1-16 旅の始まり
「メインロケット始動。金剛・改、発進する」
リョウハ・ウォーガード中尉は命令した。
それに従ってギム・ブラデストがコンソールを操作、ヒサメ・ドールトが補助を行う。
船体を伝わってかすかな振動がやって来る。
背中がシートに押し付けられる。最初は弱く、次第に強く。宇宙ステーション標準の0.3Gなど比較にもならないほどの力で押し付けられる。
ほとんど同時に第五整備宇宙基地に異変が起こる。
基地の核融合炉がついに崩壊したようだ。プラズマジェットが噴出、なんの偶然かそれは基地の居住ブロックを切り裂いた。重力を発生させていたリングが歪み、バラバラになって飛び散っていく。
大丈夫、こちらへの影響はない。
リョウハはプラズマジェットがこちらに向いていないことを確認する。飛び散る破片については気にする必要はない。金剛・改のスピードの方が破片よりも速い。
だが、発光信号を送っていた者の生死はこれで確定した。悪い方へ。
避難者と基地の人員名簿を付き合わせればあれが誰かわかるだろうか?
「メインロケットの推力、経済巡航加速に到達です。もっと加速しますか?」
黒豹の声に苦しそうな様子はない。スピーカーからの発声なので当然だ。
リョウハは計器類をチェックしてこちらも平然と答えた。今の加速は3Gぐらいだ。強化人間の体力にとって問題になるような数値ではない。
「いや、このままでいい。船体の底面はまだ余裕がある。推進剤の方が少し心配だ」
「このクラスの船にしてはタンクの容量がもともと少ない様ですからな。空力を重視した所為でしょうか?」
「燃料は自力調達が基本なのがガスフライヤーだ。備蓄は最低限でよいという設計だろう。それに、本来ならこの船の背中には自力航宙可能なヘリウムタンクが並んでいる。採取したヘリウムを軌道上にための物がな」
その時、視界の隅を何かが動いた。
ネズミぐらいの大きさの何か。言うまでもなく先刻までのこの部屋の環境は普通の生物の生存を許すものではなかった。ネズミの類ではありえない。
また別の敵の出現か?
リョウハは緊張するがさしもの彼も3Gの重力下では素早く動くのは無理だ。後手を踏まざるを得ない。
その何かが人の声を発した。妙に神経に触る軽薄そうな声だった。
「この言葉を君たちが聞いているという事は、僕はもうこの世には居ないんだろうね。少なくともその船には居ない。ま、僕の本体はもともと別のところにいるけれど」
どこかで聞いたような声だと思う。それも、つい最近だ。
「行きがけの駄賃に君たちの命をもらおうと思っていたのだけれど、そう簡単にはいかないか。さすがだね、リョウハ・ウォーガード君、ヒサメ・ドールトちゃん」
「俺たちを知っている。いや、俺たちを狙っただと?」
その事で多少混乱する。
が、この声は知っている。この声はあの亜光速物体が人類に宣戦を布告した時の声だ。
「うんうん、質問は受け付けてない。訳でもないか。でも、この声は簡単な受け答えしかできないからそのつもりでね。真実を知っている保証もないし」
「答えてくれるつもりがあるのなら尋ねておこう。お前は何者だ? この船の中枢を乗っ取っていたのはお前で間違いないのだな?」
「僕はヒサメちゃんにはゴーストと名乗ったんだけど、名前はそれでいいかな? それとこの船の中に居たのは確かに僕だよ」
「姓名はわかった。所属と階級を聞こうか」
「君たちとは文化形態が違うからその質問は難しい。君たちにわかりやすく言うと、所属は神様。階級は勇者だね」
わざと韜晦しているのかと思う。少なくともわかりやすくはない。
しかし、この表現に一抹の真実が含まれているとしたら?
「察するところ、お前の上には絶対者が君臨しているという事か?」
「違うよ。絶対者ではなく超越者。別に僕が神様に絶対服従している訳じゃない。ただ、神様なら僕らには絶対に叶えられない望みを現実にできるだけ。あくまでギブアンドテイクさ」
「報酬をもらって勇者業か?」
「そうだよ」
「そもそも、お前のどこら辺が勇者なんだ? ただの侵略者にしか見えないが。地球を爆破したのもお前だろう」
「うぅぅん。それは別の勇者だね」
金剛・改の3G加速が不規則に増減した。
操縦席のギム・ブラデストが動揺しているらしい。
「僕たちが勇者なのはね、邪悪な種族が我欲のみで宇宙を好き勝手に壊すのを神様の依頼で止めに来たからだよ」
「邪悪な種族とは俺たちの事か?」
「そうだよ」
「一つ疑問なんだが、生まれながらに邪悪な種族って、自分たちが邪悪だと認識できるものなのか?」
「確かに無理かもしれないね。これは僕が悪かった。君たちが君たちであることは君の責任じゃないもんね。勇者にとって邪悪な魔族は単純に駆除の対象だった」
「そして俺は武力侵攻をかけてきた相手には交戦以外の対処を知らない」
ここに一種の相互理解が成立した。勇者と魔族の関係性としては完全に正しい。
グルルと黒豹がうなり声をあげた。
「中尉! そいつが何者か知りませんが、交戦中の相手とせっかく対話が成立しているのに、敵対関係の継続を合意しあってどうしますか!」
「俺は軍人で外交官じゃない」
「姫様も何か言ってやって下さい」
「……」
「ヒサメなら、Gに潰されてると思うぞ」
ひきこもりが3倍の重力に耐えられるとでも?
ゴーストと名乗った声は笑い出した。
「黒豹さんが一番文明的なのは良くわかったよ。でもね、ここに居る僕と交渉しても意味はないんだよ。ここに居るのは本体の一部、それも本体から切り離された一部でしかないからね。ここに居る僕の存在意義は一つだけ、君たちの今後に関する予言さ」
「聞こう」
「君たちがここで死んでくれれば良かった。でも、たぶんそうならない事も本体はわかっていた。過去と未来は確定しつつ揺れ動いているから。君たちはこれから旅にでる。長くて辛い旅にね。そして君たちは最終的には勝つことは出来ない。君たちがどんなに勝ち進もうと、こちらには神様がついているからね。まずい状況になったら盤をひっくり返す反則技が使える。早々に諦める事をお勧めするよ」
「それだけか?」
「僕が持っている情報には所々欠落があるけど、だいたいこんな感じだったね」
「お前に返答しても意味はないのかもしれないが、一応答えておこう。……おととい来やがれ」
相手が本当に過去に飛んだ事を察するのは大分先の事になる。
「どうせいつか死ぬから今を生きるのを諦めるなど、生物としてあり得ない。当方としては、そちらにすべての情報を開示しての降伏か、人類の版図からの撤退を勧告する。この勧告に従わないのなら、たとえ神であれ俺の全力を持って撃破する」
「神様を撃破するだって? 不可能だよ」
「ただの白兵戦用強化人間に過ぎない俺が亜光速で移動する物体を迎撃することも不可能だった。伝える方法があるならその神とやらに言っておけ。首を洗って待ってろ、とな」
「神様はここでの会話も聞いているよ。君なんか相手にもされないだろうけどね」
「神は遍在する、という事か」
リョウハ・ウォーガードはうっすらと嗤った。
心の底から嬉しそうな嗤い。ただし、見る者の心に隙間風を吹かせるような、そんな不気味な嗤いだった。
「その神が敵。そうか、俺の戦場はここにあったか」
ゴーストと名乗った存在は気圧されたように後ずさる。
よく見るとそれは生き物とも機械ともつかない昆虫のような何かだった。
それ単体の戦闘能力は高くなさそうだが、こんなものを野放しにする必要もない。
リョウハは手元に残る飛び道具、小さな信号ピストルに手をかけた。
ゴーストは脱兎のごとく、いや某Gのごとく逃げ出す。
「あ」
ゴーストは間の抜けた声をあげた。
リョウハのみに注意を向けて、それ以外への警戒を怠った。彼が逃げる道筋に待ち構えていた者がいた。
鋭い鎌がGもどきを貫いた。
最後の戦闘生物は串刺しにしたGをムシャムシャモグモグした。虫の処分方法としては正しい、かも知れない。
そちらは片が付いたと見極めて、リョウハは加速度に身をゆだねる。陽子の大津波に変色した宇宙を見つめる。
生き残りをかけて神に挑む、長い旅路が始まっていた。
名称 金剛・改
種別 ガスフライヤー
全長 512メートル
全幅 736メートル
主動力 核融合
宇宙空間用プラズマロケット2
ガス惑星用資源採取機能付き熱核ジェット4
武装 破壊探査用ミサイルランチャー2 残弾6
乗員 船長代理 リョウハ・ウォーガード(無資格)
操縦士代行 ギム・ブラデスト(無資格)
中枢システム代替 ヒサメ・ドールト
船医 カグラ・モロー
航海士(療養中) フウケイ・グットード
他、避難民 ヒカカ・ジャレン他 46名
排除完了(?) オタロッサ・ゴースト
第五整備宇宙基地から緊急発進した時のステータス。
整備の途中だったので消耗品の補充は完了していない。また、正規の乗組員の大半も休暇を取ってブロ・コロニーや他星系へ帰省している。
長距離移動用の増槽など正規のオプション装備は皆無。代わりにヒサメ・ドールト得意の無人工場が背中にへばりついている。この工場区は非装甲どころか空力カウルすら備えていないので現状での大気圏突入には不安が残る。
指揮系統を含めた乗員の再編成と推進剤の確保が今後の課題。
もっとも、リョウハにとってはこの船は新しい遊び場だしヒサメにとっては模様替えした引きこもり先、どちらも自重はしないと思われる。




