1-15 出港します
第一管制室内の気圧や酸素濃度はすでに正常に戻っていた。
青鬼モードでの活動はとてもとても腹が減る。
リョウハはヘルメットを外せるようになると壁際にある軽食用のサーバーに突撃し、重力下でなければ使えない仕様になっているのを知って絶望した。今は緊急用の栄養キューブが蓄えられていたのを見つけ出してほおばっている。
ギム・ブラデストは人間用の座席に器用につかまり、無重力を活かしたお行儀の悪い姿勢でタッチパネルを操作している。
彼はヒサメ主演の宇宙ショーをながめ、呆れ果てたと翼を広げて見せた。
「まさか、このような方法で宇宙を渡るとは、あなたの姫君は大したものですな」
彼らブラデストの一族はなぜか人語を話すための声帯を持っていない。代わりに携帯する小さなスピーカーから声を出した。彼らには電磁気力を操る能力があるので原始的なスピーカーが一つあれば発声に苦労はない。モロー一族がそんな面倒な仕様にした理由は謎だが。
別に俺の姫君ではない、とリョウハは事実に基づいて訂正しようとしたが、その誤解が広まった方が戦略上有利だと判断して思いとどまる。
今回は落ち着いてキューブを飲み込み、お茶のチューブで流し込んだ。
「まったく、毎度ながら突拍子もない事をしてくれる。どうやら動力や情報系の接続もはじめたみたいだし、宇宙船との合体って、こんなに簡単に出来る物なのか?」
「……ガスフライヤーと整備基地は同時に設計された物ですから、ある程度は規格の統一が図られているはずです。下地はあったのでしょう。ところで中尉、『お前が言うな』とか言われたことはありませんか?」
「最近はあまり聞かないな」
「納得しました」
会話の内容を理解しているのかどうか、ついてきていた生物兵器がキュイキュイと鳴き声をあげる。
こちらも発声機能は無いようだ。知能は、犬ぐらいはあるのだろうか?
話している間にメインスクリーンに赤い表示が出る。警報音とともに赤文字が躍る。
情報汚染発生。
すわ、緊急事態と勢い込み、一瞬だけで真相を察して肩の力を抜く。
「犯人はヒサメだな」
「姫君でしょう」
キューイキュイ。と、鳴き声も続いた。
「工場区とガスフライヤーの接続作業終了。ガスフライヤー5号機『金剛』の全システム掌握。いい感じ」
外部からの通信ではなく、内部の放送システムによる声が届いた。
誰の声かは言うまでもない。
「楽しそうだな」
「金剛の中枢システムは私の方で肩代わりする。空力飛行の制御とか、早くやってみたい」
「当分は大気圏突入の可能性はないぞ。あの大爆発でかき乱された星に降りるなんて、普通に自殺行為だ。年単位どころか、世紀単位で突入不可能じゃないのか?」
リョウハはメインスクリーンにガスフライヤーの現在の姿を呼び出した。
ガスフライヤーは全長512メートル、全幅736メートルの超大型宇宙往還機だ。揚力として使いづらい水素やヘリウムの大気の中で飛びつづけるために翼は大きく張り出し、全体に平べったい形状をしている。合計四つあるエアインテークは推進剤となる水素を取り込むだけでなく、大気からヘリウムを分離して採取する機能も担っている。
現在はその平べったい背中に宇宙基地の工場区だったものがチョコンとへばりついている。こちらも全長100メートル程度はあるはずなのだが全体の中ではとても小さく見える。
「加えて工場区は非装甲区画だ。過大な衝撃を受けたら破損したり振り落とされる心配もある。今これからも含めてな。ヒサメ、接続部分の強度の再チェックを」
「了解、問題なし。現在、メインロケットの立ち上げ作業を継続中。使用可能まで、あと1分39秒。それから、基地の側で動力炉の異常を確認。重大事故に発展する可能性あり」
「そっちが先に逝かれたか」
第五整備宇宙基地の主動力源は核融合だ。潤沢に使えるヘリウムを燃料にしている。
壊れたからと言って大爆発を起こすようなものではないが、磁場の封じ込めを逃れたプラズマがどちらへ噴出するかは予測不能だ。なるべくなら距離を取っておきたい。
「可能な限り速やかに基地から離れる。そのまま現宙域を離脱するぞ。ヒカカ班長、避難状況は?」
「班長達はすでに船内に退避、外部用の無線は届かない」
「了解した。カグラ・モロー博士、そちらはどうなっている? 乗客たちはまだコンテナの中か?」
「居心地は良くないはずだから到着後すぐにコンテナは開いたわ。今は与圧区画を求めて移動中、かな。私はもうしばらくこのコクピットにいるつもり」
「そうしてくれ。……ヒサメ、悪いが彼らに速やかに身体を固定するように警告してくれ。俺がやろうとしてもどうもうまくいかない」
「リョウハはここのサブシステムに嫌われてるみたいだから」
「俺が中枢をぶっ壊したからか?」
別系統からの通信がつながる。第二管制室からだ。サブスクリーンの一つにちょっと頼りなさげな顔が映った。
「そんなはずないでしょう。あなたが権限もないのにポンポン命令を発しているからですよ。この船の管理権限は正式には私にあります」
「二等航海士、意識が戻ったか」
「オートの心肺蘇生処置がうまく働いてくれました。救命バルーンにはあなたが?」
「それ以上の事をやっている時間はなかった」
「感謝します。ですがこの場の指揮権は私にあります」
「フウケイ・グットード二等航海士殿には意識の混濁が見られるようだ。酸素欠乏により脳の機能に障害が発生している可能性もある。職務に復帰する前に医師の診断書を提出するように」
二人はスクリーン越しに睨みあった。
先に目をそらしたのはフウケイだ。
「分かりました。確かに私の体調は完全ではありません。今から24時間の間、指揮権限をリョウハ・ウォーガード中尉に委譲します。ですが、この船に医師は存在するのですか?」
「カグラ・モロー博士が資格を持っているはずだ」
「了解しました。モロー博士、早めに診断をお願いします」
「カグラと呼んでちょうだい」
権力争いの間にヒサメの船内放送が流れていた。
脅迫交じりの内容だった気がするが、大きな問題ではないとスルーする。
ギム・ブラデストが出港に向けて整備ブロックを遠隔操作する。
係留用や作業用のアームが大きく開く。動作不良で途中で止まってしまったアームもあるが、出港の妨げになる程ではない。
リョウハは船長席に身体を固定した。黒い破壊者もシートをしっかりとつかみ直す。
船内放送のボタンを押す。今回はキチンと作動した。
「こちらはリョウハ・ウォーガード中尉だ。今しがたこの船の指揮権を正式に委譲された。本船は間も無く、カウントダウンを省略して緊急発進する。すべての人員は早急に身体を固定せよ。なお、わかっているとは思うが、加速による重力が発生する方向は床ではない。この船の推力方向である前方から後方へ向かって、床と平行に重力が発生する。床に寝そべって対策完了などと思うな。死ぬぞ」
ヒサメが船内の各部を調整する。
管制室内で船内環境の数値が踊っていた。
「モード切り替え。停泊・整備モードから宇宙空間航行モードへ」
正面のメインスクリーンに今はあまり使われなくなった古い文字で『金剛』と大写しされる。
派手好きな船だと思ったらその上から『改』の文字が重なる。
「工場区がドッキングしているし中枢システムが入れ替わっている。この船はもう『金剛』じゃない。『金剛・改』」
「あまり私物化しないようにな。……ギム殿、微速前進だ。停止したアームと干渉しない位置まで前進。そのあと、90度回頭する」
「了解した、中尉」
一瞬だけ加速がかかる。
「ところでリョウハ」
「何だ?」
「リョウハって、大型船舶の船長資格って持ってたっけ?」
「シミュレーションを二度やった」
「つまり無免許ね」
「まったくの素人よりは確実ですな」
「非常時だからお目こぼししてもらおう。そう言うギム殿はどうなんだ?」
「私もさすがに大型宇宙往還機の免許は持っておりせんな。何、大気圏突入さえしなければ大丈夫でしょう」
第二管制室で酸素欠乏症にかかった男が何かわめいているようだが、三人は無視した。
金剛・改はゆっくりと移動した。本当はさほど遅い訳ではないのだが、全長500メートルの巨体と比較するととても遅く感じられる。
「そろそろ回頭できます。中尉、この後の進路は?」
「あっちの方だ」
宇宙の彼方を指さす。
「推力軸を宇宙基地の公転方向に向ける。この基地と惑星ブラウから離れるのが先決だ」
「放射線の影響は距離の二乗に反比例しますからな。妥当な線でしょう」
「回頭したら船体をロールさせて底面をブラウに向けるように。大気圏突入に用いる底が一番丈夫だ」
「背中の姫様を放射線にさらす訳にはいきませんしね」
「そうだ。あそこは非装甲区画だ。少なくとも記録ではそうなっている」
先ほどの変形を見た後では公式記録通りの構造をしているかどうか疑問だが。
船体が回転する横方向のGがかかる。生物兵器が空いているシートに鎌で器用にしがみついた。シートが傷むが、それは仕方ないと諦める。
そのさなか、ヒサメからの報告が来る。
「宇宙基地から発光信号を確認」
「逃げ遅れたやつがいたのか?」
破傘と化した遮蔽ブロックがみえる。その手前に回転するリングの居住ブロックがある。
そこにリズムを刻んで点滅する光があった。
「どうしますか、中尉?」
「今から戻ることはできない。この船全体が危険にさらされる。トミノ式あたりで向かっても、遮蔽ブロックの穴が拡大している以上、たどり着けるかどうか確信が持てない。そうまでして救助しても、相手はすでに致死量の放射線を浴びているかも知れない」
「では、見捨てますか」
「もう一つ付け加えよう。あの発光信号はSOSじゃない。あの信号の意味は『航海の無事を祈る』だ」
「!」
通信の向こうでヒサメが息をのむ気配があった。
リョウハは居ずまいを正し、発光信号に向かって敬礼を送った。
そして、黒豹は吠えた。
スピーカーから出てくる人の声ではなく、自前の声帯から出る獣の声。
それはとても哀しい叫びだった。




