第六話:初めての冒険者
◆迷宮/黒瀬視点
「……ナノ。今の、何の数字だ?」
迷宮核の前でコンソールを眺めていたら、右上の小さなウィンドウが、ぴこん、と点滅した。
【新規侵入反応:4】
【種別推定:人間(冒険者)】
【入口からの距離:3m】
「入口に、四つの生命反応が入りました。
魔力量と装備の反応からして、低ランク冒険者パーティですね」
頭上で、ナノが嬉しそうに揺れる。
「ついに来ましたよ、ご主人。初アクセスです!」
「……アクセスって言うな。いや、言いたくなるけど」
胸の奥が、妙にそわそわする。
何度もシミュレーションした。
魔導スクリプトも検証した。
トラップも、ゴブリンのローテーションも、一応 “理論上は”問題ない。
でも、実際に“冒険者”が入ってくるのは、これが初めてだ。
要するに――本番リリース初日である。
「よし、入口付近のログ出せ」
「はい、ご主人」
ナノが光を瞬かせると、迷宮核の前に透過スクリーンがせり出した。
そこには、入口から少し入った通路の様子が映し出される。
灯りの石が、暖かい橙色の光を投げる石造りの通路に――
四人の人影が、慎重に足を踏み入れていた。
◆迷宮/入口側・カイ視点
「……明るいな」
思わず、そう口に出していた。
もっとこう、“松明一本でギリギリ前が見える暗闇”を想像していたのだが、この迷宮は、違った。
壁に等間隔で埋め込まれた白い石――いや、よく見ると、ほんのり橙色がかっている――が、柔らかな光を放っている。
昼間の外ほどではないが、足元も壁も、よく見える。
「な、なんか、こざっぱりしてるね……」
後ろで、ミナが小さく呟いた。
分かる。
足元は乾いていて、湿った苔もぬかるみもない。
石床は少しだけ丸みを帯びていて、角ばった危なっかしさがない。
迷宮というより、よく手入れされた地下通路、という印象だ。
「普通、もっとこう……じめじめしてたり、コウモリ飛んでたりするんじゃないのか?」
「レオ、うるさい。声が響く」
セラが、小声でたしなめる。
「でも、たしかに――」
俺は、壁に手を当ててみた。
ひんやりしている。
けど、ぬめりとかはない。埃もほとんど感じない。
「誰かが、片づけたみたいな……」
「迷宮は“生きてる”って言うしね。自分で掃除してるのかも」
セラが、理屈をつけて自分を納得させようとしているのが分かった。
「とにかく、油断はするな。足元、気をつけろよ」
「おう」
レオが盾を構えて前を行き、そのすぐ後ろを俺がつく。
ミナは俺の背中にぴったり、セラは最後尾で時々振り返りながら、魔導書を片手に歩いていた。
――その時だった。
「レオ、ちょっと待っ――」
言い終わる前に、レオの足が、ずるっと滑った。
「うおあっ!?」
前方で派手な音がした。
レオの体が前のめりに転ぶ――が、その下の床が、ありえないほど“つるん”としていた。
まるで氷の上を滑るみたいに、レオの体が前へすべり、そのまま床を転がっていく。
「ちょ、ちょっと!?」
「レオくんー!?」
慌てて駆け寄ろうとして――俺も、一歩目で足を取られた。
「っ、くそっ……!」
床が、微妙に斜めになっている。
しかもよく見ると、光が反射してツヤツヤしている部分と、そうでない部分がある。
「な、何これ……油?」
「魔力でコーティングされた滑走面だと思う」
セラが、息を呑みながら分析する。
「ここから先、床が急に変わってる」
「罠、だな」
床の先には、少し低くなった場所があり、その奥には、短い尖り石が並んでいる。
「レオ、無事か!」
「いってぇぇ……!」
レオは、尖り石の手前でどうにか止まっていた。
革の胸当てと肘、膝に擦り傷ができている。
「ちょ、ちょっと待って、今行くから……!」
ミナが慌てて走り出しそうになって、俺がオレが腕を掴んだ。
「ミナ、滑る。ゆっくりだ」
「あ、う、うん……!」
滑走面の境目をよく見て、まだ摩擦が効く場所に足を置いてから、慎重にレオのところまで進む。
「――《小癒の光》」
ミナが震える声で詠唱し、掌に淡い光を宿らせて、レオの傷に触れた。
じんわりと光が染み込み、擦り傷がふさがっていく。
「ふぅ……助かった。ありがとう、ミナ」
「い、いえ……!」
ミナの顔は真っ青だが、その目はしっかり傷口を見ていた。
軽い罠。
だが、油断していたら、この時点で足をひねったり、頭を打っていたかもしれない。
「……序盤にしては、わりと容赦ないな」
「でも、落ちた先が“槍”とかじゃなくて、尖った石なのは、まだ優しい方だと思う」
セラが、ちょっと引きつった笑いを浮かべる。
「そんなこと言われても、痛いもんは痛いんだよなぁ……」
レオが、まだ少し涙目で膝をさすっている。
地味な傷だが、ここから先の戦いに響く”やつだ。
そう思った瞬間、自分の胸が少しだけ高鳴った。
戦う前から、既に“迷宮に削られている”感覚。
嫌な感じだ。
でも――どこか、燃える。
◆迷宮/黒瀬視点
「よし、滑走罠、正常動作。
レオくんだっけか、一人ド派手に引っかかったな」
監視画面に映るレオの転びっぷりに、思わず苦笑する。
ナノが、その横でメモを取るような動作をしていた。
「擦り傷レベル。生命反応の低下は5%前後ですね。
ただ、精神的ダメージはちょっと大きいかも」
「それはログに乗らないやつだな」
でも、重要な情報だ。
「ミナの回復魔法、発動。
残り魔力……」
コンソールに、“ミナ”とラベリングされた反応の横に、簡易的なゲージが表示される。
じわ、と少しだけ減った。
「うん、いい感じに削れてる」
「ご主人、発言が完全に悪役ですよ?」
「序盤でポーションや回復魔法を使わせておくと、後半の“撤退ライン”が見えやすくなるんだよ。
最初からノーダメージで突っ込むと、どこまで行けば危ないか分からないまま突き進んで、まとめて死ぬ」
「なるほど。“体力の見積もり”をさせる罠ってことですね」
「そういうこと」
滑走罠は、最初のチェックポイントだ。
次は――
「ナノ、通路B3の“針+微毒”罠、起動準備。
ただし射出角度を低く。頭に刺さると笑えない」
「了解です。致命傷防止フラグも全部オンにしておきますね」
「そこ大事」
監視画面の別ウィンドウで、通路図とトラップ配置図が表示される。
俺が書いた魔導スクリプトが、そこに重なる。
侵入者の距離と速度に応じて、矢の本数とタイミングを自動調整する。
ついでに、矢に塗られた毒も、“じわじわHPを削る程度”に抑えている。
これ以上強くすると、回復が追いつかなくなる。
「……ほんと、ご主人の罠、全部“ギリギリ死なないライン”に調整されてますよね」
「死んだら魔力の回収は一回きりだからな。何度も来させれば、来た分だけ魔力を回収できる。
それに――」
画面の中で、四人が慎重に進んでいく姿に、ほんの少しだけ、胸の奥がチクリとした。
「死体のログなんて、あんまり見たくない」
「ご主人」
「……何でもない」
ごまかすように、別のタブを開く。
「ポヨの配置は?」
「はい。通路B5の床下に待機中です。
トラップ発動時に、足元に“ねっとり”絡みつく予定です」
「よし。あいつはセンサーも兼ねるからな。
トラップとセットで、“嫌な記憶”を刻み込んでやる」
――ただし、死なない範囲で。




