1-11 脱出ルートに待つものは
この基地はもう駄目だ。脱出の手はずを整えなければ。
しかしどこへ逃げればいい?
準人型も救命ポットも貨物宇宙艇も陽子の大津波に耐えられる気がしない。
選択肢は最初から一つしかなかった。
整備ブロックに停泊中のガスフライヤー、こいつはブラウの大気圏に突入する能力を持った船だ。その頑丈さは宇宙空間専用の船舶の比ではない。特に大気圏突入に使われる底面は、単分子ワイヤーを編み上げた鎖帷子構造だ。通常の物質でこれに勝る強度の物は存在しない。この船に逃げ込んでもだめなら人類の技術ではこの状況から生き残ることはできないという事だ。
「フウケイ・グットード二等航海士、聞こえているか? 貴君の現在位置を知らせてくれ」
『はい、ガスフライヤー金剛の第二管制室です』
「それはよかった。ガスフライヤーの主機を起動。第五整備宇宙基地のクルーの収容準備を始めてくれ。そこが一番安全だ」
『基地の人間を金剛に収容するのですか? 私は無関係の人間をこの船に近づけないためにここにいるのですが』
「それはガスフライヤーの責任者としての正式な回答かな?」
『あ、いえ、そんな』
「よく考えてから回答した方がよい。不幸な事故が起こって責任者が不在になってからでは遅い」
『……了解しました。人道的な見地から避難民の収容を行います』
「それでいい」
リョウハは基地の全域に向けて放送を手配する。
一度非常事態を宣言してしまえばヒサメのハッキングより彼の正規ルートの方が出来る事は多いのだ。
「駐在武官リョウハ・ウォーガード中尉より基地内の全人員に通達する。本基地は惑星ブラウで発生した異常現象により崩壊の危機にさらされている。繰り返す。本基地は崩壊の危機にさらされている」
情報が人々の頭に浸透するのを待つため、いったん間を置く。
「周辺空間の状態が悪いため救命ポットの使用も困難だ。よって避難には現在整備ブロックに停泊中のガスフライヤー金剛を使用する。総員、宇宙服を着用の上、整備ブロックの貨物用ハッチへ集合せよ。繰り返す、整備ブロックの貨物用ハッチへ集合せよ。……ヒカカ班長、外部作業になれない者もいる。人員の移送をお願いします」
「なれないと言ったって、この基地にまったくのど素人は居ないだろう。ガスフライヤーまでワイヤーを張っておくからそれを伝わって来させればいい」
「それで構いません。お願いします」
完全など素人が一人だけいるような気がする。避難訓練にも全く出てこない引きこもりが一人。
迎えに行った方がよいだろうか?
ちょうどのタイミングで通信が入る。
笑ってしまいそうなぐらい切羽詰まった声だ。訓練ぐらい出てこないからそういう目に会うのだと思う。殻か何かに入れられていて自力移動が不可能なら仕方がないが。
『リョウハ、助けがいる!』
「ヒサメか。任せろ」
間髪を入れずに答える。頼りになりそうな力強い声をつくった。
頭の中では彼女の自力移動が可能な場合、不可能な場合に分けて数パターンの救出プランを立てている。
そのプランは次の一瞬で吹き飛ばされた。
『ガスフライヤーの情報処理システムを破壊して』
「え?」
一瞬、フリーズしてしまう。
だが、意味のある事なのだろうと判断。それを可能にする規則上の理由を検索する。そんな物はあるはずがない。が、唯一「階級」なら根拠にできる、と思いつく。
ヒサメは軍属で大尉待遇だ。中尉のリョウハから見れば戦闘行為以外でなら上官にあたる。
「了解した。ヒサメ・ドールト技官、後で詳細な説明を求める」
了解しないでください! と、どこかで悲鳴が上がっていたが黙殺する。
トミノ式を旋回させる。自分で壊すより早くて穏当な行動を思いつく。
「二等航海士、ガスフライヤーの中枢システムをシャットダウンしろ」
「できませんよ。主機の立ち上げを始めたところです。あなたの指示でね」
「動力系はそれ単体でも活動が可能なはずだ」
「それはそうですが、そんなのは非常時限定です。だいたい、何だって金剛を壊さなきゃいけないんですか?」
それもそうだ。
バーニアを吹かしつつ、通信機を操作する。
「ヒサメ・ドールト技官、改めて詳細な説明を求める」
返事がない。
「ただの悪戯?」
「違うな。ヒサメの悪戯ならこんな中途半端なやり方はしない。アイツが一瞬しか通信をつなげられないほどの事態。半端じゃない」
「そんな」
「ガハハハ、覚悟を決めな、若造。姫さんの焦った声なんか、俺もはじめて聞いたぜ。気合を入れてぶっ壊すんだな」
「出来ませんよ!」
リョウハは第五整備宇宙基地の駐在武官だ。相手がガスフライヤーの中にとどまっている限り、フウケイ・グットードに対する命令権はない。
説得は諦める。
ガスフライヤーの背中の大きく開いた貨物ハッチに飛びこむ。
ここから先は生身の勝負。トミノ式のハッチを開ける。シートの固定を解除する。
そこで何かを感じた。彼には殺気などというものを感じる超感覚的な能力などない。多分、機体を伝わってくる振動か何かで異変を感じたのだと思う。
リョウハはコクピットから勢いよく飛び出した。
その頭の上を何かが通りすぎる。
それは貨物運搬用のロボットアームだった。けっして素早いとは言えないがパワーだけは十分なそれが頭上から降ってくる。準人型のボディがグシャリとひしゃげた。内部のジャイロリングが急停止し、その運動エネルギーを吐きだす。トミノ式の残骸はコマネズミのように回転してあちこちに衝突、最後には宇宙の彼方に消えていった。
リョウハの銃と機動ユニットを載せたままだ。
『オイオイ、今いったい何がおきた? コラ、若造! テメェ、何をしやがった⁈』
通信機の向こうでヒカカ班長が怒鳴っている。
『何もしていませんよ』
『じゃあ何か? お前の船は自分が壊されるのを嫌がって、自己判断でリョウハを攻撃したとでも言うつもりか?』
『金剛はただの船です。そんな自我なんて持っていません』
「それが答えだな」
戦闘用強化人間はロボットアームを避けてあちこちに設けられた手すりづたいに移動していた。機動ユニットを失ったので何もない空間に投げ出されたら致命的だ。その状態で彼は冷静に状況を分析する。
「この船の中枢はとっくの昔に何者かに乗っ取られていたのだろう。ヒサメはそれを知って応戦中。で、形勢不利ってところだ」
『外の、ブラウの異変と何か関係があるんでしょうか?』
「それはない。と、ほぼ断言できるはずなんだが、タイミングが合いすぎているな。不明と言っておこう」
ロボットアームの旋回半径の外へ出る。作業効率を考えて床にそう表示してあるのでわかりやすい。ここから先は物資移送用中央通路だ。与圧も可能なはずだが今は真空中に開放されている。
平らな床がある。というのが普通の宇宙船や宇宙基地との大きな違いだ。今は無重力だが、この船は本来はガス惑星の大気中を飛び続けるための物だ。その状態だとほぼ1G相当の重力を常時うける事になる。結果、船の構造も惑星上の船や航空機に近いものになる。
『大将、クルーの避難の方はどうする? ロボットアームをかいくぐって船内に入るなんて俺らには無理だぜ』
「いつでも入ってこれるように人を集めておいてくれ。中枢システムを停止させたら中に入れよう。最悪、船殻さえ無事なら避難場所としては利用できる」
『オーケーだ。おい、若造。船が勝手に動いてるんだ。壊すのは嫌とか、もう言わないよなぁ』
『……』
『おい、どうした、若造! 返事をしろ!』
沈黙のみが返ってくる。
リョウハは少し考えた。
「班長、そこから船内環境をモニターできるか?」
『やってみる。……ヤベェ。炭酸ガス消火設備の作動を確認』
「フウケイ・グットードは非強化体か?」
『細かい血筋までは知らないが、外見は完全に自然発生人だったな』
自然発生人にとって酸欠空気は真空以上に致命的だ。
呼吸によって血液と酸欠空気の間でガス交換が行われ、一気に酸素不足におちいる。そして一度酸素不足になれば反射動作でもう一度深呼吸をしてしまう。この動きは酸欠が大脳に伝わる前に起こるのでどんなに精神力があろうと抑制することは不可能だ。
人間の脳は高性能な分だけ酸素の消費量も多い。酸欠空気の中で昏倒したらその後の経緯は明らかだろう。
「即時の救助が必要だが、ちょっと難しいな」
通路の側面の壁が開いて腕を生やした四角い箱のような物が出てきた。ここが物資搬送用の通路である以上、フォークリフトの役割を果たすものがあるのは当たり前だろう。無人のまま動けるかどうかは知らなかったが。
それも、1台では無かった。前から2台、後ろにも2台。計4台の搬送機械にはさまれる。
リョウハは手近にあった非常扉を殴って、中から非常用の振動アックスを取り出した。これと殺傷力の低い信号ピストル、戦闘用強化人間としての能力が彼の武器だ。
『お取り込み中悪いが、ヤバイ話の追加だ。ガスフライヤーのメインロケットがアイドリングをはじめた。係留アームで繋いではいるが、全力噴射されたら多分へし折られる。……ちょっと行って外から止めてみらぁ』
「無理はするな」
『ああ、大将もな』
日頃、強敵に恵まれていなかった戦闘用強化人間はここでうっすらと微笑んだ。
「俺は少しだけ無理をする」




