドマン
衛星シンジュ。
重力は0.8G。実に地球の8割。これは巨大ガス惑星の衛星としても破格の大きさだ。
H2Oは大量に存在するが、恒星から遠く離れているのでその大半は固体である。大気の主成分は窒素と二酸化炭素。二酸化炭素は時にドライアイスの雪となって地表に降りそそぐ。また、惑星ブラウとの距離が比較的近いので、潮汐力により火山活動が活発だ。地熱はかなり強いはずであり、分厚い氷の下には液体の水があるだろうとは予想されていた。
地下の海の中にすでに高等生物が進化していたなどとは誰も予想していなかったが。
なお、三流サイトの与太話レベルでなら地下に水中都市が存在し、人魚型のエイリアンが地球人類を観察しているはずだった。
なんにせよ、シンジュは学術的に興味深い星であり、その探査には力が入っていた。
火山活動が活発である事から地表に固定の基地を作ることは避けられ、建造されたのは多脚型の移動基地だった。センチピードと呼ばれるそれは無数の体節から構成され、大きな損傷を受けた体節は切り捨てて機能を他へ移す事ができた。
各部分がいくら破壊されても全体としては生き残れる。それが、人類のシンジュ探査の基本理念だった。
その理念はセンチピードに搭乗する人員にまで及んでいた。
「デッドマン、ウェイクアップ!」
機械音声の決まり文句が響いた。
培養槽の扉が開き、男の全裸の身体が外気にさらされた。幸いにしてとてつもなく冷たく酸素の存在しないシンジュの大気ではなくセンチピード内部の空気だ。
だが、それでも全裸では肌寒い。
男は培養槽の横に用意されているはずの隊服を探る。それが無いのを確認して悪態をついた。
「申し訳ありません。緊急事態につき人間の手配ができませんでした。隊服も飲み物の用意もありません」
「緊急? ガッデム!」
男はセンチピードの内部なら常に感じなければおかしいもの、歩行時の微細な振動がまったく感じられない事に気がついた。
緊急事態とは掛け値無しの表現だと察する。隊服に未練は見せず、センチピード各所に配置されている気密服に飛びついた。
「ちっくしょうめ! 何がどうなった? 俺はなぜ死んだ?」
男はそれなりに整った顔立ちだったが、その身体には体毛が一切なかった。
彼は最低の環境で働くために造られた使い捨て用の培養特化型の強化人間。通称デッドマンだ。
彼らの記憶は生身の脳から抽出され、中枢サーバーに蓄えられる。活動している個体が『死ぬ』と、その記憶を植えつけられた新しい個体が『生産』される。
彼らデッドマンにはいわゆる死に戻りがあるのだ。
新しい個体が過去の者と同一人物と言えるかは諸説ある。が、法律上では両者は同一人物と見なされ、財産などは引き継がれる。たとえ死んでも借金からは逃れられない、というのがデッドマンたちの認識だったが。
男と会話している声はデッドマンの生産管理システム、通称ボサツだ。
彼らの記憶も管理しているので、ある意味ではボサツこそがデッドマンの本体とも言えた。
「質問への回答は困難。システムの一部が正常に機能していません。個体1246GEDATUはその最後の記憶を申告して下さい」
「ちょい待ち! そのGEDATUって俺の事か?」
「肯定、あなたへのリンクが損傷しました。あなたの次の転生はありません。あなたは解脱しました。今までのシステムのご利用ありがとうございました」
「マジかよ」
まさかの残機無しだ。
「ちょっと死んでくる」が許されていた身としては半ば以上死刑宣告を受けたようなものだった。いそいそと気密服を身につけながら彼は嘆息した。
「リンクが損傷したから俺がどんな死に方をしたか分からないってか? 俺はよく生き返れたな」
「肯定、危ない所でした」
「ええっと、俺はどやって死んだんだっけ? アレ? 死んだ記憶がないぞ。ブラウが大爆発して、イロイロヤバそうだからセンチの下の方に潜り込んで、小康状態になったと聞いたから上に登ってきた。そこまでしか憶えてねぇ。タンッと音がしてゴトッといって、それっきりだ」
「把握しました。多数あった首なし死体の一つがあなたでしょう」
「首なしって、オイ!」
「惑星ブラウの爆発からしばらくして、当基地に侵入者がありました。侵入者はこのセンチピード第二分体の全人員を抹殺、ボサツシステムの稼働も停止させました」
「俺が解脱しちまったのもそいつのせいか!」
「肯定的。システムを強引に再稼動した際にデータが損傷しました」
「お前のせいじゃないか!」
0.8Gの重力が妙に重く感じられ、彼は座り込んだ。
「……それで、その侵入者はまだこの辺に居るんかい?」
「否定的。システムの停止後、小型宇宙機の離脱を確認しました」
「小型って、そいつらは何人いたんだ?」
「未確認。被害状況から一人、もしくは1グループと推定します」
「たった一人を相手に皆殺しなんて、そんな馬鹿な」
「侵入者の身体能力と技能はデッドマンたちをはるかに上回る事が確定しています。並みのデッドマンでは侵入者に気づくことも出来ずに首をはねられる様ですから」
「そりゃあ確かにな」
解脱者はふて腐れた。
だが、そういつまでも油を売っていることは出来なかった。再生された直後は腹が減っている。胃にも腸にも何も入っていないのだから当然だ。
力の入りきらない身体に喝を入れ、隣接した厨房へ移動する。
ここには自動調理器の様な気の利いたものはない。自動機械に頼るより、有り余る(デッド)マンパワーにものを言わせるのがシンジュ流だ。
再生直後に固形物を食べるのは推奨されない。トロリとしたポタージュを作って胃に流しこむ。
塩胡椒を効かせた味を楽しみながら会話を続ける。
「で、センチが止まっているのはその優秀な侵入者にぶっ壊されたからか? そいつはどこまで壊して行ったんだ?」
「否定的。侵入者はどこも壊していません。ボサツシステムを停止させただけです」
「あ?」
「システム停止後、第二分体は無人のまま移動を続けました。分体が停止したのはコレのためです」
解脱者の前に映像が浮かんだ。
真っ赤なキノコを下から見上げている様な映像だ。それが何なのか彼には分からなかった。
「何だコレは? おセンチがこれを食って食あたりでもしたってか?」
「それはシンジュ全土に出現した謎の物体のひとつです。画面右下に小さく見えているのがセンチピードのボディの一部です」
「……このちっこいのがか?」
「肯定的」
「このキノコはどこまででっけぇんだ?」
「これをキノコと仮定した場合、その傘の直径は200メートルほどになります」
「ああ、そうかい。……想像もおっつかねぇ。センチが止まったのはコイツにぶつかったからか?」
「正面衝突はしていません。膨張するキノコに側面を擦られました。キノコの損傷部分から菌糸が伸び、センチピードは絡めとられました。そして、さらに悪い報告です。シンジュの気温が上昇傾向にあります。ブラウからのエネルギー放射が増大した事と赤いキノコのエネルギー吸収効率が氷原の『白』よりも大きい事が原因だと思われます」
「まさか、氷が溶ける?」
「まだ、大丈夫です。ですが、シンジュの気候は急速に変動していて予断を許しません。移動できないまま足元の氷が薄くなると言った事態も無いとは言えません」
「そいつぁあ大変だ!」
「危機感を共有できて嬉しく思います」
ボサツシステムには『中の人』が居るのでは無いかと疑う者は多い。
それだけの人間味があるシステムだが、『中の人』の正体は内部に蓄積されたデッドマンたちの記憶であろうとも言われている。
「大変な状況なので些事から片付けていきましょう。まずは1246GEDATUあなたの名前です。解脱したあなたには個体名称が許されます。任意で設定して下さい」
「……ゴータマだ」
「意外に知性と教養を感じられる名前ですが、少々ご立派すぎませんか?」
「五月蝿え! 解脱したんだから良いんだよ!」
「了解しました、ゴータマ・シッタカルーダ」
「シッタカは余計だ! 解脱したんだから俺の配属先は考慮してもらえるんだろうな?」
「たしかに解脱者には正規のデッドマン並みの危険作業はさせられません。よって私の手足として内勤をしてもらいます。よろしいですか?」
「内勤か。外部作業なし、いい話じゃねぇか」
「同意しましたね? では最初の指示です。あなたが食べ終わったそれと同じものを後50人分製作して下さい」
「50人だぁ?」
「その通りです」
シュポシュポと音を立て、ゴータマの視線を遮っていた装甲シャッターが開いていく。
一気に視界が広がった。
そこにあったのは先ほどまで彼が入っていたのと同じ培養槽だ。ザッと見て確かに50人分ぐらい並んでいる。その全てが培養の最終段階に入っている。
「お、オイ!」
「皆殺しにされた人員を早期に回復しなければなりません。まだまだ増えますよ」
「内勤って、ひょっとしてコイツらの世話か?」
「ご明察です」
「隊服の用意も、お茶を入れておくのも俺の仕事?」
「その通りです」
「第一陣の世話が終わったら、何人かは手伝いに回してもらえるよな?」
「デッドマンたちには過酷な外部作業が待っています。センチピード内部の仕事は基本的にゴータマにやって貰います。培養の間が空いた時には死体処理もよろしく。あなたの物も含めた首なし死体が大量に転がっていて不衛生です」
「いっそ殺せぇ!」
ここは衛星シンジュ。極寒地獄と呼ばれる場所。
赤い花が咲き、紅蓮地獄にクラスチェンジした様だが八寒地獄ほの一つである事には変わりがない。
地獄に迷い込んでしまった解脱者の受難は終わらない。




