3-2 亡霊たちの動向は
その頃、リョウハは食堂にいた。
彼の燃費は決して良くない。その巨体を維持するためにもトレーニングのためにも大量のカロリーが必要だ。然るべき設備のある所なら消化吸収という手間をかけなくても身体に直接栄養素を送りこむ事も可能だが、今の環境では彼も普通の食事を取らなければならない。
彼は黙々と料理を口に運んでいた。
「リョウハ、もう少し美味そうに食べたらどうだ? そんな仏頂面で食べ続けるなんて料理してくれた人に失礼だろう」
「必要な栄養素がきちんと入っているのは認識しているぞ」
彼はたまたま会ったフウケイ・グットードと同席していた。いつも、ではないが偶然出会えばそのぐらいはする。
名ばかり、という肩書きを返上した船長はため息をついた。
「食事というものは娯楽の一種だと言っているだろう。効率だけを追い求めるな」
「効率が一番わかりやすい」
食べ物が美味しく感じられるのは良い事だが、凝った料理で美味しさを増大させるのは本末転倒だとリョウハは思う。自分の体調や食材の良し悪しを判断するのが味覚の役目だ。その役目を撹乱する様な料理はむしろ有害とすら言える。
「食事は娯楽」派と「栄養の摂取」派の不毛な言い争いが勃発しようとした時、空中から女の子の声がした。
「リョウハ、話がある。すぐ来て」
リョウハとフウケイの視線が絡み合った。
無言のまま席を立とうとする船長、その肩に強化人間の大きな掌がのせられる。
「料理人に悪いと言うなら、食事を終えてから立ち上がるものじゃないかな?」
「姫君のご指名はお前だぞ」
「ならば逃げる必要はない。船の運行に影響する話かもしれないが」
「どうなんだ?」
強化人間の腕力を相手に力づくで逃れるのは不可能だ。フウケイは諦めて天井に向かって問いかけた。
「そこに影響するかどうかも含めて先にリョウハに相談したかったんだけど」
「……聞かせてもらおう。二度手間になるくらいなら今聞いた方が良い」
リョウハも口の中の物を飲み込みつつ、付け加える。
「こちらは食事中だ。この場では出来ない様な話か? ならば少し待ってもらうが。俺に相談してから対応を決める程度の事なら、別に緊急の要件ではないのだろう?」
「別に秘密にする程でもない、かな。パトリシアたちから報告して欲しかったけど」
男たちの顔に疑問符が浮かんだ。
女学生たちから船の運行に関係する話が出るとは予想していなかった。
「ランフロール女学院では課外授業の一環としてブラウ惑星系の観測作業を行いました。その結果、いくつかの異常を確認しました。その一つがこれです」
「これは、ブラウの至近距離?」
本職だけにリョウハよりフウケイの方が察しが良かった。リョウハは話より食事の方により多くの注意を向けていたからでもあるが。
空中に不気味に光を放つ球体の一部分が投影された。現在の惑星ブラウを拡大したものらしい。
惑星の表面でも内部でもなく、少し離れた宙域に何かがあった。
紐状の物体と円盤型の何か。映像の中では小さいが、惑星ブラウとの比較で考えると恐ろしく大きい。特に紐状の物は長さ100キロメートルではきかないだろう。ひょっとすると1万キロメートルを超えているかもしれない。
リョウハの食べる手もさすがに止まった。
「確かに妙だ。人工物体にしか見えないが、こんな所に何かあったか? 整備宇宙基地より内側の軌道には大規模な建造物は存在しなかったはずだが」
「中尉の記憶は正しい。こんな所には何もない。亜光速物体が来る前でもこの辺りは荷電粒子が強すぎて長期の滞在には向かなかった」
フウケイも居住まいを正した。リョウハの呼び名も「中尉」呼びに戻っている。
「それで、専門家の見解は?」
「想像はつくが、その前にこれの軌道を確認してほしい。これはどこから来た?」
「了解。……計算不能」
「軌道計算出来ない?」
リョウハの顔に疑問符が浮かぶ。そんな事があり得るのだろうか?
「これらはブラウの周回軌道に乗っていない。もちろん放物線軌道でもない。円盤型の物体はとても薄く、紐状の物体はもちろん細い。どちらもその質量に対して表面積が大きい。もちろん、普通の宇宙空間なら表面積の大きさなど何の意味もないけれど、今のブラウ周辺なら別」
「ブラウから放出される荷電粒子やら何やらに乗って宇宙を漂っていると?」
宇宙ヨットの一種か、とリョウハは呆れた。
対してフウケイは納得したようにうなづいている。
「船長はこれに心当たりがあるの?」
「心当たりと言うほど良くは知らない。が、先輩方から聞いた事はある。ブラウの大気中を飛んでいると時々、大きな何かが観測される事があると」
「私は知らない」
「ガスフライヤーの搭乗員以外には広がらない話だ。整備宇宙基地の運行班には元搭乗員が多いから彼らが知らないはずは無いと思うけど」
「……」
「僕たちは彼らの事をゲッシュと呼んでいる。語源は知らない。彼らはガスフライヤーの航路には近づいて来ないので、明瞭な観測データが得られた事はない。ただ何かがいる。それだけは分かっている。ブラウの中で上昇気流を掴んで中心核に落下しないようにしているらしい」
巨大ガス惑星であるブラウの核は超高圧の液体金属水素の海だ。生物や人工物体が無事でいられる環境ではない。
「彼らの正体はブラウの原住生物であるとも地球人が惑星上に落としたナノマシンが独自に進化した物だとも言われる。ガスフライヤーに破壊探査用のミサイルが装備されているのは彼らが敵対した時に備えてだ、などと言う噂もある」
「強いのか?」
「交戦の記録はない」
「残念だ。……つまり、あそこを漂っている物体はブラウの原住生物が巣を壊されて逃げ出した物だという見解なんだな?」
「惑星上の上昇気流のかわりに勢いを増した粒子流に乗っていると考えれば矛盾はない」
「しかし、惑星全体が変形するほどの衝撃波だぞ。逃げ出す以前に生物が耐えられる物なのか? それに宇宙へ脱出しても次に来るのはあの陽子の大津波だ。宇宙基地の軌道でも基地を破壊するだけの力があったんだ。惑星至近ではビーム砲の中に飛び込むのと大差ないだろう」
「僕にも断言は出来ないが、衝撃波の伝播速度は光速よりははるかに遅い。そしてブラウは大きい。直径15万キロ近い。遠くにいれば異変の前兆を察知しての脱出は不可能ではなかったのだろう。そして陽子は、あの大爆発はブラウから全方位へ向けて放出されたものではなかったと思われる。基本的に亜光速物体が飛び込んだ側だけだ。反対側は比較的安全だったはずだ。安全と言ってもブラウを取り巻いていた宇宙基地が全滅しているあたり程度問題の様だが」
リョウハは新しい料理に手を伸ばしつつ思案する。
ちなみに彼が手にとったのは肉巻きのライスボールだ。頻繁に無重力になる環境下では盛り付けに重力を利用する料理は作れない。皿にのせたステーキを食べるのは至難だし、煮物系に至っては言語道断だ。必然的にサンドイッチやハンバーガーといった手で持って食べる物が主流となる。
「まとめるとブラウ至近の宙域に出現した物体は元々ブラウ内部に生息していた物だと推定される、と。あの爆発から生き延びた生存能力には見るべきものがあるが、これまで攻撃性は見られない。もし攻撃的になったとしても宇宙ヨットの機動力では金剛には追いつけない。我々にとって脅威にはなり得ないという事だ。純粋な学術探査の対象としてランフロールの女の子たちに観測と記録を担当してもらえばいいんじゃないかな?」
「異議はない。パトリシアさんには後で僕から直に話そう」
「意外に大ごとにならずに問題が片付いたな」
「一つだけね」
リョウハは肉巻きおにぎりを喉に詰まらせた。
「まだあるのか?」
「こっちも凄い」
空中に浮かんでいたブラウ近辺の映像が消える。かわりにどこか別の星の映像が出る。血のように真っ赤な星だ。
どこの星なのかリョウハにもフウケイにも判別がつかない。
「これは衛星シンジュの現在の映像」
「ちょっと待て、火山が多いと言ってもシンジュは氷の星だろう? あの星は白かったはずだ」
「先日、大気中を通過した時にもその通りだったな」
「でも、これが現在の姿」
「……」
男たちは沈黙したが、その内実は多少異なっていた。
リョウハはこれは自分の領分ではないと思考を放棄。フウケイは本格的に考え込んでいた。
「ヒサメさん、パトリシアさんを連れて第三会議室へ来てください。司令も呼んで会議を招集します。中尉もな」
「俺も? 上陸の必要があると?」
「あそこには有人の基地があるんだ、当然だろう。先日、救援要請も来ていた」
「別に行くのが嫌とは言わないが……」
「ほら、行くぞ!」
「飯ぐらい最後まで食わせろ!」




