第九話:迷宮、魔力を回収する
◆迷宮/黒瀬視点
「……よしよし、ちゃんと“無限に湧いてくるように見えてる”な」
通路C側サブルートから、回復済みのゴブリンたちが順番に前線へ戻ってくる。
冒険者から見れば、「さっき倒したやつに似てるやつがまた来た」程度の認識だろう。
細かい顔の違いなんて、区別がつくはずもない。
「ご主人、“無限湧きフラグ”満々ですね」
「無限じゃない。有限リソースの効率ローテーションだ」
「でも、体験としては無限です」
「そこを目指してるんだよ」
画面の中で、4人の動きが少しずつ変わっていくのが分かる。
最初は、恐る恐る。
今は――恐る恐るなのは変わらないが、その中に“パターン認識”が生まれている。
レオは、棍棒の振りに対して盾の角度を調整し始めた。
セラは、詠唱のタイミングを、ゴブリンの入り替わりと合わせている。
ミナは、誰がどのくらい削られているかを見て、回復対象を変えている。
そして――カイ。
リーダーらしき黒髪の青年の動きだけ、他の3人とは少し違っていた。
誰かが下がれば、そこを埋めるように一歩前に出る。
ゴブリンの攻撃がミナに飛べば、即座に割って入る。
けっして派手ではない。
でも、“穴が埋まっていく”感じがある。
「ご主人、あの人、前世ログでいうと“現場リーダー”っぽい動きしてますね」
「だよな」
どこか、懐かしい。
炎上中の現場で、一番地味に走り回るタイプの人間だ。
そういうのが、一番死にやすいことも、よく知っている。
「――だから」
俺は、〈撤退推奨条件〉の値を、すっと上方修正した。
平均HP≦40% → ≦45%に変更
「ご主人、甘くなりました?」
「新人相手に最初からギリギリ攻めすぎた。
こういうのは、“もうちょっと行けるかも”の一歩手前で返すのが一番効く」
「ブラックのくせに、やることが妙に優しいですよね」
「効率のためだって言ってんだろ」
とはいえ――
ギラリ、と画面の中で剣が光った瞬間。
ゴブリンの一体――ジグの肩に、深い傷が刻まれた。
「ギッ……!」
HPゲージが一気に三割を切る。
即座に、オート退避ルールが発動した。
◆迷宮/ジグ視点
棍棒を構え直した瞬間、肩に焼けるような痛みが走った。
「ギャッ……!」
視界が揺れる。
腕に力が入らない。
(マズい……!)
頭の奥で、鐘の音みたいに警告が鳴る。
――そのときだ。
足元から、真っ黒な何かが這い上がってきた。
(あ……)
見覚えがある。
訓練で、一度だけ見せられた映像。
「HP三割を切ったら、こうなるからな」と、ボス――ご主人が説明してくれたやつ。
黒い煙。
光。
飲み込まれる感覚。
(みんなの前で、情けない……)
そんなことを考えた瞬間――世界が、ぐるりと裏返った。
◆迷宮/黒瀬視点
「ジグ、退避完了」
回復部屋Aに、もう一つの影が転がり出る。
「ギ、ッ、ここ……」
ジグは、肩を押さえながら、慣れないベッドの上で目を瞬かせた。
ロクが、無表情でポーションを差し出す。
「苦いの……?」
「……」
ぐい、と差し込まれる。
ジグは、むせながらも、どうにか全部飲み下した。
肩の痛みが、すっと引いていく。
「……死ななかった」
自分の肩に触りながら、ぽつりと呟く。
「うん。死なせる気はない」
俺は、部屋の魔力伝声を通じて、ゆっくりと言った。
「お前の仕事は、“死ぬこと”じゃない。
“生きて戻って、また前線に立つこと”だ」
「……」
ジグは、少しだけ黙ってから、頭を深く下げた。
「ボス。オレ……まだ、前に、立てる?」
「立てる。立ってこい。
ただし、“仲間を死なせない”って約束だけは守れ」
「……うん!」
ジグは、今度は自分の足で立ち上がった。
ロクが、通路Cの方向を指さす。
ジグは、一度深呼吸してから、その方向へ歩き出した。
――もう一度、冒険者たちと向き合うために。
◆迷宮内/カイ視点
3体目を“倒した”ときには、もう、全員の息が上がっていた。
レオの腕は痣だらけ。
俺は、さっきのスライムのせいで、足の装備が溶けている。
ミナの魔力は、半分近くまで減っている。
セラも、短い詠唱しかできなくなっていた。
「これ……キリがない……」
ミナが、ほとんど泣きそうな顔で呟く。
「でも、ちょっとずつ“動き”は良くなってる。
さっきより、うまく戦えてるよ」
セラが、必死で明るい方を見ようとする。
一方で――
「なあ、カイ」
レオが、小声で俺に耳打ちした。
「そろそろ、撤退ラインじゃね?」
「……」
俺は、一瞬だけ、3人の顔を見た。
レオの額に浮かんだ汗。
ミナの震える指。
セラの、必死で冷静さを装っている瞳。
そして、自分の胸の中で鳴っている心臓。
まだ行けるかもしれない。
この先に、“いかにも宝箱がありそうな部屋”があるような気もする。
――でも、それは、全部“気がするだけ”だ。
(ここで引き返すのが、たぶん正解だ)
ギルドで、リアナさんが言っていた。
「戻る勇気のないパーティには、この依頼は出せません」と。
前の世界でも、似たようなことを言っていた先輩がいた。
「撤退は、負けじゃない。次に繋ぐための仕事だ」と。
「……戻るぞ」
俺は、はっきりと言った。
「えっ」
ミナが、目を見開く。
「今ならまだ、“自分の足”で戻れる。
ここで無理して、この先で誰か動けなくなってからじゃ遅い」
「……そうだね」
セラが、少しだけ肩の力を抜いて頷いた。
「私も、これ以上魔法撃ったら、帰り道で何かあったときに対応できないかも」
「俺も、盾、これ以上ボコボコにされたらヤバいしな……」
レオが、苦笑交じりに言う。
「ごめん、カイくん。わたしがもっと強かったら――」
「ミナ」
俺は、彼女の言葉を遮った。
「“もっと強かったら”なんて、いくらでも言える。
今の俺たちは、今の俺たちのままだ。
だから、“今の俺たち”で帰る」
それができれば、たぶん、次がある。
「……うん!」
ミナの目に、うっすら涙が浮かんだが、その奥に、弱いながらもちゃんとした光があった。
「じゃ、撤退だ」
来た道を振り返る。
……と、その時。
廊下の灯りが、一瞬だけ、ぱち、と明滅した。
「……?」
セラが、眉をひそめる。
灯りの石が、断続的に点滅する。
その光が、まるで“こっちだよ”と誘導するように、出口方向へ続いていた。
「……誘導、してくれてない?」
レオが、ぽつりと言った。
「そんなわけ……ある?」
自信なさげなセラの否定が、逆に説得力を失わせる。
ただ――
「ありがたく、帰らせてもらうか」
俺たちは、灯りの導きに従って、迷宮の入口へ向かって歩き始めた。
◆迷宮/黒瀬視点
「よし。撤退判断、入りました」
ナノが、嬉しそうに報告する。
「平均HP、ちょうど45%あたり。
ヒーラーさんの魔力残量、32%。
ご主人がさっき上げた撤退推奨ラインに、きれいに引っかかりましたね」
「うん。悪くない判断だ」
監視画面の中で、通路の灯りが、出口方向へと順番に点滅している。
これは、“迷宮側が意図的にやってる”と気づかれないギリギリのラインのつもりだ。
あくまで、“そういう仕様の灯り”ということにしておきたい。
「ご主人、優しいですね」
「効率のためだって言ってんだろ」
胸の奥が、ちょっとだけ軽くなる。
誰も死ななかった。
魔物も、冒険者も。
その上で――ちゃんと、“痛い目”は見せられた。
「ログ、どう?」
「はい。今回の戦闘ログ、罠の発動ログ、魔力消費量、全部取れてます。
ゴブリンさんたちの動きも、訓練よりかなり良くなってますね。ジグさん、頑張ってました」
「だろ?」
思わず、ニヤリとする。
「冒険者側も“ここはギリギリ死なない迷宮だ”って刷り込まれたはずだ。
これで、何度も来れるダンジョンだと認識してくれる」
「それって、ずっとやっていたら“迷宮側が冒険者の新人を育ててる”ってことになりますけど」
ナノが、くすくす笑う。
「ともあれ――第一回アクセス、無事終了ですね」
「ああ。初リリースとしては、上出来だ」
迷宮核が、どくん、とひときわ大きく脈打った。
その鼓動に合わせて、魔力残量のグラフが、ゆるやかに上昇を始める。
滑走罠で削った体力。
毒針でじわじわ削ったスタミナ。
スライムで溶かした装備。
ゴブリンたちとの戦闘。
その全部が、少しずつ“魔力”という形で、迷宮核に戻ってきている。
「ふふ……」
笑い声が漏れた。
「これで、“冒険者が来れば来るほど、迷宮が太る”循環が回り始めたわけだ」
「ご主人、顔が完全に悪役ですよ」
「褒めてんのかそれは」
――でも。
悪役だろうが何だろうが、この世界で初めて、“自分の設計が思った通りに動いた”瞬間だった。
それが、単純に嬉しかった。
「さて。ログ解析と改善だ。
今回はゴブリンだけだったけど……そろそろ、その奥の準備もしないとな」
遠ざかっていく4人の後ろ姿を見送る。
新人パーティ“夜明けの芽”が再びこの迷宮を訪れたときの未来を想像しながら――。
【設定補足:ダンジョンコアと魔力経済】
1. ダンジョンコア
見た目:透き通った黒い結晶。中心部が心臓のように脈動。
本能:効率よく魔力を回収し、自分と迷宮を成長させること
性質:魔力を栄養とし、一定量蓄積するごとに階層拡張魔物の強化・追加、罠・施設の追加などの選択肢が開く。
2. 魔力の「吸収源」
①冒険者の血・肉体・魂に宿る魔力
→魔法の使用や、出血、死亡などにより冒険者に宿っていた魔力が迷宮に吸収される
②自然に漂う魔力
→大気中に存在する魔力を自動で吸収(量は多くない)
3. 魔力の「利用先」(魔力を消費してできること)
・階層拡張:新しいフロア生成、既存フロアの拡張・構造変更
・魔物関連:新種の召喚、既存魔物の強化、死亡した魔物の復活
・罠/ギミック:物理罠(落とし穴、矢、岩など)魔法罠(属性攻撃、状態異常、幻覚など)




