2-0 眠れ眠れ
ブラウ惑星系の外縁部、第五整備宇宙基地の皆には宇宙を揺るがす超爆発と思えたものもそよ風としか感じられないところに一隻の宇宙船が浮いていた。
いや、宇宙船ではない。
これは艦だ。
戦闘艦だ。
外敵の侵略に対抗するという名目で造られ、脅威が現実のものとなったときには何の役にも立たなかった物。
そう簡単にはハッキングできない、好きに操ることが出来ないという事でリョウハたちによる防衛戦にも参加できなかった超兵器の搭載艦。
この艦には乗組員は一人しか乗っていなかった。
あるいはただの一人の人間も乗っていなかった。
この艦に乗っているのは記録上では艦長一人。
彼に名前はなかった。ただ、男爵とだけ呼ばれていた。
彼はジャック・ドゥと同じ長命者であり、ジャック・ドゥよりも長い時を生きていた。
当然ながら、彼の知性も精神もとうにすり減っていた。
永い永い時を生かされ続け、もはや植物のようにまわりの刺激に反応しなくなったただの肉の塊。それが艦長だった。
この艦は男爵の領地であり、人間としての彼の墓標だった。
長命者という王侯貴族に対する技術の粋と多大な資源を投じて造られたピラミッド、それがこの戦闘艦だ。世の中が平和であり続ける限り、この艦はただの墓所であり続けるはずだった。
眠れ男爵よ。
眠り続けよ。
だが、今まさに眠れる艦は身じろぎを始めていた。
それも最悪の形で。
ところで、宇宙における戦闘艦とはどのような形状であるのが正しいのだろうか?
水上を航行する船舶を模した形がナンセンスであるのは論を待たない。
確かに空気の抵抗はないのだからどんな形でもよい。実用性より芸術性を重視するのであれば大和型戦艦でも帆船でも女性型フィギュアが飛ぶのであっても何ら問題ではないが、戦闘用として誰もが納得する形はどのようなものだろうか?
どのような戦い方をするか、どのような技術レベルであるかでいくつかのパターンが考えられる。
四角張った形状であれば生産性や整備性が上がるだろう。
星間物質による抵抗まで考慮しなければならないほどの高速で移動したり、大気圏への突入を行うなら流線形である必要がある。
敵と砲撃戦を行うなら、体積に対して敵に向ける面積が少なくなる細長い形状が有利になる。
主船体とメインエンジンを分離させた形はダメージコントロールに優れると言える。「エンジンを切り離せ」が簡単にできるなら戦闘における生存率を向上させてくれるだろう。
そんな中、男爵の墓標が採用した形状は球体だった。
直径400メートルの球型艦。
この形状のメリットはいくつかある。まず、体積に対して表面積が小さいこと。その分だけ装甲を厚く出来るし、形としても強度が高い。
また、艦の重心位置から端部までの距離が短い事も重要だ。ガスフライヤーである金剛などは全幅がおよそ800メートル。これは水素やヘリウムの希薄な大気の中を飛行するために翼を大きくとった結果だが、この大きさで素早く向きを変えようと思ったら翼端にかかる遠心力が大きくなり過ぎる。ズングリムックリのスタイルは宇宙空間では高機動の証なのだ。
この艦は主兵装として反陽子砲を搭載していた。
メインエンジンの推進方向を北極として、艦の赤道部分を貫くように一門搭載。回転砲塔などは存在しない。強いて言うならこの艦全体が一つの砲塔だ。ジャイロによって艦全体の向きを変える事で照準を行う。
砲撃方向と艦の推進軸が直交している事で、敵から見て左右に機敏に動きながら砲撃を浴びせる事が出来る。
一惑星系の行政府としてブラウでは超光速航行能力を持つ戦闘艦を建造する事が出来なかった。それだけがこの艦の瑕疵と言える。
が、この艦がブラウ惑星系で最強の防衛戦力の一つである事は間違いなかった。守るべき物はもうほとんど残っていなかったが。
今、男爵の艦の主砲、反陽子砲の砲口カバーが動きだしていた。
眼球のような戦闘艦の真っ赤な瞳が開かれようとしている。
「うぅぅん、艦の起動には成功したか。でもさすがに軍用艦だよな。こちらからの完全なコントロールは無理か」
電脳空間でリョウハたちと戦ったのとは別のゴーストが自分の戦果を確かめていた。
「可能なのは行動の方向性に微細な変化を与えるだけ。思いっきり微妙な結果だ。役に立つか藪蛇になるか、どっちもあり得るのがなんとも……。とりあえず武力行使への閾値を下げて、人命は軽視させるっと。これであの宙域に直行させれば、うまくパーサカーになってくれるかな?」
場を混乱させるだけでもそれなりに価値はある、と前向きに考えてみる。
巻き込まれる人間たちにとってはとても物騒な話ではあるが。
巨大な眼球は内部のジャイロの操作でスムーズに旋回した。
年に一度のメンテナンスの時以外ほとんど動くことのなかった、ほぼモスポール状態だった最強の戦闘艦が今、目覚めた。
待機していた軌道を離れ、ブラウ惑星系の内側へ向かう。
武力行使への閾値が下がった無慈悲な正義の刃がどこかへ振り下ろされる。




