2-11 リビングデッド
自分は一体何者なのだろうか?
ヒサメ・ドールトはぼんやりと考えていた。
別に無くなっても構わない物だと思っていたはずなのに、いつの間にか無くしていたと知ってどうしてこんなにショックなのだろうか?
リョウハと別れた後、彼女はカグラ・モローの診察と治療を受けた。
骨折や打撲は単純な物で、早めに手当てすれば何の問題もないレベルだと怒られた。時間が経っていたので少しだけ悪化していたらしい。
他に内蔵へのダメージが少々。こちらは安静にして消化のよい物を食べていれば治るそうだ。
「軽い栄養失調の形跡もあり、ね。寝食を忘れて何かに没頭するのもほどほどにしなさい。成長が遅れているのはその所為、とも言いきれないかな。詳しく調べてみないと断言できないけれど、遺伝子レベルで成長と老化を遅くする処置が施されている形跡がある。これは長命者の子供として創られた場合はごく普通の事ね。かわいい盛りを長く楽しみたい、死なれるのはなるべく後に伸ばしたい、って事。書類上は15歳になっていたけれど、あなたは本当はもう少し年上なのかもしれない。赤ん坊の頃が長くても意味はないけど」
「それで?」
「その辺りは大した問題じゃない。あなたの頭部のユニットは取り外しが不可能な様に出来ている。あなたの生身の頭皮はほぼ無くて、機械ユニットが頭蓋骨に食い込んでいる。ここまでは良い?」
「そのぐらいは自分でも感じられる」
「頭部ユニットの一部は頭蓋骨を貫通して脳に達している。そこからナノマシンを介して脳と意思疎通をしているはずなのだけれど……。あなたの大脳皮質って機能していないのよね」
「どういう事?」
「過去に事故でもあったのか、それとも頭部ユニットからのナノマシン注入量が多すぎたのかわからないけれど、あなたの脳は機能していない。脳幹とか小脳とか身体の機能を制御するあたりは無事だと思うけど、本当なら立ったり話したり自分の意志で行動する事は不可能なはず。昏睡状態がせいぜいね。自発呼吸も難しいかもしれない。脳死と診断してもさほど的はずれではないわ」
「ならば、今話している私は誰なの?」
「頭部ユニットでしょうね。先日、身体を捨ててソフトウェアだけで移動する、みたいな事を言っていたけれど、アレは冗談抜きで普通に可能だった。その頭部ユニットがどの程度脳の機能をエミュレートしているかは自分で判断して。私の専門外だから」
「そう」
「今のあなたをサイボーグとアンドロイド、どちらに分類すればよいか私にもわからない。ただ、助言するなら、少しでも人間でいたかったらその身体は大切にする事ね。痛みは感じる様だし、不快な事も気持ちいいことも生身の身体から頭部ユニットに価値判断付きで流れる。それが無くなったら本当に機械になる。あなたの心も周りの目もね」
先日、ゴーストと名乗った存在にネット上に残った人間の意識について講釈したが、まさか自分がすでにそういう存在になり果てていたとは思わなかった。
リョウハはこんな私をどう思うか、とそれが一番に気になった。
自分がヒサメ・ドールトという名の人間ではなくただの機械だったら?
リョウハなら「だからどうした」と笑い飛ばしそうだが、もし無価値な何かだと見なされたら?
ヒサメの生身が寒気を感じた。
この反応が自分に残された人間性なのかと納得する。
リョウハが彼女の区画の中に侵入してきた時、感じたものは恐怖と期待だった。
彼女の守りが突破されその腕に抱きしめられた時、感じたのは敗北感と悦楽だった。あのまますべてを奪われても一向に構わなかった。あの時、彼女は今では彼女の本体であると判明したプログラム部分に、リョウハに対するすべてのセキュリティの解除を命じていた。あのとき、リョウハは彼女に侵入するのも改変するのも自由だった。そうやって無条件降伏を完成させていた。
一時の気の迷いとして今ではセキュリティは元に戻していたが。
彼女たちが居るのは金剛の診察室だった。
その出入り口の扉がピーと警告音を発した。
誰かが扉を無理に開こうとしているらしい。
金剛の中枢を代行しているヒサメは扉を開けようとしているのがリョウハだとすぐに察した。同時にカグラが第一管制室へ送ったメッセージも知る。
まだ彼に会う心の準備が出来ていない!
扉を閉ざそうとして、諦める。リョウハに対してはどんな拒絶も無意味だ。それはすでに証明されているではないか。
壊される前に開いてやると、巨体の鬼が血相を変えて飛び込んで来た。
「ヒサメ、無事か?」
またしても抱きしめられる。
二度目だから大丈夫、と思いきや宇宙服越しだった前回とは密着度がちがった。たくましい筋肉のうねりが感じられ、ヒサメはアワアワと慌てた。死んでいるはずなのに心臓がバクハツしそうだった。
「へ、平気。何も問題ない」
なんとか返答したがリョウハは明らかに信じていない。カグラに問いかけるような視線を向ける。
余計な事を話されてはたまらない。ヒサメも『何も言うな』と言う念をこめた視線を送った。
目力が通じたのだろうか?
カグラは一般的な検査の結果を空中に投影して見せた。身長体重に加えてスリーサイズまで表示されているのは意地悪かもしれなかったが。……貧弱な数字なのは自覚している。
「誤解させたみたいだけど、ヒサメちゃんの状態は特に悪くなってないよ。学術的・哲学的にはとても興味深い。死亡状態っていう評価もできる、ってだけでね」
「そ、そうか」
リョウハは納得した風ではなかったが、明らかに生きている生身の身体が腕の中に居るのだ。疑念が長く続くはずもなかった。
リョウハの身体の緊張が緩むのを感じつつ、ヒサメは話をそらしにかかる。
「レツオウの呼び出しはなんだったの? 怒られた?」
「怒られる方は始末書ですんだ。呼ばれた本題はダフネへ先行して救助作業を、っていう話だ。あちらの人間は壊滅しているらしい」
「出掛けるんだ」
「ああ、これからカグラさんの宇宙艇が使えるかどうか確かめて、もし使えなければヒカカ班長の複座型宇宙機あたりを借用かな」
「やっぱりトミノ式は使いたくない?」
「それはな。あの狭さは懲りた」
ヒサメはにんまりと笑った。「こんなこともあろうかと」事前の予測が的中し、準備が無駄にならなかったのは嬉しい。
「なら、三時間待って。その間に組み上げるから」
「え?」
「リョウハ用の宇宙機。設計とパーツの生産は完了している。出来合いのパーツとサイズを変更して生産したパーツを組み合わせただけの急造品だけど、体格には合うはず。フレームの強度も上げてリョウハ用にかなり無茶な機動も可能にしてある」
「そんな物、いつの間に?」
「カグラ注文の有機物分解槽とか単純な物だけ作っていると退屈だったから」
「まったくぅ」
リョウハの大きな手がヒサメの頭を撫でようとして機械ユニットに阻まれた。
結局、ポンポンと軽くたたく。
今の私は幸せ、かな。
と機械少女は分析した。
自分が機械でも人間でもどちらでも構わない。リョウハの為になる自分であれば十分ではないか。
この時、彼女は周りの事が一切見えていなかった。
からかいの声が飛んで来た。
「それで、いつまで抱きあっているのかしら? それとも奥の小部屋を使う?」
カグラがその場にいる事に赤面し、いつの間にか自分の右腕もリョウハの背中に回っている事に気づいてもう一段階赤くなる。
名残惜しい想いを抱きつつ男の腕から急いで脱けだす。
なんとなくリョウハと顔を合わせられない。
「初々しいこと。……検査は終わったから、もう行っていいわよ。もちろん、どこかでイクのも自由ね」
「お、俺用の宇宙機とやらのスペックの確認がしたい」
「そ、そうね。マニュアルも作らなければいけないし。トミノ式の物と短距離シャトルの物の折衷物で何とかなるかな?」
診察室から逃げ出しつつも、ヒサメの右手はリョウハの腕をしっかりと掴んでいた。




