1-10 電脳世界にて
ヒサメ・ドールトは電脳空間に漂っていた。これはいつもの事だ。
リョウハにすら素顔を見せたことがない彼女だが、実は彼女自身、長らく鏡を見ていない。自分の肉体にさほど興味を持っていなかった。どうせ世話焼きの人工知能が最低限の見た目と健康を維持してくれる。
彼女は今、途方に暮れていた。
どうやら自分がかなり動揺していた様だと認識する。
ブロ・コロニー消滅の危険に対して何か出来る事がないかと勢いこんでみたが、亜光速で飛んでいく物体の後ろから光速で伝わる電波を発信したところでそうそう追いつけるはずがない。そして、超光速通信の設備は第五整備宇宙基地にはなかった。
亜光速物体が惑星系に侵入したあたりで反応して逃げ出した者がいない限りダメって事ね。
万人単位の人口が暮らす都市として活発な情報発信を行っていたブロ・コロニー。面積的には億人クラスの人口も支えられる規模だったが、辺境の星という事でそこまで発展していなかった。それを幸いと言ってよいものかどうか。
電脳空間上ではそこにポッカリと暗い穴が空いていた。周囲がそこにまだ何かがあるとして情報を流し込むがそこからはどんな反応も帰ってこない、そんな穴だ。
生き残りは居ないこともない。
脱出ポットはいくつか生きている。
ただしこれは「脱出ポットが生きている」だけで、中に人間がいるかどうかは不明だ。無人のまま破壊されたコロニーから切り離された物も多そうだ。また、内部に人間が避難待機していたとしても、亜光速弾着弾の瞬間にコロニーとつながっていたら衝撃波で即死している可能性が高い。
驚いたことに完全な形で生存している部分もあった。
ブロ・コロニーの宇宙港ブロックのうち二つのパーツが難を逃れていた。ここには内部に人間もいるようだ。直前に危険を悟ってコロニー本体から分離、亜光速の破片の間をすり抜けて生存、というところだろうか?
(宇宙港ブロックについては私が気にする必要はないわね)
あれだけの大きさがあればむしろブラウ惑星系全体の政府機能を代行してほしいぐらいだ。単なる民間人の助けが必要ではむしろ困る。
周辺の生存者を探すがひどくやり難い。
ブロとここでは光速度によるタイムラグがある。遠距離のハッキング用にブロ・コロニー内部に乗っ取りを成功させたシステムを残してあったのだが、そちらは完全に破壊されたようだ。
唐突に電波通信が不可能になった。
何が起きたのかと疑問に思い、システムをチェックする。こちらの通信設備には異常は見当たらない。
見覚えのある馬鹿女が乗った宇宙艇がいつの間にか入港しているのも発見したが、そちらは無視する。アレにはどうせ大したことは出来はしない。リョウハの遊び相手が務まるかどうかも怪しいぐらいだ。
それよりもずっと重要な問題があった。
意識的にシステムを点検しなければ気づけないような異常。とても異常な異常。ヒサメは自分がハッキングを仕掛けることは多いが、その逆はあまり経験がない。
「私のシステムに侵入しようなんて、良い度胸じゃない」
謎の侵入者が第五整備宇宙基地の基幹システムに入り込もうとしているのであれば、ここまで驚きはしないし怒りもしなかった。
が、その何者かはヒサメの城である工場区に狙いを絞って入り込んできていた。
侵入者はめったに見ないぐらい手際のよい相手だ。他に気を取られていたとはいえ、システムの一部に侵入を許すまで気づかなかった。
とりあえず入り込まれた部分を撒き餌にする。
その部分を一見そうと分からないように他の部分との接触を断った。相手の動きの癖を見ようとしたのだが、侵入者は戸惑ったように動きを止めた。
外部から隔離されたことに気付いたとしたらかなりの使い手だ。
ヒサメ自身、同じことをされたら一瞬で気づける自信などない。
音声ファイルによる接触があった。
「やあ、ヒサメ・ドールト技官。ちょっと頼みがあるんだけど、いいかな?」
「誰?」
「僕は誰なんだろうね。ゴーストとでも名乗っておこうか」
「ただの残影にすぎない者が何のよう?」
「残影って、僕の扱いがちょっと軽すぎない? もっとこう、オカルト的な幽霊を連想してくれたりはしないの?」
「しない。肉体の死後に電脳空間上に本人の意識だと主張する情報体が残留する事は過去にも事例がある。魂の存在を仮定する必要はない」
「よく調べれば魂を仮定しなければ説明できない事件もいくつかあるんだけどね。前宇宙時代に死んだと主張する人間の意識が出現したとか」
「例外的な事象はそれ単体で議論すべきもの。再現性が無ければ法則として一般化はできない」
「君の知性と洞察力についてはよく分かったよ」
会話が途切れた合間に宇宙基地のリアルの状況をチラ見する。
興奮した生物兵器が暴れ出している。それを演出したのは会話相手の自称ゴーストであるらしい。ガスフライヤーの留守番役が警備部への通報に手間取っていたのでそこだけチョコっと手助けしてやる。
「それだけでいいのかい?」
「ん、十分以上」
「それもそうか」
「そちらの要求は別に言わなくてもいい。今すぐ退去してくれるなら」
「そういわずに聞いてよ。実はね、君のシステムの一部に間借りさせてほしいんだ。君のシステムがこの辺りでは一番高度な作りになっているようだからね。……厳密にいうととっても良くできたネットワークの一部らしいものが近くにあるけど、アレは実力を発揮しきれてないしね。それにアレは場所が悪い。もう間もなく壊れてしまう」
「何のためか、聞いていい?」
「君たちを救うため、と言ったら信じる?」
「信じない。無条件の善意を向けてくる相手は、何か別の下心があると疑う」
「では、悪意の部分だけ話そう。僕はブロ・コロニーの生き残りの部分を破壊したい。君にもそれへの協力を要請する」
「あなたは嘘つきだ。善意を主張する部分と悪意を語る部分が一致しない。どちらか一方、あるいは両方が嘘であると考えられる」
「その齟齬に関しては『君たち』という言葉の範囲によって合理的に説明がつくぞ。でも、まあ、今は善意の方が嘘であると考えてもらっていい。あらためて君に協力を要請したい。ブロ・コロニーの残りの破壊、君にとっても悪い話では無いはずだ。君は人間が嫌いだろう? 引きこもりの人形姫」
ヒサメはあえて何も答えなかった。黙って時間だけを経過させる。
その間に凶悪な攻勢プログラムをいくつか用意した。
「親に愛されなかった子供、人間との触れ合いが枯渇した子供が人を憎むようになる。実によくある話だ。君は他者との肉体的な接触を極度に恐れている。一般に親しいとされている相手にすら、生身で会うどころか素顔を見せることすらしていない。そして『人形姫』などと呼ばれる機械との親和性。君の人格はかなり破たんしているよね」
「余計なお世話」
「君は人間が嫌いだ。だから地球が破壊されても動揺を見せなかった。そのほかの主要星系の被害を聞いて、兆人単位の死亡者数を知ってもなんとも思わなかった。自分のテリトリーであるブラウ惑星系だけはゲーム感覚で防衛を試みたみたいだけどね」
「別に私は自分が愛されなかったとは思っていない」
その時だった。
ちょうどそのタイミングだった。
遮蔽ブロックからメッセージが届いた。
『愛しているよ、ヒサメ。最期の瞬間まで愛している。……ジャック・ドゥ』
ゴーストは笑い出した。
「まさかここで自ら証明してくれるとはね、素晴らしいコメディアンだよ、ジャックさん。気が付いているかい、ヒサメ。今のメッセージを発信したのはジャック・ドゥ本人じゃない。彼は君の事をそんなに気にしていない。メッセージを送ったのは彼に付き従っている優秀な人工知能だ。これが君が感じる彼の愛情の正体だよ」
「そう、思うの?」
「それが真実だ。君だって自分で調べれば確かめられるはずだよ。名前を失った男がいかに薄汚いかよくわかる」
「黙りなさい」
ヒサメの言葉に静かな怒気が宿った。
「ひとつ教えておきます。真実とは人の価値観によって変わるものです。世の中に一つしかない事実とは違うものです。そして、私は『人間』と言うものを肉体単体で完結するものだとは思っていません。肉体や生身の脳と同時にそれを支援する機械システムをすべて総括して一人の人間と認識するのです。ですから『常に父に付き従っている人工知能』が送ってきたメッセージも『父』から来たものだと考えます」
「あれま」
「もう一つ言っておきます。機械と肉体のシステムの総和が人間。この認識は私自身についても当てはまります。私自身の一部をあなたに貸す? 何様のつもりですか」
「交渉決裂かい? 後悔するよ、ヒサメ」
「その呼び捨ても許可しません」
人形姫はスタンバイしていた攻勢プログラムを一斉に解き放った。
効果は、確認できず。
「無駄だよ。僕には君たちが使う人工知能が持っているような脆弱性は一切ない。君は人間にしては高い能力を持っているようだけど、電子戦で僕に対抗できるほどじゃない」
更に数種の攻勢プログラムを使用する。
効果はない。逆にカウンターで防壁を三枚ほど突破される。
ヒサメはゴーストに対する認識を改める。こいつは単なる使い手なんかじゃない。彼女よりはるか高みにいる怪物だ。
勝つことより負けないことを重視して時間稼ぎを行う。
ゴーストは彼女よりはるかに強い。なのに交渉を(あるいは誘惑を)持ち掛けてきた。
なぜ?
電子戦以外なら対抗手段があるからだ。今だって自分の側のシステムを破壊してすべてをご破算にするだけなら簡単だ。
だが、そんな自殺のような真似をするつもりはない。
壊すなら相手のシステムだ。
ゴーストはどこに潜んでいる?
現在、この基地は外部との連絡が途絶している。遠くにいるという線はまず考えられない。
答えはすぐに出た。
近くにあって高性能な、ヒサメの目が行き届いていないシステム。そんなものは一つしかない。
生物兵器たちとリョウハの戦いが終了していることを確認して、そちらへ通信をつなぐ。
「リョウハ、助けがいる!」
自分で思っていたより追い詰められていたらしい。悲鳴のような声が出た。
間髪を入れない返答に安堵する。
「ヒサメか。任せろ」




