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反撃の機

 ブリッターの飛行速度は、リオンの予想を上回っていた。

 そもそも、前回はクロードによって強制的に操縦させられたものの、ビークルの操縦経験などなかったのだ。ブリッターは高速移動型ビークルの中でも、操縦が難しいとされている。超高速の中で機体の飛行位置を保つには、優れたバランス感覚と運動能力が要求される。その速度ゆえ、少しでも操縦を誤れば、ブリッターは乗り手を振り落とし、暴走を始めてしまう。“暴れ馬”の異名をとるのは伊達ではない。

 だが、一度操縦法を覚え、乗りこなすことが出来れば、ブリッターはあらゆる場面で優秀な働きを見せる。ブリッター騎乗部隊を有する軍隊もいるほどだ。

 まったくの素人であるリオンが“暴れ馬”から振り落とされずにいられる理由は、持ち前の運動能力など関係ない部分で、本人の潜在能力を発揮する源。つまり「根性」これのみである。

 ただ一心に、「仲間のところに帰る」という想いだけで、嘘のような速度で飛ぶブリッターにまたがっているのだった。操縦している、というよりは、しがみついているだけにしか見えないだろうが、リオン自身は必死で操縦しているつもりである。

 辺りは今や、すっかり暮れていた。月明かりで辛うじて見える闇の平原を、地上の流星の如く、一機のブリッターが行く。

時には木に衝突しそうなところを危うく回避し、時には超低空飛行になり、雑草を薙ぎ払った。

 風は、頬や耳の皮膚を切り裂かんばかりに吹きつける。目を開けているのもやっとだ。

 それでもリオンは、慣れないビークルを駆り、セプトゥスの町を目指した。

 やがて前方に街並みが見えた時、安堵のために思わず力を抜いてしまい、ブリッターを大きく跳ね上げてしまったのだった。


       *


 空を貫き降り注ぐ光の柱の中で、目を閉じるセルペンティアは、口の中で延々と何かを呟いている。

 時折その呟きは途切れて、少し間が空いた後、再び口が動き出す。その繰り返しだ。

 外次元は内次元――物質世界よりも広大だ。無限世界といっても過言ではないだろう。そんな世界から、一つの魂を探し出して召喚するのである。生半可な作業ではない。

 こうした召喚方法は、だから失敗する例の方が、成功例より多いのだ。失敗例の多くは、目的以外の“別の何か”を間違って呼び寄せてしまうことである。

 挟空間から召喚従魔ヴルナムを呼ぶ場合、すでに一個体としての形態を成している存在を召喚するのであるから、その存在が召喚者の呼び声に応じれば、召喚は成立する。

 外次元から“何か”を召喚することは、空気の中から目に見えない塵の一粒を見つけ出すようなものだ。失敗する確率が高いのは当然であった。

 しかしセルペンティアは、自信に満ち溢れた表情で、儀式に挑んでいた。どれだけ時間をかけようとも、〈アーリム〉を呼び寄せる自信がある、と、全身で主張しているようにフィオには見えた。

 実際、自信があるのだろう。セルペンティアは〈銀の眷属〉だ。同じ眷属である〈アーリム〉の魂が、外次元で放出しているであろう“存在の波動”を感じ取ることが可能なのだろう。

 フィオは離れたところでセルペンティアの様子を窺いながら、手首に巻かれた〈魔力封印〉の縄を解こうともがいていた。

 スタンウッドも近くにいるので、下手な動きを見せて怪しまれては元も子もない。

 

 ――石を取り返せれば……。

 

 儀式だけでも阻止せねばならない。

 フィオは身を捨てる覚悟を決めた。スタンウッドの注意が自分に向いていないのを確認したフィオは、ゆっくり、静かに体勢を整えた。


 


 殴られた頬が腫れている。ヨナスには、簡単な治癒魔法なら心得があった。ちょっとした切り傷や打撲を治す程度の術だが、この腫れを引かせるには充分だ。

 しかし、それは叶わない。ヨナスを含む支部の職員らは、相変わらず〈魔力封印〉の魔法陣の中に囚われているし、陣の周りは〈アーリマン〉の戦闘員にしっかり囲まれている。妙な動きを見せれば、また殴られる。痛いのはもう御免だ。

 とはいえ、いつまでも手をこまねいてばかりもいられない。このままでは〈降臨の儀〉が執行されてしまう。

 

 ――まあ、おそらく失敗するだろうけれど。

 

 外次元から〈アーリム〉の魂を召喚する。これを成功させることが出来る者は、今の世にはいるまい。ヨナスはそう考えている。たとえ、あのセルペンティアが〈銀の眷属〉の一人であったとしても。

 ヨナスが受け継いだ〈連絡帳〉の内容を信じるならば、十五年前に〈降臨の儀〉を執行したのは、当時のアルジオ=ディエーダで最も力ある大魔導師だった人物だ。しかも正真正銘の〈銀の眷属〉だったらしい。

 そんな人物でさえ、儀式は失敗に終わり、当事者は死亡した。

 一つの例だけを挙げ、そこを基準に物事を判断するのは早計かもしれない。だがヨナスには、セルペンティアという女に、かつての大魔導師を凌ぐほどの能力が備わっているとは思えなかった。

 ヨナスのその考えが間違っていなければ、儀式は成功しない。そして怖いのは、儀式が失敗した後だ。

(どうにかして、この形勢を逆転させないとな)

 あまり身動きせず、目だけで周囲の状況を確認する。

〈アーリマン〉の戦闘員はどうにか出来たとしても、子供を人質にとられているのは痛い。

 子供達の身柄を預かっているセルペンティアの従魔は、ヨナスらがいる場所から、少し離れた所に佇んでいる。

 従魔のマントは亜空間のような場所と連結しており、子供達はその中に閉じ込められているのだろう。救出するには従魔を倒すよりないが、倒し方を間違えれば、亜空間への入り口が閉じ、子供達を救出することが叶わなくなる。

(連中に隙が生まれればなあ)

 わずかにでも隙が見えれば、反撃のチャンスを掴むことが出来るだろうに。


        * 


 ガンガンガン、と、重厚な鉄製の扉から物騒な音が響く。

 見張りを仰せつかった三名の〈アーリマン〉戦闘員は、覆面越しに互いに顔を見合わせた。一人がため息をつく。

 さきほどからずっと、こんな風に騒音が続いている。監禁されてから今に至るまで、途切れることなく、だ。

 おとなしくしていればいいものを。三人は牢獄の中に捕らえている、アルジオ=ディエーダの魔導師に呆れた。よくも体力が続くものである。

 このように休みなく、鉄の扉を殴る蹴るなどしていれば、そのうち体力も尽きて静かになるだろう。彼らはそう考え、放っておくことにした。

 ところが十分、二十分と経過しても、一向に騒音が止まない。

 我慢の限界に達した一人が、

「くそッ、いい加減にしろ!」

 苛々と舌打ちし、鉄扉の取っ手に手をかけた。

「おい、やめておけ。『開けるな』という命令だぞ」

 もう一人が制する。

「少し身体に言い聞かせて黙らせるだけだ。魔力を封じられた魔導師など、恐れるに足らんだろう」

 彼は三人目の仲間を目で示した。

「いざという時は、こいつもいる」

 戦力はこちらの方が勝っていると自信を持つ彼は、牢の鍵を外し、扉を押し開けた。

 これが間違いであった。


 

 牢獄に外光が射す。扉が充分に開いたと判断した瞬間、壁際に張りついて身を潜めていたクロードは、光の中に躍り出て右足を振り上げた。

 扉の前に立っていた〈アーリマン〉の腹に、クロードの右脛がめり込む。強烈な不意打ちを喰らった〈アーリマン〉は、逆流した胃液を覆面の中に吐き、呻き声をもらしながら倒れた。

 クロードは倒れた敵を踏みつけ、牢獄を脱出した。

 仲間をやられた残りの〈アーリマン〉のうちの一人は、慌てて腰に携帯していた棍棒を手に取り、身構えた。

 しかしその時に慌てていたことが、隙を生む原因になった。クロードはその隙を逃さず、二人目の〈アーリマン〉に身体ごとぶつかっていった。

 勢いのついたまま壁に押しつけ、頭突きを浴びせる。三度目の頭突きで、〈アーリマン〉は鼻血で覆面を染め、昏倒した。

 二人目を倒したが、安心はできない。まだ三人目がいる。クロードは敵の姿を捜して首巡らせた。

 三人目の姿がどこにもない。どこへ行った。そう思った時、後ろ手に縛られた腕を掴まれた。クロードはそのまま抱えられ、見張り役が休憩に使うテーブルに向かって投げ飛ばされた。

 テーブルに叩きつけられたクロードは、反対側に転げ落ちた。一瞬息が詰まる。

〈アーリマン〉が大股で歩み寄り、クロードの首を鷲掴みにして、高々と持ち上げた。クロードの爪先が、地面から離れた。

 クロードを締め上げる〈アーリマン〉の手は毛むくじゃらで、鉤爪のような指先をしていた。わずかに見える皮膚は、紫の血管が浮き出ていて、ミミズのように波打っている。

 覆面越しに荒い息遣いが聴こえ、腐肉のような臭気が漂ってくる。おそらく人間ではない。

〈アーリマン〉は驚異的な腕力で、ギリギリとクロードの首を締めつけた。轡を噛まされ、未だ両腕の自由を奪われたままのクロードには、対抗手段がなかった。さっきの二人のようにはいかない。

 クロードは両足を敵の胴に押しつけ、引き離そうともがいた。しかし、クロードを掴む力は、一向に緩む気配がない。片足を敵の顎にかけ、蹴り上げようとしても、全く効果がなかった。

 敵の力が更に強くなる。鉤爪が首の皮膚を切り裂く。

 と、どこからか黒い物体が飛び出してきて、〈アーリマン〉の頭部にしがみついた。黒い物体は鋭い爪をむき出しにして、〈アーリマン〉の覆面顔を滅茶苦茶にひっかいた。

 これにはたまらなかったのか、〈アーリマン〉はクロードから手を離し、顔にぶら下がる黒い物体との格闘を始めた。

 解放され、床に落ちたクロードは、詰まった息を整える間もなく、すばやく辺りを見渡した。最初に倒した〈アーリマン〉のローブから、小振りなナイフが転げ落ちている。クロードは這うようにしてナイフのそばへ移動し、どうにか拾い上げた。

 後ろ手であるため、手探りでナイフの刃を抜き、縄にあてる。〈魔力封印〉の効果があるとはいえ、その素は縄である。切ってしまえば効力は失われる。

 敵の様子を窺うと、まだ黒い物体との格闘を続けていた。黒い物体――ゼファーは、敵の頭部に貼りついたまま、前足の届く範囲全てをひっかいている。

 ブツッという小さな音を立てて、縄が切れた。

 クロードは腕に巻きついた縄を振り落とし、轡を剥ぎ取った。

「ゼファー、どけ!」

 主の命令を受けた従魔は、さっと身をひるがえして敵の頭部から飛び降りた。

〈アーリマン〉が形勢逆転に気づいた時には、すでにクロードは敵を射程範囲にとらえていた。

 敵のすぐ側で右手をかざす。刹那、炎をまとった金色の雷が炸裂した。衝撃で〈アーリマン〉が後方に吹き飛ばされる。

 床を転げまわる〈アーリマン〉の断末魔が、牢獄中に響き渡った。

 炎に包まれた〈アーリマン〉の覆面やローブが燃え落ちる。さらされた素顔や肉体は、人間と獣を掛け合わせたような、おそましい姿だった。

 やがて敵は身動き一つしなくなった。しかしクロードとゼファーは、それを見届けるより早く、外に向かって駆け出していた。

「あいつら、バーラムにまであんな格好させてんのかよ!」

 ゼファーはクロードの側を、跳ねるように走りながらゼファーが言った。

「そんなことはどうでもいい、状況はどうなっている!」

「まずいぞ、“扉”が開いちまった。みんな捕まっちまってる」

「世話の焼ける連中だな!」

 外へと続く扉を発見したクロードは、勢いをつけて蹴破った。

外では〈アーリマン〉達が待ち構えていた。南塔の出入り口を囲むような陣形で、各々の武器を携え、現れたクロードとゼファーに狙いを定めている。その人数は、およそ二十数名だろうか。

 クロードは怯みもしなかった。嘲るように鼻を鳴らし、肩を回して筋肉をほぐす。

「こいつらどうする?」

 足元の黒猫が、答えを分かっているのに訊いてくる。

「まともにかまっていられるか。適当にあしらえ」

「だよな」

 心得た猫は、ぶるっと身を震わせた。猫の小さな身体が一瞬光る。

〈アーリマン〉達の間に、畏怖のどよめきが起きた。

彼らの視線を集める、ダークグレイのドラゴンを従え、クロードは一歩また一歩と進み出た。

「お前達に割いている時間などない。さっさと済ませてやるから、まとめてかかって来るがいい」


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