2-6 天の岩戸
リョウハがやったような闇雲な加速ではない慎重な軌道変更が実施された。
ガスフライヤー『金剛・改』は補給泊地ダフネへと進路をとった。泊地と同一の座標に到達するだけならさほどの時間はかからないが軌道要素を一致させなければ補給はできない。そのため、三日ほど時間をかけることになった。
時間がかかるとはいえ、その間にやるべき事はいくらでもあった。
指導者となったレツオウは各地に向けて通信を送り、自分と金剛の健在をアピールしていた。あまりにも精力的なそのアピールに、リョウハは彼の野心の影を見た。この破滅した世界の中で物流を制御し成り上がる。
たとえそれで世界の王になろうとしているとしても、それが非軍事的手段で行われる限りリョウハには妨害する意思はない。人の間で王になってもあの亜光速の襲撃者が再びやって来たらおしまいだ、とは思うが。
リョウハ自身はトレーニングがてら船内の各所を移動して回った。「なわばりを確認する野生動物」と一部のものに揶揄されたが、まぁ間違った感想ではない。
それ以外の時間はこれから先は宇宙戦闘の機会が増えそうだと考え、各種宇宙船の操縦シミュレーターにこもっていた。トミノ式のコクピットが体に合わないという問題だけは彼の努力ではどうしようもなかったが。
カグラは要請された通り、乗組員の健康診断を実施した。
ヒカカ班長配下のドワーフの中には致死量の放射線を浴びていた者もいた。また、嘘から出たまことかフウケイ・グットードに酸欠からの障害が出ていたことが明らかになった。手持ちの機材による治療法を模索中だ。
また、カグラは将来の食糧自給に備えて、各種の設備を設計・注文していた。
引きこもりの人形姫ヒサメは健康診断の魔の手からいまだ逃れ続けている。
だが、ヒカカ班長達の手で金剛の主船体と工場区をつなぐ連絡通路が設置されたのでそれももうタイムリミットだろう。
連絡通路を最初に通るのはカグラ注文の各種資材だが、そのあとは引きこもりにも外出してもらわなければ困る。
一通りのトレーニングを終えたリョウハは与えられた部屋いっぱいに裁縫道具を広げていた。
もともとさほど広くない部屋に銃器保管用のロッカーを備え付けたのでさらに狭苦しい。指揮権限を持っている間に船長室を確保しておくべきだっただろうか?
迫りくる脅威から目をそらすためか、ヒサメが必要以上に明るく話しかけて来ていた。
「それでね、泊地の在庫目録を調べてみたらガスフライヤー用の自航式ヘリウムコンテナや単分子ワイヤー帷子装甲の予備パーツまであると分かったの」
「なるほど」
リョウハは生返事を返す。
裁縫と言っても針と糸だけではなく、宇宙用の接着剤まで使った奮闘だった。彼の手は器用に動くが、慣れた手つきとは言いがたい。
「あり物のパーツを組み合わせて金剛・改の強化案を考えていたら楽しくって楽しくって」
「ドック入りできるわけじゃ無いんだから、そんな物を考えても仕方ないだろう」
「別にドックなんか無くとも改装は出来るよ。工夫次第でいくらでも」
「金剛の戦闘能力の強化なら俺も欲しいが、まさか縮退砲の在庫なんか無いよな」
「あるわけない」
ダフネ補給泊地にあるのは民生品だけだ。
「で、リョウハは何をしているの?」
「見ての通り、制服の改造だ」
「そんな事をしても良いの?」
「軍服に見えるようにしようと思ってな。生活班に頼んでもやってくれないんだ。そんなお遊びは後にしろって」
「それはおばさん達が正しいと思う」
「政府や国家が崩壊しているような現状ではあまり意味がないかも知れないが、俺はまだ軍人のつもりだからな。軍人なら軍服がいる」
「まず形から入る、的な?」
「誤解している人が多いが、軍服は他の職業の制服とは違う。軍人には絶対に必要なアイテムだぞ」
「そうなの?」
「戦争法規についてあまり詳しく無くとも『非戦闘員に対する殺傷の禁止』ぐらいは知っているだろう? 『非戦闘員への殺傷を禁止』するためには『戦闘員と非戦闘員を明確に区別』できなければならない」
「言われてみれば当然の話ね。その区別をつけるのが軍服?」
「そうだ。他の職業なら制服を身に着けていなくとも多少の不便はあるだろうがその仕事ができる。だが、軍人の場合は軍服を着ていなければ一切の戦闘行動が出来ないんだ。軍服は自分にとっては敵を殺してもいいという許可証で、敵にとってはこいつは殺してもいい奴だという標的のあかしだ。ただの見てくれだけの問題じゃない」
「話は分かったけれど、おばさんたちはやっぱり正しいと思う。亜光速で飛ぶ敵がリョウハの軍服を見てくれるわけないもの」
戦争マニアは額を押さえ……反論できなかった。
女には男のロマンはわからないらしい。
「ま、俺の事はいい。問題はついに通路が開通した事だ。……何か違うな」
「その問題こそどうでもいい」
「そちらとこちらが行き来できないという問題が解消した、が正しい。こちらへ来るんだろう? 迎えに行った方が良いか?」
「……」
「工場区にもある程度の食糧の備蓄はあるかもしれないが、何年も持つレベルじゃないだろう? 美味しいものを食べようと思ったら保存食では限界があるし」
「……」
「引きこもりはそういつまでも続けていられないぞ」
リョウハは「命令する・される」ならともかく説得という行為は得意ではない。
言葉を続けられなくなり、彼は手仕事に戻った。黙々と軍服もどきの形状を整えていく。
それがかえって良かったのかも知れない。
声だけの少女はポツリポツリと話し始めた。
「ねぇ、知ってる? 私はね、別にここに引きこもった覚えはないんだよ」
リョウハは何か気の利いた答えを返そうとして、かろうじて思いとどまった。人生経験が致命的に不足している彼にだってわかる、今のヒサメは軽妙な会話を楽しみたいわけではないと。
軽くうなづくだけにとどめた。
「私の肉体はここから出た経験がない。ここへ来た時の記憶すらない。たぶん、未発達の脳では記憶をとどめていられなかったんだと思うけど、私は事実上ここで生まれたの。そしてずっとここで暮らしてきた。とても古い記憶では、私の前に人間が立っていることもあった。工場区が完成直後でまだ人が立ち入っていたのでしょうね。でも、彼らは居なくなった」
「そう、か」
「私が引きこもったわけじゃない。私の世界から人間が立ち去って行ったの」
「……」
「それで私が何か困ったわけじゃないよ。いろいろな世話は機械を通じてだけどちゃんとやってくれた。外の世界が見たければネットを通じてどこへでも行けた。でもね、私にできたのは外の世界を見ることだけ。外の世界に参加したことはないの。そんな私が今更、どんな顔をして外へ出ていけばいいの? 私は自分の肉体を満足に動かしたこともない。たぶん、リョウハの半分も動けないよ」
リョウハはようやく少しだけ笑えた。
「それは基準がおかしい。俺の半分も動けたら一般人から見たら化け物だ」
「そうなの?」
「まあ、今のでヒサメが本格的な運動をしたことがないのはよくわかったよ。外で活動する為の経験が不足しているという懸念も理解した。だが、それなら俺が護衛するって事では駄目か? 肉体的な危害なら俺が完全にシャットアウトする。社会的なアレコレなら俺も経験不足らしいが、悪くとも一緒に笑われてやるぐらいは出来る」
「……」
ヒサメは答えなかった。
本人は答えたつもりはなかっただろう。だが、彼女の所の鋭敏なマイクと強化人間の鋭敏な耳は口の中でだけでそっとつぶやかれた言葉も拾っていた。
(それは良いとして、あなた自身からは誰が護ってくれるの? ある意味、私が一番恐れているのはリョウハだと言うのに)
さしもの強化人間もこれには困った。
聞こえた事を伝えなければ返答もできない。第一、何と答えれば良いか分からない。
二人して押し黙ってしまう。
と、船内アナウンスが流れた。
15分後に軌道修正の為の1G加速を行うとの事。これは以前から通達されていたので、リョウハは「もうそんな時間か」と裁縫道具を片付け始めるだけだった。
一方、ヒサメ・ドールトは「加速……」と小さくつぶやいていた。
どことなく不自然なセリフ。
リョウハの頭が高速で回転、前にオタロッサの進路を予想したのと同じ直感的な判断が成立する。
「ヒサメ、正直に答えて欲しいんだが」
「な、何?」
「どこか、怪我をしていないか?」
「っ」
引きこもり少女が息をのむ。
これはもう、自白したのと同じことだ。
「3G加速終了後から様子がおかしいとは思っていたんだ。あの時からだな?」
リョウハはカグラ・モローへ通信をつないだ。
「急患だ」
「あら」
「患者はヒサメ・ドールト。急加速した時に負傷、それを今まで隠していたようだ。なるべく早くそちらへ搬送する。受け入れ準備してくれ」
「分かった、楽しみにしておく」
その時、船体を微細な振動が伝わってくるのが感じられた。
何事、と思う間に今度はリョウハの方がコールを受けた。ヒカカ班長からだ。
「大将、何があった?」
「こっちが聞きたい。そちらでは何があった?」
「ここは主船体と工場区をつないだ連絡通路だ。つい今しがた、シャッターが下りて閉鎖された」
「連絡通路にシャッター? 仮設通路をつないだのはあんたらだろう。どうしてそんな物がついているんだ?」
「俺らじゃないよ。通路そのものにはシャッターなんかついてない。軟質素材の通路の外から通路を切断する形でシャッターが降って来たんだ。空気の流出はすぐに止まったが、せっかくつないだ通路は完全に使用不能だ。どうしてくれる?」
「すまん。こちらで対応する。そのあたりで待機していてくれ」
「姫様と喧嘩でもしたのか?」
「そんな所だ」
ヒサメはあらかじめ、通路を閉鎖する手はずを整えていたようだ。
その用意周到さに呆れてしまう。
「これは宣戦布告と見なすぞ、ヒサメ」
絶対に医者にかからせてやる。




